第30話 迷子の迷子の


 ふわふわとしたまどろみの中で、誰かの泣き声を聞いた気がした。


 声を押し殺してなおもれる、悲痛ひつうな叫びだ。


 目を開ければ、小さな女の子が一人で泣いている。

 真っ黒な服のそでをぬらして、それでも涙はとぎれず地面におちていく。


 私は、それを上から見ていた。


(なんで、泣いているの?)


 そう声をかけたくても、なぜか声がでない。

 だた見つめているしかできなかった。


『お父さん……お母さん……』


 つぶやかれた声に、胸が締め付けられる。


 少女がいくら泣いても、親は現れなかった。

 周りにいた大人たちは、泣いてばかりいる少女をなぐさめもせずに、過ぎ去っていく。


『あの子を庇って……』

『親の鏡じゃないか』

『よかった、よかった』

『これが2人の運命だったんだな』


 聞こえてくる声は、どれも少女を見ていない。

 少女がどんな状態なのか、少しも考えていないものだった。



『私が……悪い子だから。私が……』


 やがて少女は何も感じないように心を閉ざした。

 瞳に映るのは虚空こくうだけ。


 それを見ていられずに、私はそっと彼女を包み込んだ。


(……は、よく似ているね)


 、一人ぼっちにされてしまったから。


 一人は寂しい。

 誰かと一緒に居たい。

 引き離されるのなら、私もどうか連れて行って。


 そう思うのは、あなただけじゃないと、伝えたかった。

 それでも、生きていかなくちゃいけないなら。


(私が、一緒にいるよ……)


 だから大丈夫。

 そう願いを込めて、幼いころ誰かにされたように、ゆっくりと頭を撫で続ける。


 心にあいた穴を埋める様に、悲しみに潰されてしまわれないように。



 だから私は、のだ。


 ◇



「ぅ……?」


 重たい瞼を開けると、見慣れない天井がみえた。

 しかも、なぜか滲んでいる。


 目をこすると湿っていた。

 どうやら泣いていたようだ。


「……夢?」


 どんな夢だったかは覚えていない。

 けれど、なにか大事なことだったような気がする。


 思いだそうとするけれど、まるで霧がかかったようにはっきりしない。

 こうなってしまえばもう思いだすことはできないだろう。


「……はあ」


 これ以上考えても無駄だろう。

 私は伸びをして固まった体をほぐす。


 と、部屋の外が少し騒がしいことに気が付く。


 時計を見ると、仕事の時間までまだ少しあった。

 時間が来たから騒がしくなっているのかと思ったが、違うようだ。


(だったらなんだろう?)


 まだぼんやりとする頭で髪をまとめ、バレッタをとめると、廊下に顔を出した。


 と、走ってくる神官と鉢合わせる。


「あ、聖女様!」

「おはようございます。どうしたんですか?」


 まだ寝起きで思考回路がはっきりとしていなかったから、コミュ障は不発だった。


 それよりも、やたらと焦った様子の方が気になった。


「実は広場に瘴魔病しょうまびょう患者がでたらしく、暴れているのです」

「え!?」


 一気に目が覚めた。


「ど、どこに!?」

聖木せいぼくの下の広場です! ですので聖女様……」

「わかりました!」

「え!? ちょっ、ちょっと!? 聖女様!?」


 私は反射的に走り出していた。


(瘴魔病患者が暴れているのなら、すぐにでもいかないと!)


 それだけが頭の中を支配していたのだ。



 ◇



 そんな数分前の私をなぐりたい。


 結論から言おう。

 迷いました。


「どこ、ここ」


 聖木をめざして真っ直ぐ向っていたはずなのに、気が付けば右に木が見えている。


 どうやら途中で道を間違えて走っていたようだ。


(だって、聖木を目印に進めばいいかなって思ったんだもん)


 初めてきた街を一人で歩き回るのは無謀むぼうだった。

 何度か行き止まりにぶち当たり、勘をたよりに進んだのがいけなかったのかもしれない。


「え、えぇ~? 近い気はするけれど……人がいないし……」


 なんでこういう時に限って人がいないのだろう。

 居たら、最悪しゃべらなくても逃げてくる方角に進めばいいって分かるのだけど。


「まあ、言っても仕方ないか」


 待っていても非常事態の今、誰かが迎えに来てくれるわけではない。

 勘を信じたのなら、最後まで勘で進もうじゃないか。


「……こっち、かな?」


「そっちではない」

「っひょおおお!?」


 足を踏み出した時、後ろから声がかかった。


 心臓がとまりかけた。

 いや、正直半分とまった。


 誰もいないと思っていたのに、振り返ると人がいた。

 そして、思考停止してしまう。


「――え?」


 目元を覆う銀色の狐のような仮面をつけた男の人だった。

 まるで仮面舞踏会にでも行くときのような……。


(どうみても、不審者ふしんしゃです。本当にありがとうございます)


 私はよくわからないまま頭の中で礼を言ってしまった。

 そのくらいテンパっていた。


 だって日常生活で、仮面なんてすることある?

 しかもこの非常時に。


 そんなことする必要があるのは、不審者くらいだろう。


(もしくは人さらい、とか)


 だって、さっきまでまるで気配けはいがなかった。

 わざと気配を消していたのだとすれば、相当慣れている人だろう。


「ついてこい」

「え、」


 男性は、警戒をあらわにした私を気にした様子もなく、くるりときびすを返した。


 数歩進んで、私がついてきていないのに気が付くと止まる。


「何をしている。早く来い」

「え、えぇっと」


 不審者についてこいって言われて、ついていくのは自殺行為では?


 と思うけれど。

 それを口にすべきでないことくらいは分かる。


 言ったが最後。

 逆ギレされて終わるだろう。


 それに単純に人と一緒にいたくないといいますか。



「あの……あなたは?」

「今、そんなことを聞いている場合か?」

「で、でも。知らない人にほいほいついていくなって言われているので……」


 まるで小さな子供の言い訳のようになってしまったが、嘘じゃない。

 ちゃんとおばあちゃんに言われている。


 それに、教皇様にも怒られそうだ。


 私はこっそりと男性の様子を伺った。


 氷のような色をした髪は見えるけれど、それ以外がまるで分からない。


 顔の特徴とくちょうはシャープな輪郭りんかくということしか分からないし、服装に至っては長い外套がいとうを羽織っているのでさっぱりだ。


 これでは似顔絵とか特徴を聞かれても、答えられないではないか。


(考えれば考える程怪しい……)


 覚えられては困ると言わんばかりの徹底てっていぶりだ。


「探るのはよせ。別に今は害を加えるつもりはない」

「っ!」


 視線に気が付いていたようだ。

 冷や汗が流れる。


「瘴魔病患者のところに行きたいのだったら、黙ってついてこい」

「え、はっ、な、なに!?」


 クイっと指を振った。ように見えた。


 その直後、なぜか、腕が引っ張られた。

 何も触れていないというのに、何かに掴まれているかのような感覚がある。


(み、見えない何かに、引っ張られてる!?)


 男性はそれを見ると再び道を歩き出した。

 腕を引く力は強く、抵抗ていこうしても足は止まらない。



 スタスタスタ。バタバタバタ。

 スタスタスタ。バタバタバタ。



 無言の空間に、足音だけが響く。


 その状態が数分続いただろうか。


「この先だ」


 ふいに振り返った男性に、道の先に突き飛ばされた。


「おっ、っとぉ、ってぇ!!」


 何歩かケンケンパをして、なんとかバランスを保つ。

 ギリギリのところで転ばずにすんだ。


「な、何するんですか!! ……て、あれ?」


 怒りを込めて振り返ると、そこには誰もいなかった。


「え、えぇ??」


 まるで存在そのものが消えたかのように、男がいた痕跡こんせきはない。

 どこかに隠れられるような場所はなく、角を曲がったとしても数百メートルは先だ。


 それなのに、忽然こつぜんと姿を消した。


「……」


 もしかしたら幽霊、的なやつだったり……?


 だって、生きた人間が消える何てこと、あるわけないから。


「……ぴ、ぴぇ」


 血の気が引いた。

 恐怖体験はお呼びじゃない。


 思わず泣いてしまったではないか。



 ――ドオン!!


「おっぎゃ!!」


 ふいに大きな音がした。


 慌てて振り返ると黄色い膜が張っているのが見えた。


 その中で、暴れている人影が1つ。


「あ、あれって、瘴魔病患者……?」


 どうやら目的地に着いたらしい。


 なんで、とか。

 どうやって、とか。


 疑問はいくつもあるけれど、とりあえず今はこちらが優先だ。


 私は足に力を入れて立ち上がり、結界の張られた元へと走り出した。


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