ヤンデレ幼馴染から死ぬほど愛されても別に眠れる私

さかきばら

第1話

 夏が近づいてきている。木々の梢を揺らす風が勢いを増し、衣擦れに似た葉の音に混じってセミたちの輪唱が辺りに立ち込めている。


 生まれ育った町から遠く離れた地方都市だが、夏になるとやけに交通量が増えるのはどうしてなんだろうと、傍らを通り過ぎたトラックを眺めて考えた。



「あっつ……」


 額から垂れた一滴がアスファルトに黒点を刻む。


 私はエコバックの中に入っているゼロカロリーコーラを飲みたい欲求と戦いながら、彼女兼幼馴染の待つアパートへの帰路を急いだ。


 2DKのアパート。シェアハウス的な奴ですと不動産に伝えると、格安で貸してくれた物件だ。人が死んでいるかもしれないが、死んでいないかもしれない。知らなければどうということはない。


 これ、誰の台詞だったかな……。


 「美香、涼んでんのかなぁ。あの野郎……」


 江崎美香えざきみか。私──村上光紀むらかみこうきの幼馴染。あと彼女。


 特徴としては胸がデカい。目を引く美人じゃないけど、笑うとものすごく愛嬌があるタイプだと思う。目立たないけど、読者モデルをやっている篠崎よりも可愛いと高校時代は考えていた。


 その他としてはかなり頭がおかしい。

 高校時代、私は薬を盛られて監禁されたことがあった。ヤンデレに分類されるのかメンヘラに分類されるのかは意見の割れそうなところだ。


 ただあんまりこれは言いたくないんだけど(私がクズなのバレるから)、昔からやたらと尽くしてくれた。


 毎日欠かさずお弁当を作ってくれたり、朝起こしに来てくれたり、いつの間にか私の家に入り込んで母さんの洗濯物手伝っていたり。

 恩は返していけよと理性が訴えていたが、私は彼女に甘えっぱなしだったりする。だから彼女のキチガイっぷりを大っぴらに悪く言えないので質が悪い。


「あ、こーちゃん。おかえりー!」

「うーす」


 パタパタと歩み寄ってきた美香にエコバッグを手渡した。私は汗を拭いながら冷蔵庫を開く。確か飲みかけのスプライトがあったはずだ。


「あー、ダメだよこーちゃん。ちゃんとお手洗いとうがいしないと」

「するってちゃんと。でもいま水分補給が急務なんだって」

「ダーメ。ほら、こーちゃん、手洗いうがいしなきゃ―」


 背中を押されて洗面台の方へ。リビングの方へ目をやる。テーブルの上に一個だけ残された雪見大福があった。他には私の分のタンプラーも用意されている。

 

 「二つとも食べてよかったのに」

 「だってこーちゃんと半分こしないと価値がないよ?」


 そういう女だ。

 だから高校時代に監禁されて……まあ、犯罪として立件できるあれやこれやをされても、嫌いになれないのかもしれなかった。


「ねえ美香。流石に手洗いぐらいできるって。仕上げはお母さんとでもいう気?」

「ママでちゅよー」

「手を洗います。うがいします。ジュース飲ませてください。後で相手してあげるから」

「むぅぅ……こーちゃんのツンデレレベルが年々上がっていくよ。こーちゃん温暖化だよぉ」


 美香は頭悪いこと言いながらすごすごとリビングへ退散していった。

 冷蔵庫を開けてスプライトを取り出し、冷蔵庫の扉を閉める。その瞬間に美香はリビングからひょっこりと顔を出す。


「ねえねえ、こーちゃん」

「ん?」

「わたし以外誰とも話さなかった?」


 目がドロドロしている。たまに美香はこういう目つきになる。慣れたものだ。私は空になったコップを置くと、


「店員とは話した」

「なんて……?」

「えー、かいけー、2789円です。3000円お預かりしまーす。211円のおかえしでーす。あざざとーあーしたー」

「こーちゃん即座に引き算できてすごいねぇ」

「こいつ私のこと舐め腐ってんな」

「舐めたいのはこーちゃんの身体だけだもん……♡♡♡」

「キッモ……」


 私は顔をしかめると、美香の方に向き直った。

 彼女は淀みきったとした目でこちらを見つめている。こういう時の美香は感情がごちゃまぜになっているので、話しかけにくかったりする。


「はいはい。落ち着いた? 私となら普通に話せるね?」

「うん……でも他の女の子とはあんまり話してほしくないよぉ……」

「私は深夜アニメの主人公じゃないからそんなフラグまみれにはならん……」


 私は彼女の頭を撫でる。ふわふわと柔らかい髪の毛の感触が心地よかった。


「こーちゃん……」

「ん? 何?」


 彼女は私の胸に顔を埋めてきた。ぐりぐりと押しつけてくるのでくすぐったい。


「こうするとね、こーちゃんのこと独り占めできる気がするの」

「……は?」

「他の女とも話したらいやだ。でも誰かと話しちゃだめだよって言うと、こーちゃんは他の人と話さなくなるでしょ? だからわたしは、他を見るなって言うの……独占したいの……はぁ……こーちゃんのからだあったかいなぁ……♡」

「杞憂。空回り。取り越し苦労。なんて言って欲しい?」


 私は溜息をつく。もう慣れた。いじけたように俯く幼馴染。去年買ったばかりのエプロンはくたびれて、毛玉クリーナーじゃ間に合わないほどボロボロになりつつある。奇妙な感慨ごと包み込むように、彼女を強く抱き寄せた。


「私は美香のものだから。心配しなくてもモテたことないよ。私がモテるタイプだったら、多分高校でとっくに誰かと付き合ってるよ」

「そうなの……? じゃあわたしがこーちゃんを監禁しなかったら、誰か他の女の子と付き合ったりしたのかな……なんだかやだな……」

「なんで選択肢女の子しかないの……」

「男の子!? ああああああこーちゃんが知らないカスに奪われて……!!! あああそいつの家燃やす……!!! 一族郎党みなごろ」

「わーわーわかった。ごめんね、いないから。いま美香ヤバいこと言ってるから」


 慌てて遮る。美香の目は完全に据わっていた。ヤバイ。早く手を打たないと。


「こーちゃん……ほんとに? 本当に浮気してない……?」

「そんな深夜の恋愛ドラマじゃないんだからポンポン浮気しないよ」

「よかったぁ……」


 へにゃりと笑う美香。とても可愛い。私が男だったらキスしてるぐらい可愛い。


「ねえこーちゃぁん……チューしてぇ……?」

「わかったって」


 私は美香の唇を奪った。女だけどした。

 柔らかくて甘い味がする。舌が絡み合うたびに、脳が痺れるような快感に襲われる。いつまでもこうしていたくなるような充足感に襲われるのだった。

 蕩けた笑みを浮かべる美香。めっちゃ幸せそう。可愛いけど危ない感じ。私は彼女の頭を優しく撫でる。サラサラとした手触りが心地よい。


「はぁぁぁぁぁ……」


 頭の上にお花が咲いたような幻覚が見える。かわいいと思ったが言ってやらない。いちゃつくのは結構だが、リビングで涼みながらやりたかった。私は美香の頭を撫でながら、「そろそろ離れていい?」と告げた。


「やだぁ……まだこうしてる……」

「暑いから離れて」

「寒いくらいだよ……?」

「そら貴様がクーラーの利いたリビングでアイス食ってたからだ。私は30度超える中片道15分のスーパーマーケットまで歩いてきた。舐めんな」

「わたしはいつだってこーちゃんをぺろぺろしたいよ?」

「暑いんだよ!!! 私は暑いです!!!! I`m very hot!!! 茶番が長くて狂いそうだ!!! 涼ませろ!!!! 私を涼ませろ!!!!」

「あわわこーちゃんがキチゲ解放モードに突入しちゃったよぉ……」


 美香がおろおろする。私は実家の猫にしていたみたいにクソザコヤンデレの首根っこを掴んでリビングまで入った。きゃー♪とか言っているが気にしない。かわいい。男だったらキスしていた。


 女だけどした。


 お巡りさん私だ。かかってこいや公僕がよォ。


 私はコップにコーラを注ぎ、ペットボトルを冷蔵庫にしまい込む。

 ついでにスイカ味の氷菓を一つ手に取ると、美香と一緒にリビングへ戻った。ソファーに腰を下ろすと、美香がぴったり寄り添ってくる。ちょっとひんやりしていて気持ちがいい。


「お膝乗るね?」

「うん」

「うんだけじゃなくていいよ♡って言ってほしいなぁ」

「いいよ♡」

「きゃー♡こーちゃんだいすきー♡」


 頭悪い会話を交わしながらイチャイチャする。高校時代の私が見たら卒倒すると思う。


「はぁぁ……こーちゃんいい匂いするぅ……すきぃ……だいしゅき……」

「汗くさいよ?」

「えへへぇ……これがいいのぉ……あぁしあわせぇ……♡」


 美香は私の胸に顔を押し付ける。彼女の頭部を抱きかかえるようにしてスマホを弄る。特に面白いトピックもなかったので閉じた。SNSは言うまでもなくやっていない。死の危険と隣合わせだからだ。


「こーちゃんおっぱい」

「美香っぱいには負けるよ」

「欲しい?」

「今はいいや」

「もーーーー♡今はって……後でいるっとこと!? ことかな!?」

「そうだよ」

「えへへ……うれしいなぁ……♡」


 美香が私の左胸をふにふにする。楽しいのだろうか。私は特に何も感じない。まな板触って何が楽しいんだろうね。


「美香、夕飯とかで手伝うこととかある?」


 餃子の種を皮で包むなどの単純作業は私の領分だ。さすがに美香に家事すべてをやらせるほど亭主関白マインドに準じたくない。


「ん、ハンバーグだから玉ねぎさんぶんぶんチョッパーでみじん切りにしてほしいな」

「あいあい。混ぜるのは?」

「あ、こーちゃん。シャワー浴びる?」

「種混ぜたり焼く手伝いとかしなくていい?」

「こーちゃんこーちゃんアイス一緒に食べよ?」

「ナツメグとか入れるんだっけ」

「こーちゃんこーちゃん、ハーゲンダッツあるよー」


 露骨に話をそらされた。


「美香さんは何故私に料理を手伝わせてくれないのか」

「えへへー」

「いやえへへーじゃなくて。理由を教えてよ」

「え、だって……こーちゃん死ぬほど不器用だし……。インスタントラーメン作るの失敗する人こーちゃん以外知らないし……砂糖と塩間違えるし……ケチャップとマヨネーズとソースは混ぜようとするし、卵焼き焼かせると何故か焦げるし……」

「……ぐすっ」

「ダメだよこーちゃん。現実と向き合わなきゃ」


 諭されてしまった。私の料理下手はヤンデレを超えるほどの推力を内在しているらしい。まあ……うん。料理は慣れ、というし……。


 美香が私の手に指を絡めてきた。私はその手を解くと、彼女の頭を撫でる。「えへへー♡」と嬉しげに笑う彼女。


「だからねー? こーちゃんはーわたしがーごはん作ってる時はー座っててほしいなー?」

「私もちょっとくらい手伝うよ」

「こーちゃんこーちゃん、マカダミアナッツあるよー」

「ひぐっ、ぐすっ、私は役立たずなの?」

「料理に関してはこーちゃん何もしないでね。お願い。これみんなのため」


 美香にハッキリ言われて涙が出てきた。料理に関して無能だと断言されるって、とても堪えるものがある。彼女を愛しているけれど、やっぱり料理ぐらい作れるようになりたい。


「ぐすっ……料理の練習するから……」

「頼むからこーちゃんはじっとしててね……お願いだから……キッチン壊さないで……」


 美香はハラハラと涙を流し始めた。

 なんだよぉ。ケーキ焼くって言ったからフライパン用意しただけじゃんかよぉ。


「ほらー泣かないでこーちゃん。今日はこーちゃんは座ってるだけでいいよ? 膝枕してあげるし、頭撫でてあげるからね? あとおっぱい枕もいいよ?」

「……ぐすっ、美香のおっぱいクッション最高だよぉ……すき……」


 私はおっぱいクッションに顔を埋める。温かくて柔らかくて、優しい匂いがして、とても満たされた気分になった。美香が私の頭をポンポンと撫でる。


「うんうん♡こーちゃんはわたしのできないことができる。わたしはこーちゃんのできないことをできるの。お互いに支え合おうね♡」

「……うん」

「ごはん食べてお風呂入ったら、一緒に寝よっか。そしていーっぱいこーちゃのこと愛してあげたいなぁー♡えへへ、こーちゃん大好きぃ……♡♡♡」


 美香が私をぎゅーっとする。柔らかくて温かくて甘い彼女の匂いがする。なんだかそれだけで気分が昂ってきちゃう。


「私も好きだよ……」


 私はそう呟くと、美香の身体に顔をうずめた。


 ◆◇◆


 ベランダから夜空を見上げる。ここは都市部から離れているから幾らかはマシだが、それでも故郷に比べると星空は薄かった。

 夏休み序盤。初夏を匂わせるぬかるんだ風が風呂上がりの体を涼ませた。リビングでは美香がドライヤー片手に格闘していた。くせっ毛な上に長髪なので乾かすのに時間が掛かるらしい。私が手伝おうとしても料理の二の舞を演じるだけなのでそっとしておく。


「こんな静かな夜はインスタントコーヒーに限る……」


 下手くそなキャッチコピー風を呟き、お歳暮のそれに口をつける。安っぽい苦みと酸っぱさが口いっぱいに広がった。私はコーヒーは好きなのだけれど、カフェインの効きがあまりよろしくないらしい。


「こーちゃん、わたしも飲む」

「美香ブラックだめでしょ」

「だめじゃないもん。飲む」


 美香がズリズリと椅子を引き摺って私の左隣に腰掛けた。そしてテーブルに置かれたマグカップに口を付ける。案の定、苦々しい表情を浮かべて舌を出している。かわいい。乾いたばかりの頭を撫でてやった。


「ほら言わんこっちゃない」

「こーちゃんだって苦いの苦手なくせに……」

「私はまだいけるから」

「こーちゃんのいけずぅ……」


 美香は不満げな声を上げると、ぐびぐびと一気にコーヒーを飲み干した。


「うえー……苦い……」

「よしよし」

「なんでこーちゃんは平気なの……」

「慣れだよ慣れ。コーヒー二杯目飲む?」

「まだ飲む。飲むもん」


 美香がムキになったようにマグカップを傾ける。苦くて不味くてもう一口も飲みたくないであろうコーヒーをちびちびと飲む彼女を眺めていると、なんだか幸せになってきてしまう。


「そろそろやめときなよ、体に悪いよ」

「むぅぅぅ……コーヒーよりお紅茶の方がいいもん……」


 美香は名残惜しそうにマグカップをテーブルに置いて、私の肩に寄り掛かってきた。ふわふわの髪を手で梳きながら彼女の頭を撫でてやると、気持ちよさそうな吐息が漏れた。


「こーちゃんに甘やかされるの好き……」

「そうなんだ」

「なんかね、しあわせ。こーちゃんと一緒にこうしていられるだけで、すっごくしあわせ。ずっとこのままでいたいなぁ……」


 美香が私の肩に頭をぐりぐり押し付けてくる。かわいい。猫みたいだ。


「いたいなぁ、じゃなくて。ここで就職するんならこの物件から出ていく理由もないし、私も美香も取り立ててやりたい夢もないし、ずっとこのままなんじゃないかな」

「……」


 美香は瞳を見開いて押し黙った。いつものヤンデレは何処へやら、俯いたまま目を合わせてくれようとしない。


「こ、こここ、こーちゃん、平然とそゆこと言うよね。だ、だだだめだよ。死んじゃう。キュン死しちゃうから……そういうこと言わないで……。もー……」

「だめなの?」

「うん♡だめー♡」

「なんで? はっきり説明して?」

「ええー? 説明って言われちゃうと恥ずかしいんだけど……だめなものはだめだよぅ……もぉー……」


 美香が困ったように眉根を寄せる。悩ましげな表情もかわいい。しばらく見つめていると、彼女は観念したかのように口を開いた。


「だめな理由はぁ……わたしがこーちゃんから離れられなくなるからぁ……」

「離す気ないけど」

「えぅぅ……これ以上幸せになったら、もう離れられなくなっちゃう……」


 美香が私の肩口に顔をうずめた。私は彼女の頭を優しく撫で続ける。シャンプーの匂いが鼻腔をくすぐった。


「こーちゃん。ずっとずっと一緒にいようね……?」

「だからそう言ってんじゃん」

「ほんとにほんと? 絶対に離れない?」

「離れないよ」

「……うれしいよぉ……♡♡♡」


 美香が私の胸に顔を押し付けてきた。ぎゅーっと抱きしめ返してあげると、彼女は嬉しそうに微笑んだ。


「好き、好きなのぉ……♡こーちゃんすきぃ……」

「私も好きだよ」

「こーちゃんのこと独り占めにしたいぃ……」

「いいよ」

「他の人に渡さないもん……こーちゃんはわたしのだもん……」

「そうだね」


 私は美香の頰を両手で包み込むと、そっと唇を重ねた。最初は驚いたように身体を強張らせていた彼女だったが、次第に私を受け入れてくれた。柔らかい唇を食んで、舌を絡め合う。


「んふぅ……ちゅっ……」

「はむ……んぅ……」


 唇を離すと、名残惜しそうな吐息が漏れた。唾液に濡れた唇が艶めかしい。潤んだ瞳で見つめてくる彼女を愛おしく思いながら、また口づける。今度は軽く触れ合うだけのキスをした。


「こーちゃぁん……♡すきぃ……だーい好きぃ……♡」

「私も好きだよ」

「うれしいなぁ……しあわせだなぁ……こーちゃん……すき……」


 美香が甘えるように抱きついてきた。彼女の体温を感じると、身体が熱を帯びてくる。心臓の音がうるさくて仕方ない。きっとこの鼓動音が彼女にも聞こえているのだろう。そう思うとなんだか気恥ずかしかった。


「あの、なんだ、その、美香。後でコンビニでも行こっか」

「うん! 行く!」


 美香が満面の笑みで答えた。

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