第28話 荒魂との戦い

 それは、まさに幽鬼というのにふさわしかった。

 痩身にボロを巻き付けた姿は荒魂という言葉からほど遠いように感じられる。


 と、思っていた。


「っあっぶねぇ!」


 よろめくようにふらりと動いた幽鬼は予想以上に速く、俺が八相に構えた内側に入り込んでいた。鋭い貫手が首元をかすめる。崩れた体勢のまま、すれ違い様に相手の足をすくった。が、俺の足は幽鬼の足をすり抜け空を切る。やはり神の力が宿った刀でしか相手を傷付けられないらしい。


「やっぱり斬るしかない、か!」


 幽鬼の打ち下ろす腕をよけ、カウンター気味に胴を切りあげる。

 自分の動きとは思えないほどの速さ。

 これが剛力の符の力か。

 すると、動きをとめた幽鬼の胸があっけなくぱっくりと割れた。


「なんだ? ずいぶんあっさりと——」


 次の瞬間、斬ったはずの幽鬼が拳を振りかぶっていた。慌てて両腕で防御をし、後ろに飛んだが、受け身を完全にとれなかった。予想以上の威力だ。


『バカ者、切り刻めといったであろう! 動きをとめ、相手の身体に杭を叩き込むのじゃ!』


 御先神様からの叱咤を受け、気持ちを切り替える。目の前にいるのは人間でも魔物でもない。一度切られた位では止まらない。なりかけの悪神なのだ。


(手数が要るなら、これでどうだ!)


 起こりを消して切りつける瞬く間の七連撃。本来なら対多数の全方位への攻撃だが、足を踏み換えることで目の前の幽鬼にすべてを叩き込んだ。

 さすがに効いたのか、身体の各所が避けた幽鬼は動きを止めた。


『なぜ畳みかけぬ!』


 そうしたいのはやまやまなんだけど、無茶な歩法で刀を振ったから呼吸が続かないんだよ。

 そうこうしているうちに幽鬼がぶるぶると震えだした。くそ、仕切り直しか。


——ヴ、ヴヴヴ


「ん?」


 幽鬼の姿がノイズが入った映像のようにぶれていく。


(おいおい、勘弁してくれ)


 幽鬼の姿が周囲に広がったノイズに溶け、再び姿を現した時、その背後には八メートルほどの巨大な幽鬼の立像がいた。

 半笑いになりながらせまりくるソレから逃れるため大きく跳躍する。

 俺のいた地面を激しく叩いたのは、巨大な幽鬼の左腕だった。

 幽鬼が伸ばした左腕をゆっくりと引く。背後の立像と幽鬼本体は連動しているということか。


 どうするか、などと考える前に俺はためらいなく新しい符を手元で燃やした。

 これで元の身体の四倍の力を行使する事になる。

 力、の量り方はわからないけど、筋力ならばチンパンジーと同じくらいだろうか。


「避けて!」


 カノの叫び声を聞きながら横に転がり幽鬼から間合いをとる。

 幽鬼が腕を振りかぶりこちらに向かってくる。

 足の運びも武術的にみれば拙いが、圧倒的な質量を前にそれはささいなものだ。

 逃さないとばかりに幽鬼が左腕を大きく横に振る。


「ッ疾!」


 飛び上がって左腕をやり過ごしてからの空中での連撃。

 停止した左腕を蹴って再び間合いをとる。足に神力をまとうのはかろうじてできたみたいだ。


「なるほど、攻撃してくる腕には神の力がこもっているんだな」


 ならば、優先すべきは身体じゃなく腕だろう。

 強化した身体で放った七連撃を襲いかかる巨腕にたたき付けた。


——ォオ!


 幽鬼が素早く地を蹴って後ずさった。


『今度はし損じるなよ!』


 御先神様の声を背に追撃しようと身体を沈める。

 が、そこで大きな違和感が生じた。


「空気が、冷たい?」


 みれば幽鬼が巨腕の手の平をこちらに向けている。氷魔法か!

 幽鬼が拳を握ろうと指を動かす。

 勘に身を任せて突進しようとした身体をひねると、一瞬前までいた場所に細長い氷の道が出来ていた。レーザーのように冷気を一点に収束させて瞬間的に凍らせるのだろう。

 転がって身を起こすと、幽鬼は不満げに左腕を振るい、氷の槍を折り砕き、それをそのまま手に持った。氷の棍棒、いや剣か。


 風をまいてせまる幽鬼の突進。なんとか鍔元で受けとめ競り合いに持ち込んだ。

 ギリギリのところで踏みとどまる。

 これならなんとかいけるか。

 俺は口元をつり上げる。力が均衡した事で、相手の膂力の底が見えたからだ。

 仕掛けるなら、今。

 左手の平に隠し持っていた呪符に神力を通す。


「ここでさらに倍!」


 まだ大して強くなっていないのに何枚も呪符を使ったからだろう。

 意識ががつりと遠くなる。

 だが身体の負担とか言っていられない。ここで決めてやる。

 体当たりで浮かせた幽鬼の身体へ七連撃、人が起こしたとは思えない音と共に氷の剣を跳ね上げる。

 幽鬼が左腕を動かし、巨腕でこちらをつかもうとする。刀では応じられない。

 だが、刀は刃だけで戦うものじゃない。

 右手にもった刀の柄で幽鬼本体の首を絡め、組み伏せ真下にあった左腕を踏みつける。

 左腕と連動している巨腕もこれで動けない。

 目を見開いた幽鬼を視界の端に留めながら、杭を顕現させた自分の左手をもっともダメージが通るだろう幽鬼の左腕めがけて、打ち下ろす。


——降魔鎮神


 左腕に杭が刺さった瞬間、視界に文字が爆ぜた。

 杭を通して、幽鬼に向かって何かが流れ込んでいく。

 恐らくこれは支配の力。荒魂である幽鬼はいわば杭そのもの。

 それに杭を打ち込めば、直接支配下に置く事になるのだろう。


「な⁉」


 しかしそうはならなかった。

 それまで止まっていた幽鬼がいきなり右半身を起こし、右の手刀を杭が刺さった自らの左肩に突き入れたのだ。

 続いて直下で起きた爆発に思わず顔を覆う。

 塵が晴れた直後、幽鬼は視界の先五メートルほどの場所で起き上がろうとしていた。


——神路断裂。分霊の一部のみ調伏完了。


 自切により完全な支配から逃れたか。

 視界に走る文字を見つつ、幽鬼の様子をうかがっていると、左腕に違和感を覚えた。

 指が動かしづらい、いや、どんどん動かなくなっていく。


——分霊の強制憑依開始。


 強制憑依?

 なんだそれは、御先神様はそんなこと言ってなかったぞ?

 疑問に思う一方、俺の身体に宿るスイ様の神力の感覚から蓋然性のある推測が頭に浮かぶ。

 恐らく本体を失った腕が調伏した俺の神力を得ようと接続したのだろう。

 俺が腕を動かせないのは調伏した神魂が要求する神力が多量なせいだ。

 比較すべくもないが、衰えた片腕にもかかわらずここまで神力を必要とするなんて、幽鬼の大本の神はどれだけ強力だというのか。

 少し離れた先の幽鬼はもう完全に立ちあがって巨腕をともなった右腕をだらりと下げている。

 理由がわからないが、左腕のせいで動けない俺を攻撃してこない。


 予想外の状況に戸惑っていると、幽鬼はゆっくりと右手をあげた。背後の立像が金剛力士像のように頬の横に拳を当てる。

 こちらに見せつけるように、いや、実際に見せつけているのだろう。こちらに、意図を汲め、と。


「……つきあう義務はない、が、他の道はないか」


 片腕一本分の神魂に憑依され、相手が如何に強大かわかった。

 片腕を落とせたのは相手の不意をついた成果。肉体の大部分が残っている幽鬼に勝てる可能性は限りなく少ない。逃げる事も同様だ。

 追撃されれば俺は負ける。けれど幽鬼は動きをとめ、拳をこちらに向けて待っている。

 生かすに値するか否か。幽鬼の試練を俺は超えなければならないらしい。

 問題は、どう”ソレ〟を実現するか、だが……


「結局、力技だな」


 覚悟を決めた俺は刀を置き、残った剛力の符を右手に持った。

 炎が顔を明るく照らす。腕の血管に輸血された時のように、手の平から体内にどくどくと神力が追加されていくのがわかった。また気が遠くなる。

 その神力を、身体に馴染ませていく。筋肉、骨に変化はない、が、自身が人の動きを、ひとならざるレベルで実現できるというのはわかる。

 そしてその力を左手に集中させると、あれだけ動かなかった左手が動き出した。

 左手をゆっくりと眼前に伸ばすと、その外側に、幽鬼の立像と同じ大きさの左腕が浮かんでいる。

 指を何度か開閉して力の具合を確かめ、ゆっくりと幽鬼に向き直る。

 そして、腰を沈め、幽鬼と鏡うつしになるように左手を頬の横に構えた。


「いくぞ」


 地を踏み抜く。視界の先にあるのは腕を振りかぶった幽鬼の顔。

 その顔は悪神のそれではなく人に試練を課す厳粛なる神の顔をしていた。

 引き絞られた巨大な拳が稲妻を帯び、帯びた稲妻を置き去りにして放たれる。

 なぜ神が存在するのか、なぜ悪神となったのか、なぜ試練を課すのか。

 未知は考察する間も与えてくれない。

 未知を恐れ、憎み、ゆえに暴く。それが俺のあり方だ。

 けれど、今に限って言えばそれは不要。未知は文字通り全霊を曝し、語り掛けている。

 言葉は単純。力を見せろ。

 そこに猜疑を挟む余地はない。


——降神撃ち(おりがみうち)。


 視界で爆ぜる文字を唱え、人の技を、人外の域でくりだす。

 自らの雄叫びと幽鬼の絶叫が交錯する。

 直後、それを上回る破砕音があたりに響いた。

 巨大な二つの拳が衝突し、双方が粉々になった音だった。

 せめぎ合いが消えた結果、勢いのついていた俺の身体はつんのめり、幽鬼の横を飛びすぎる。

 受け身を取り切れず、無様に地面に転がり、巨木の幹にしたたかに全身をうってようやく止まった。


「ふっ、ふっ……ふっ……」


 あやうい意識を補うように素早く息吹を繰り返すこちらを、幽鬼は追撃することもなく見つめていた。

 見定めている、といったところか。

 もう一戦必要か、と立ちあがった所で、幽鬼から石をこするような声が聞こえてきた。


『——呵々。なかなかどうして、やるではないか。神世の神力があるとはいえ、わしの腕を己に憑依させ使うとは』


 幽鬼の背後にあった立像は消え、今立っているのは左手を失った幽鬼のみだ。

 風にゆれる蓬髪の下、深いシワを刻んだ顔が牙をむくかのような獰猛な笑みを浮かべている。

 肩を揺すり、ひとしきり笑った後、幽鬼は残った右の手で俺の左手を指した。

 すると、浮かんでいた青白い巨腕が俺の左腕に吸い込まれていった。身体が一気に軽くなる。


『丁度良い。それは貸しておいてやろう。お前が強くなる事がわしにとっても都合がよいからな』


「どういうことだ」


 意味を図りかね、こちらが問いかける間に、幽鬼の周りを冷たい風がめぐりはじめた。


『そこのカラスにでも聞くがよい。この世はだいぶ面白いことになっているようだ。しばらくわしはこの日ノ本をめぐることにする。死ぬなよ』


 勝手に言うだけ言うと、幽鬼は輝く氷片の混じる旋風に溶け、消えてしまった。

 幽鬼が跡形もなく消えた場所を見て、幻覚だったかとも思ったが、左腕の形容しがたい違和感が先ほどまでの戦いが現実だったと教えてくれる。

 自分の左手に浮かび上がった紋様をじっと見る。あの荒魂は腕を貸すといっていた。

 ならば攻撃するのを止めただけで、奴は俺を”呪い”続けているのだろう。


「帰ってきて早々、妙な縁ができちまったな……降神」


 試しに言葉を唱えると、自分の左腕の外側に裸の巨腕が現れた。

 ずしりと神力が通る神路に負荷がかかった気がするが、最初ほどではない。

 おそらく幽鬼が手をかざした時になにかしたんだろう。


「……そういえば名前を聞くのを忘れたな」


 巨腕を鑑定してみてもエラーが出てくるだけだ。

 名前は神の強さをはかるきっかけになるかもと思ったけど、聞けなかったものはしかたない。

 俺にあずける事が自分にとって都合がいいとも言っていた、ならばいずれ会うこともあるだろう。


「ぐっ⁉」


 そう思った瞬間、全身に痛みが走った。

 こらえる間も無く膝からくずれおち、土の上に身を投げ出す。

 なお痛みは消えずに、無意識に足が地面をかく。これは、まずい。

 痛みの発端は左腕だ。だったら、荒魂の腕とつながったせいか、腕をつかったせいか。

 わからないが、解決方法がわからない以上お手上げだ。


「くそ、いずれにせよ詰んでたんじゃねぇか……」


 痛みの中悪態をつく。俺にできるのは自然に痛みが引くのを待つだけだ。

 そう思いじっと痛みに耐える覚悟を決めた俺の眼前の土に影が差した。


「アヤ……?」

「リクト、ちょっと息を止めてて」


 仰向けでしたこちらの問いかけに答える事なくアヤが胸の前で手を合わせ祈り始めた。

 直後、アヤの背後に巨大なスライムの塊が現れる。

 その中には光り輝く粒が踊っていた。活性魔素だ。

 頭上に降りてきたスライムを前に声を上げる間もなく、俺はアヤに言われた通り息を止めた。


 (痛みが……和らいでいく?)


 スライムに全身を包まれる感触と同時に痛みが治まっていくのを感じた。

 スライムが身体に染みこんでいくような感覚はなかなかむずがゆいけど、我慢すべきところだろう。

 時間にしてどれくらいか、気付けば俺を包んでいたスライムは消えていた。


「……アヤ、ありがとう」


「ん。リクトの魂が神力で悲鳴をあげてたから」


 魂。アヤは涼しい顔をしているけど、それはけっこうやばい状態だったのではないだろうか。

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