第20話 この世ではない場所

 頭がぼんやりとして、直前の記憶がない。

 頭だけじゃなく五感もおぼつかない感じだ。

 それでも、自分が車のハンドルにもたれかかっている事は手触りでわかった。

 運転をしていたのか、となると、事故でも起こしたか?

 怪我がないか、焦る気持ちを抑えてゆっくりと身体を動かしていく。

 幸い骨どころか打撲すらない。

 もうろうとした意識のまま、俺はため息をついて顔を上げた。

 外は濃い霧が立ちこめているのか、真っ白だ。が、次の瞬間頭の中も真っ白になった。


「……カノ?」


 助手席を見ると、カノがシートベルトに拘束された人形のように首だけ下を向けていた。

 瞬時に意識が覚醒するのと裏腹に、目の前の光景に最悪の事態を予想し心臓がぎゅっと縮む。

 そうだ、俺達は魔物に挟み撃ちにされて、魔法を放たれて……どうなったかわからないが、こうしている。無傷……だろうか。

 横を見る。本当に、無傷であってほしい。そうでなきゃ、こまる。

 シートベルトを外し、息をころし、無言のまま微動だにしないカノの身体に震える手を差しのばす。

 アウトドアジャケットがはだけたニットごしに肩に触れる直前、身体がゆれ 小さな笑い声が聞こえた。


「……やだなぁ、そんなに私がいなくなるのが怖いの?」


 こちらに顔を向け、ニマニマとこちらをのぞき込んでくるカノと目が合い、思わず伸ばした手で頭をはたきそうになった。


「おまえ、性格悪すぎだろう」


 止まっていた息を大きくはき出して文句をいう。

 カノを失うなんて怖いに決まっている。カノもそれをわかってからかってくるのだからたちが悪い。

 眉間のしわをもみほぐし窓の外を見ると、霧がわずかに薄くなっていた。

 地面に目をこらすと、河原のような丸石がみえた。あきらかにアスファルトではない。

 あの岩の巨人が放ったのはいわゆる転移魔法だったんだろうか。

 というのならここは一体どこなのか確かめる必要がある。


 外に出ようとドアハンドルに手を伸ばす。と、その手がギシリと止まった。

 止めたのは俺自身だ。

 そう、ついさっき未知の理不尽を味わったばかりだ。

 転移させられた先に何があるのか、皆目見当がつかない。窓の外に見える河原のような石が湖に浮かぶ泡でない保証はない、そもそもこの霧が酸性でない保証はないのだ。

 考え始めると、異世界の何を信じれば良いのか分からなくなってくる。

 一挙手が、一投足が、異世界の法則にさらされる恐怖が重くのしかかってきて身動きが取れない。


「ヘイユー、びびってるのかい?」


 振りかえると、カノが口を開けて挑発的に口の端をつり上げていた。


「まあ……そうだな。びびっている」


 余人なら否定するところだが、俺はあっさりと認めた。

 兄妹同然に育ったんだ。一度ばれたら言い逃れはできない。

 認めたら、恐怖で固まっていた頭の歯車が回り出した。


「ちょっと休むか」


 息をはいて改めてシートに身をあずけると後部座席の方からふよふよとロズがやってきた。

 手を伸ばしなでると、わずかにひんやりとした感触が伝わってきた。

 お前も心配してくれているのか?

 こわばっていた身体がゆるんでいく。

 有機物も無機物も溶かすロズだが、生きている俺の手を溶かすような事はしてこない。

 地球とは違っても、異世界に法則はある。

 ゴブリンだって重力に従っていたし、イノシシだって走る速さに限界はあった。

 それを考えれば、異世界は宇宙空間などよりよほど地球に近い法則で動いているはずだ。

 未知で理不尽だからといって、全くの混沌とは違うのだ。

 注意深くあればいい。なにをそこまでびびっていたのか。

 ふたたび大きく息をはくと、同じくのびをしていたカノと目があった。


「いくか」

「いきますか」


 先ほどの悪戯な笑みとは違うはつらつとした笑顔でカノが頷くのをみて、俺は改めてドアハンドルに手をかけた。

 静かに開けたドアから漏れてきたのは少し湿った冷たい風、梅雨時の煙霧のそれだ。

 気合いをいれるため息を一つつき、ドアを開け放った。


 一通り準備を済ませた後、丸い石を踏みしめカノと二人で車の前に立つ。


「どっちにいく?」

「車の真正面だな。戻ってきた時にわかりやすいように」

「おけー」


 俺を先頭に、ロズが続き、カノが短槍を持って後ろを警戒して進む。

 しばらく石を踏みしめる足音だけが霧の中に響いた。


「……なにもないね」

「だな。まだなにも見えないということは、かなり広い場所なんだろう。車で移動するべきだったか」

「かも、一回戻ろうか?」


 まだ百メートルも移動していないのになんとなく不安になる。

 こんな事を言い出すのは俺達が車社会の人間だからだろうか。


 などと立ち止まって考えていると、じゃり、と石を踏む音が聞こえた。

 無言で視線を送るとカノが頷き短槍を音のする方へ構えた。

 俺はその左前に進み、背負っていた大楯を両手で持って腰を落とす。

 大楯は機動隊の装備と同じ規格のポリカーボネート製。

 ただし持ち手は上下に平行につけている。上下左右に反らし、角で殴れるようにするためだ。

 そうして構えていたが、足音から察した歩幅と重さに気がつきおもわず口が動いた。


「……子供?」


 眉をひそめていると、霧の中から予想通り小さな人影が現れた。


「……」


 水色をした平安時代の水干をまとった十二歳くらいの子供が目の前五メートルほど先で足を止めこちらを見ている。


(ねえ、あれって人……だよね?)

(どうかな。魔物か、あるいは避難所の奴と同じ人形かもしれない……)


 肩で切りそろえた黒髪に伏し目がちな目。小作りに整っているので、どこか浮世離れしている。こちらの格好をみても驚かないどころか迎えに来た可能性すらあるこの子供は、こちらの事情は把握しているんだろうが、こう無言でいられてはどうしようもない。


「なぁ——」


 しかたなく子供によびかけると、後ろから水球が脇を通っていった。


「……え、ロズ? どうしちゃったの⁉」


 カノの呼びかけにも反応せず、ロズは子供の方へと進んでいく。

 それを迎え入れるように子供は身体を開き、元来た方へと歩きだした。

 なるほど、そういう事か。

 理解ができた俺は一つ息をはくと、構えた大楯を背中に戻した。


「……え、リクト? どうするの?」

「ついてこいって言っているんだ。いこうじゃないか」

「でも……」

「大丈夫、あの子供は魔物じゃない。くさびら神社の関係者だ」


 ロズは神社の境内で拾った。そのロズが何のためらいもなくついていったということは、そう考えるのが妥当だろう。

 となると、あの岩の巨人もくさびら神社の眷属と考えられる。

 どこからが仕組まれた出来事なのか、と思わず霧がかった天を見あげた。


「リクト、建物が見えてきたよ」

「やたらでかい屋根だな。京都でみた二条城みたいだ」


 先を行く子供とロズの頭越しに巨大な和風の建物が見えてきた。

 いくつもの建物が廊下でつながっている。

 映画でみた知識だが、寝殿造りというやつだろう。

 手前を流れる小川の上にかかった橋をわたると、正面の建物の入り口らしい階段の右脇にもう一人、桃色の水干姿の子供が立っていた。

 歩みを早めた水色の衣を着た子供が階段の左脇に振りかえって立つ。


「どうやらここで待て、ということらしいな」

「ロズの関係者、どんな人だろうね……あれ? なんか明るくなってない?」


 カノの怪訝な声に振りかえると、予想できなかった光景が広がっていた。


「カノ、後ろを見てみろ」

「後ろ? ……うわ!」


 一言でいうなら、そこは石に覆われた一面の大地。

 小さく見える俺達の乗ってきた車の向こうには草木も生えておらず、はるか遠くの地平線まで見渡せる。

 こんな景色が日本にあるはずもない。まさに異世界だ。


 しばらく呆然としていると、階段と廊下の向こうで衣擦れの音がした。

 振りかえりとりあえず膝をつくと、目の前に垂れていた御簾が音もなく巻き上がる。

 何が起こるかわからない。とりあえず視線だけは下げておこう。


 視線を上げていくと、そこには艶やかな十二単を着た美女が立ち微笑んでいた。

 濡羽色の黒髪に小作りの顔が大げさな十二単でいっそう際立っている。

 白磁のような白い肌を持つ顔立ちは伏し目がちでしとやかでありながら神々しく、いやがおうにも目を引きつけられた。

 どうやら彼女がここの主人らしい。


「危ないところを助けていただき、ありがとうございます。私は有馬リクト、彼女は結城カノで、ここにいるヨロズサビクサリのロズをくさびら神社から連れ帰った者です」


 事実を素直に述べると檜扇の向こうで女主人が微笑んだ。


「いと幸いなり。その御霊は我の目が離れたすきに現世にまぎれこんだもの。”ト”の神の化生はびこる現世にて露のように儚くきゆるべきところ汝等が化生が肉を食わせしめたため姿を保てり」


 どの時代の言葉だ? そもそも話し言葉なのか?

 こちらの言葉は理解できているらしく、女性は微笑んでこちらを見ている。

 とにかく感謝はしているようだし答えるか。


「偶然が重なった結果助ける事になりました。よろしければ貴女のお名前とこのロズの正体を、それに、”ト”の神の魔物についても教えていただけないでしょうか。私達は何も知らず、困っているので」


 そう答えると、隣で控えていた子供がなにやらこそこそと耳打ちした。

 すると女主人はきまずげに扇を口元に寄せて赤くなった。

 どうやら彼女の肌の色は化粧ではなく素のままで白いらしい。


「あいすまぬ……古い言葉で聞き取りづらかったであろう。これくらいの言葉であれば障りないか?」


「ええ、問題ありません」


 少し古いけど、そこまで求めるのは野暮だろう。それよりとにかく話を聞きたい。


「ならばよし。まずは名乗ろう。我は神ゆえに自らの口から真名を明かすことはできぬがくさびら神社の祭神なれば推し量ることもできよう。この場では気安くスイとでも呼ぶが良い」


 なるほど、可能性は考えていたけど、やっぱりくさびら神社の祭神を名乗るか。

 くさびら神社の事はあれから少し調べた。祭神の名前の一つはたしかスイジニノカミだったからスイはそこから来るんだろう。

 ファンタジーの次は神話の世界か。スイジニは古事記によれば神世七代の五代目、イザナギ・イザナミより古い神だ。そんな神がでてくるなんて、一体どんな事態になっているんだ?

 俺の様子にスイ……様は軽く苦笑いを浮かべた。


「お主にとってみれば信じがたい事であろうが、信じてもらわねば話ができぬのう」


 まるで心を見通すような言葉にぎくりとなる。


「いえ、疑っているわけでは……」


 慌てて弁解すると、スイ様は悪戯っぽく微笑むと衣をつと引き上げ、右へ身体を向けた。

 同時にカノの息を呑む声が聞こえた。驚いて当然だろう。衣が水にたゆたうように浮かんでいるのだから。


「お主等を召喚した理由は、立ち話で済ませるにはいささか込み入っておる。山海の幸にてもてなすゆえついてくるがよい」


 語り終えるとスイ様は子供達を伴って屋内へ入っていった。


「行くしかないな」

「是非に及ばず、だね。靴、脱いだ方が良いのかな」


 カノと二人でうなずき合い、とりあえず靴を脱ぐことにした。

 やっぱり日本の伝統は大事にしたい。

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