第18話 イノシシの群れ

「カノ、どうなってる⁉」


「……なんか車が一メートルくらい浮いて転がってった。ついでに後続車も巻き込まれた……」


 後ろを向いたままのカノからとんでもない報告がされた。

 あきらかにネットでみたガソリンの燃焼の範囲を超えている。ハリウッド映画じゃないんだぞ?


「ファンタジーが物理の世界まで侵食してきたのかな……?」


 カノが顔を引きつらせてつぶやくけれど、あながち間違いではないかもしれない。

 ファンタジーな現象が成立するためには世界の法則自体が変わる必要がある。

 今のところ車のエンジンも変わらず動いているしなにも変わっていないように思えるけど、これまでの物理法則は部分的に歪んでしまったのかもしれない。

 それに、変わったのは物理法則だけじゃないみたいだ。

 たった今自分が用意した爆弾が人を殺したというのに、心がまったく動かない。


「カノ、さっきの今ですまないが、なんともないか?」


 俺の言葉の意味を察したのだろう、カノは一瞬、こめかみに指をあててから頷いた。


「……うん、大丈夫。びっくりするくらいなんともない。なんならゴブリンを倒した時より落ち着いてる」


 口振りから噓は言っていないだろう。安堵すると同時に、あらためて不自然な現実に警戒感が高まった。


「そうか、俺も罪悪感がない。どうやら改変されたのは物理法則だけじゃないみたいだな」


 信者以外にも影響を与えたってことは神の上位存在のしわざか。自分の感覚をいじられるってのは気持ちよくはない。戦いやすくなるという意味じゃありがたいが。


「とはいえ、戦闘は避けた方がいい。とっとと神社に向かうぞ」


 幹線道路から曲がって白線のない田舎道に入り再び車を走らせる。

 ギアが切り替わった瞬間、ぞくりと走る悪寒に身がこわばる。

 直後、幾重もの叫び声が開けた窓から飛び込んできた。

 反射的にアクセルを踏み込むと加速した車の真後ろを赤い波が流れていく。

 おもわず変な笑いが口から漏れた。


「今度は何が来たカノ!」


「赤いイノシシの群れ! 後ろの奴等が追いかけてくる!」


「さすがだなファンタジー! この車は時速六十キロだぞ!」


 半笑いになりながらサイドミラーを見ると、ロードバイクくらはありそうな赤いイノシシが何頭も映っていた。

 イノシシの足は原付並みと聞くからそれより早いことになる。

 そして状況は俺達にとって優しくない。これから進むのは古い集落の中を通る拡幅もされていない道だ。

 古びた住宅地のコンクリート塀のそばに等間隔にならぶ電柱をギリギリさけながらアクセルとブレーキを細かく刻んでいく。


「もっとスピード出せない?」


「出したいが、道が狭くてこれ以上は出せない」


「じゃあさっきの爆弾は? イノシシが爆発で宙を舞うとかアニメ映画でなかったっけ?」


「ぼかしてくれてありがたいが、金属片を入れた液胞はさっきの試作品だけだ。そもそもこの状況じゃスマホを操作できない」


「最悪ぅー! 次回からあらかじめ用意しておく事を具申します!」


「ここを切り抜けたら善処するよ!」


 しょうもない事を言いあいながらY字路を曲がり、さらに狭い車道を走る。

 ここをしばらく走り、ぬけたら道幅が広がる。そうすればじきにくさびら神社だ。が、この状態じゃ神社に入るどころじゃない。

 まさかイノシシを引き連れて車で鳥居をくぐるわけにはいかないだろう。


「ピギィィィ!」


「うぉっ! あぶなっ!」


 イノシシの叫び声の直後に車が衝撃で揺れた。


「今後ろが赤く光った! なんか魔法っぽかったよ!」


 後ろを警戒していたカノが叫ぶ。

 ここにきて魔法か。距離が詰まったからなんか撃ってきたのか?

 ハンドルを握る手につけたドライビンググローブが濡れてきて気持ち悪い。

 それにしても、結構やばい状況だな……さっき出しそびれた鉄球も、仮に出せたとしても複数のイノシシ相手なら焼け石に水だろう。


 考え込んでると、運転に集中している視界の端にシャボン玉のようなものが映った。

 その姿にカノが声をあげる。


「ロズ⁉ 自分で出てきたの?」


 一瞬横を向くと、そこにはクーラーボックスに収まっていたはずのロズが浮いていた。

 本体の周りの足に何種類もの液胞を抱えて。

 家を出る前に消化させていたものの精製ができたから出てきたのか?

 俺達のピンチをさっして……はないか。自分が出したスライム玉でクーラーボックスが狭くなったから出てきたんだろう。

 それでもこのタイミングで新しい液胞が手に入ったのは大きい。

 出発前ロズには不要になるものやプラスチックを多く食わせていた。


「カノ、ロズの中にナフサと肉があるだろう。出してもらって投げつけるんだ」


「え、ガソリンはいいけど、肉ってゴブリン肉?」


 それらしいものを見つけたとたんにカノが嫌そうな顔をする。どんだけ嫌なんだ。

「ちがう、冷凍庫に保管していた鶏肉だ。帰って来れない場合を考えて食わせておいた」


「え、それあげちゃうの⁉」


 今度は先ほどとは違う意味で嫌な顔をしたけどすぐに首を振ってロズから目当ての物を受けとった。


「まあ生き延びればどうとでもなるか。ガソリンはイノシシが火属性魔法を使った時のためでしょ?」


「そういう事だ。体色やさっきの赤い光をだした所はいかにも、という感じだったからな。それに臭いから鼻が良いイノシシにはつらいだろう」


 言っているそばでカノが助手席から身体を外に出して窓枠に座った。いわゆる箱乗りというやつである。この地方では昔はよくある乗り方だったらしいけど今それはどうでもいいか。


「ほーらお食べー美味しい鶏肉だよー油もたっぷりだよー」


 カノがほいほいとスライム玉をなげた直後、イノシシの叫び声が上がった。

 あいつらの声は基本金切り声だから感情が読めないな。


「どうだカノ、効果あったか?」


「食べた。すくなくとも足が遅くなったよ。多分油が臭かったせい。肉にはあんまり反応しなかった……いやちょっとまって! やばいやばい!」


 車に滑り込んだカノが流れるようにシートベルトをした。直後、バックミラー越しに赤い光が目に入った。

 続いて車に衝撃、しかも三連続。

 カノが小さく悲鳴をあげる。もしかして選択ミスったか?

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る