第10話 緊急避難

 踵を返し、もう一体のゴブリンの死体を門の影に蹴り飛ばし、車に飛び乗り走らせる。

 窓を開けて耳をそばだてるが、悲鳴のようなものは上がっていない。

 幸いというべきか、ご近所さんのところには現れていないみたいだ。

 けれど、目的地のカノの家はセンサーで光る屋外灯が灯っていた。背筋がぞくりとする。いや、大丈夫だ。カノもじいちゃんからある程度仕込まれている。伊達に女一人暮らしをしているわけではない。


 とはいえ、ゴブリンの殺気は本物だった。アレにカノが対峙できるのか。

 俺だってやってみるまで自分が生き物を殺せるかわからなかったのだ。

 頭に浮かぶ最悪の光景を振り払い門から庭に飛びこむ。


「カノ!」


 LEDライトの白いあかりの下で、ゴブリンの死体を前に残心をとっていたカノがこわばった顔をこちらに向けた。


「リクト、リクト、どうしよう……」


 化け物とはいえ人型だ。襲われてとっさに返り討ちにしたんだろう。

 動揺しているのか、手槍の先がぶるぶると震えている。

 当たり前だろう。俺みたいにスライムを見て今がファンタジーの世界だとわかっているわけじゃないのだ。こんなことなら昼間に家に来た時にスライムを見せておくんだった。


「落ち着け、その化け物は俺のところにも来た。俺も倒した」


 血のついたマシェットを掲げて見せ、お前だけじゃないと教えてやる。

 しばらく経つと、不安定に揺れていた穂先と瞳が落ち着いてきた。

 最後に深呼吸して、カノはこちらを見据えた。


「ありがとう……大丈夫になってきた。こんなの初めてだからリクトが来てくれなかったらパニックになってたかも」


 カノの話では、寝ようとしていたところに不審な音がしたので内廊下を使って土蔵に向かうと、引き戸をゴブリンが破ってきたらしい。

 道場になっている土蔵に武器があってよかった。


「ックチッ!」


 カノが小さくくしゃみをした。

 よくみればパジャマにケープをかけただけだ。

 家に戻らないと風邪を引くだろう。

 早く温かい部屋に戻れ、と言いかけて気付く。


 いや、待て、カノをこのまま一人にさせていいのか?

 ゴブリン側の理屈がわからない以上、また別なゴブリンが襲ってくるかもしれない。

 二人で一緒にいてどちらかが警戒していた方がいい。

 いいのだけど、それだとどちらかの家に泊まることになるわけで……


「リクト、そっちの家に泊めてくれる?」


 こちらが言い淀んでいるのを察したカノが自分から提案してきた。


「それは……」


 振り返り言葉を呑む。カノはいたって真剣に提案している。お互いの命を守るためにそれが最善だというように。有無を言わせない迫力があった。

 俺は一人暮らしになってから、カノがどれだけ夜更かしをしようと家に帰らせてきた。

 好きな女の子が家にとまるなんて羨ましいシチュエーションと思う奴もいるだろうが、恋人にもなっていない間に泊めるのを許してしまうと、カノが恋愛できない“本物の”妹になってしまいそうで怖かったのだ。

 だが、今は四の五の言っている場合じゃない。


「ああ、わかった。着替えたら災害箱を棚からはずして背負ってこい。その間にこの死体を袋に詰めておく」


 ちょうど適当な米袋が転がっている。足ははみ出るけど問題無いだろう。


「わかった。けど、死体も持っていくの?」


 怪訝そうな顔でカノが首を傾げる。


「ああ、死体は一箇所にまとめておいた方がいい。それに実はその化け物以外にも話すべきものがあるんだ」

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