第9話 カノの事情
side カノ
「うーん、ちょっとたべすぎたかなー」
夜も遅いので手早くシャワーを浴び、寝る準備を調えてもまだ胃に食べ物が入っている気がする。
「よし、こういう時はカモミールブレンドのハーブティーにしよう」
何種類もティーバッグが入っている箱の中から一つ取り出し、台所から持ってきたカップのお湯に投入。
冷めないように上にソーサーをかぶせて、後は待つだけ。
「……」
エアコンの室外機が壁の向こうで響くのが聞こえる。
外はお正月という事もありいつも以上に人の気配がない。
長距離トラックがならす笛の音が遠くの方で聞こえる。ふたたびおとずれる静寂。
おもわず肩にかけたケープを引き寄せた。
一人暮らしには慣れているけど、パーティのような賑やかな場所からこの郊外に帰ってきた時は、少しだけ寂しくなる。
ふと衣紋かけにひろげている振り袖をみる。
白地におばあちゃんと一緒に選んだ振り袖。
高校生だった私は当時はまだ早いのに、と笑っていた。
でもおばあちゃんはなんとなくわかっていたのかな。私が振り袖を着られる前に、自分が死んでしまう事に。
おじいちゃん、リクトのお母さん、おばあちゃん。
一人一人欠けていくたびに空いていった胸の穴。その穴を今夜みたいな夜は、冬風が通り抜けているような気になる。
これ以上欠けて欲しくない。でもこれって私のエゴなんだよね。
『カノを幸せにしてちょうだい』
おばあちゃんがリクトに私の事を頼んでいたのを病室の影で聞いてしまった。
リクト、あの時の返事に、私、涙が出るほど嬉しかったんだよ?
おばあちゃんがいなくなるのとおなじくらい、リクトと他人のようになってしまう事がこわくて不安だったの。
『安心してくれよ。俺が、カノを護るから。家族になるから』
不安を否定してくれる言葉があったから、私は落ち着いておばあちゃんにさよならを言えたし、その後も明るくいられたんだよ。
その後リクトが本当に家族のような扱いを始めたのにはちょっとモヤッとしたけどね。それでも嬉しかった。
でも大人になるにつれて、私はまた不安になった。
リクトが誰かと結婚したらどうしようって。
大学時代、遊びに行くのに構内で待ち合わせをしたりした時、居合わせた友達はきまってリクトをかっこいいと言い、私の事をうらやんだ。
たしかに、リクトはそこらの大学生より全然格好よかったから当然だと思う。
それに、リクトから会社での話をきいてみても、リクトの周りの女性がリクトを好いているかわかった。
肝心の本人が鈍くて彼女らのアピールは空振りしていたけど。
でも、それは今までの話であってこれからどうなるかわからない。
だから私はバイト先やインターン先のお姉さん達に色々教えてもらい、お化粧も仕草もトークも練習した。どんな女性があらわれても負けないように。リクトにただの家族以上の存在と言ってもらえるように。
「だっていうのに、あの意気地なしときたら」
思い出したら怒りよりため息がでた。こちらがどれだけアピールしても結局何も言ってこないんだから。
まあ努力の副産物で日本屈指の大企業に入れたのはいいよ? でも先輩男性社員からうっとおしいくらいモテるようになったのは全然嬉しくない。
同性にやたら合コンや習い事に誘われるせいでいつも帰りが遅くなるし。
そんな友情のふりした監視なんてしなくても私はリクトとしか遊ばないのに。
これまで何度も口にしかけた言葉をつぶやいてみる。
「心配しないで? 私が好きなのはリクトだけなんだから」
口にした言葉を最後に、場に静寂が訪れる。
コトリ、ハーブティーをローテーブルに。
立ち上がって回れ右。そしてベッドへとダイブ。
「うわあぁぁ!」
足をジタバタと動かし、たまたまあたったぬいぐるみをポスポスと蹴る。
ごめんね白菜犬!
失敗した。口に出しただけで顔がまっ赤にほてっているのがわかる。
こんな事他人に言えない。ましてや本人になんて!
会社の肉食系の皆、よく人前で恥ずかしいセリフとか言えるね⁉
「はぁ……でも」
リクトも少しは彼らをみならってほしいよ。
なんて自分のことを棚に上げてぐちる。
いっとくけど、リクトが私の事を意識しているのは知ってるんだから。
今日だってソワソワと落ち着かなくキッチンの間を行ったり来たりして、ちょっと笑ってしまった。
それなのに、まだしぶとく現状維持をしようとしている。
『婚活はじめた、って言ってみたら?』
ある時背伸びしてはいったバーで隣に座ったお姉さんに提案された。
彼女いわく、リクトは現状に安住しているらしい。
つまり、私が日々やきもきしている、リクトが他の女にとられてしまうかも、という心配をしていないというのだ。
そんなの不公平だ、とその時思った私はお姉さんにお礼をいい、その足でリクトの家に押しかけ、婚活宣言をしたのだった。
「とかいって、さっき言われるまで忘れていたんだけど」
ばかだよね。うん。
酔いが覚めてみれば、酔っ払いの暇つぶしの適当な言葉を真に受けたことに激しく後悔した。
とはいえ、改めて訂正するには中途半端な話題。
もやもやしている内に無意識下に押し込めてしまっていたのだった。
「どうすればリクトにその気になってもらえるのかもうわからないよ……今日だって目一杯綺麗にしたのに」
うちの会社では年始会の時は着付師さんが呼ばれる。贅沢な事に会社のお金で女性社員はおめかしができるのだ。その後、会が終われば社内で私服に着替える。二次会まで出ればタクシー代も渡される。
でも私はリクトに早くみせるためそのままの姿で高速鉄道に飛び乗った。
チラチラと乗った人に見られて恥ずかしかったのに!
リクトの平静を装う姿を思い出し焦ったくてまたジタバタする。でもそれも次第に弱くなった。
「でもリクトは……一人で生きていける人だものね」
始めてあった時の事を覚えている。
手負いの獣のようだった。
手こそ出してこないけど、その代わりに誰も信じないと宣言するような視線をこちらに向けてきた。
そうなった理由は中学生になった頃、すでに病の床についていたリクトのお母さんから聞いている。
ひどい話だと思い憤った。と同時に、頑張ったリクトを尊敬した。
詐欺師の宗教家のいいなりになった父親から必死に母親をまもっていたのだから。
その時、私はリクトにその努力がむくわれて欲しい。とはっきり思った。
……やっぱり……一人はさびしい、と思うから。
静かな窓の外に向け私はぽつりとつぶやいた。
「……?……⁉」
研ぎ澄ませた感覚が、ふわふわとした思考に冷水を浴びせる。
何かが、敷地の中に、いる。
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