第3話 本当の未知〜スライム

 くさびら神社から帰った翌日。

 家の庭先で、俺は呆然とたたずんでいた。

「マジかぁ」

 目の前に鎮座する横一メートル程度の熱帯魚用の水槽には、一抱えほどある水球がカタツムリのようにのたりのたりとうごめいていた。

 昨日は帰宅した後、庭に放置していたアクアリウム用の水槽を洗って流木をいれ、その上に苔とスライムを入れて水とまだ屋外で飼っていたメダカを入れてガラス板で蓋をした。

そのあと近所に挨拶回りをして帰ってきたのが夜。酒も入っていたのでそのまま寝た。

 朝食を食べ、休みを満喫すべく庭に顔を出した途端、目の前に現れたのがこれである。

「一晩で巨大化なんてどんな生物だよ。成長しすぎだろ。いや、もしかして水を吸ったからでかくなったのか?」

 そこまで考えて重要なことに気づく。流木と苔がないのだ。アプリにあったなんでも分解するという言葉を思いだす。

「もしかして、全部溶かしちまったのか?」

 アクリルのフタは動いていない。状況からしてそうとしか考えられない。

 それでもこの目で確かめなければ。

 足元に生えていた雑草を抜いて水槽のふたをどかし、スライムの水球に乗せてみた。

 スライムの中に取り込まれた草は徐々に絵の具のように姿をにじませ、最後は細かい気泡をあげながら消えていった。

「本当に溶かすんだな」

 昨日は苔も溶かさなかったのに、身体が大きくなったから分解能力が上がったのか。

 水槽には苔、土、砂利、流木、それにメダカが入っていた。

 有機物、無機物関係なく溶かせるということなんだろう。

 捕獲した時は珍しい生き物を見つけたと子供のように思っていたが、さすがにこれは異常と言えるだろう。

「こういうときは検索だな」

 ネットに情報がないかスマホで【スライム】を検索する、が、出てくるのはファンタジー関係ばかりだ。

 学術的な内容はまったく出てこない。

「じゃあこうか?」

 和名の【ヨロズサビクサリ】で検索する。

 が、該当は無かった。

 和名はあのアプリで知ったものだ。

 あのアプリを使う人以外、多分知る人はいない。

 思わず身震いした。

 スマホを落としそうになりながら画面のアイコンをタップしカメラをスライムに向ける。

【スライム:和名ヨロズサビクサリ。古代アメーバ類に続する。中心の玉状の器官に取り込んだ物質を全て溶解させる。物質の分解能力は大きさによる……】

「何だよこれ……」

 このアプリだけが、目の前の水球をスライムと呼んでいる。

 この生き物はどこからきた? アプリは誰が作った? スライムは他に特徴はないのか? スライム以外に新生物はいないのか?

 自然と口元が吊り上がり、笑いが込み上げてくる。

 スマホをもつ手が喜びに震える。

 これまで培ってきた常識の壁にヒビが入り、内側から新しい現実がのぞいている。

「これだ、俺が求めていた本当の未知がここにある」

 まるで崖の中からドラゴンの化石を掘り出したような気分だ。

 この世はクソのような”隠された真理”に満ちている

 オカルト宗教家は偶然を都合よく解釈して超常の存在があると思い込ませる。

 論理的な検証より個人の内心が重要といって他人を孤立させ自分に都合のいい信者を作り上げる。

 そんな虚構の理屈をこねくり回す詐欺を一蹴するような圧倒的な未知。

 現代において純粋な未知に触れられるのは先端科学を扱う研究者くらいだ。

 それが今、一介の社会人に過ぎない自分が触れている。

 俺はこれを知りたい。本当の真実を知る者になりたい。

 胸の内の衝動にしたがい、天を仰ぎ息をはく。

 直後、冬の朝の空気が身体に染み渡っていった。

 見あげた空は高く澄み渡みわたっている。

 いつもと変わらないはずなのに、それすら懐かしく思えた。まるで子供の頃に戻ったようだ。

 霞がかっていた意識がはっきりしていく。

 これまで知っていたと思い込んでいた世界は今未知に溢れている。

 そうして一人、存分に全能感に酔ったのちにゆっくりと現実に戻った。

 アプリ【KUSABIRA】の正体も気になるけれど、今は目の前のスライムの特徴を知りたい。

 とはいえ好奇心のおもむくままに実験をするには個体数がたりない。殺してしまっては元も子もないのだ。

「とりあえず、これはやっておかなくちゃな」

 持ってきたガラクタの中からビール瓶を取り出し、スライムにのせる。

 この実験はスライムを手元に置いておくために重要なことだ。

 今スライムはガラス製の水槽から出てこない。

 が、今の段階では『出てこない』のか『出てこられない』のか不明だ。

 だからガラスを溶かせるか実験する。

 もし溶かせるならスライムはなんらかの理由で水槽にあえて入っていることになるのだ。

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