第2話 神社の苔とキノコ

「パン、パン」

 苔むした小山の前にある小さな神社の前で柏手を鳴らす。

 北関東のからりとした冬晴れの空に乾いた音が響いた。

 職場での年始会からの帰り道。

 近道をしようと普段使わない県道を車で走っていると苔むした鳥居が目に留まったので立ち寄った次第だ。

 俺の名前は有馬リクト。地方都市でサラリーマンをしている20代半ばの独身男性。会社にはそこそこ馴染んでいて趣味は色々なものに手を出していて……

 なんだか余計な事が頭に浮かんでくるけれど、神様に自己アピールをして悪い事はまあないだろう。


「天下太平、今の世が続きますように……」


 ごめんなさい神様、噓です。特に願いはありません。

 別に神を信じていないわけじゃない。こうして社に足を運ぶくらいには信じているし、敷地に入った以上、頭を下げる程度に敬意は払う。

 ただ、神が何かは知らないが俺は神に頼み事はしない。

 神が目の前に現れて、願いの代償を明らかにすれば話は別だけどそんなことはあり得ないだろう。

 現実は神の代理人を主張する宗教家が誰が決めたかもわからない代償を求めるだけだ。

 俺は宗教家が嫌いだ。

 中にはまともな人もいるだろうが、神を建前に他人を食い物にしようとする人間が多すぎる。

 そんな人間を罰せられないのだから、神はいないか、力が弱いか、彼らを許しているかのどれかなのだろう。

「なんて、ここの神様に言ったらどんな顔をするかな」

 神社の前でつぶやいた直後、自分の考えを鼻で笑った。

 冬の常緑樹の中、答えるものは誰もいない。

 それに、聞こえていたとしても神はどうとも思わないだろう。そんな気がする。

 さて、義理は果たした。予定通り遠慮なく境内を散策させてもらう。

 顔をあげて周囲を見渡す。

 拳ほどの白く丸い石が敷き詰められていた境内は外から見た以上に神域らしさを感じられる。

 境内を囲む森から滲み出るような苔との対比が鮮やかだ。

 石の感触を確かめながら境内の端に向かうと、まだ苔の侵食を受けていない平らな石に座った。

「あー癒されるわー」

 冬の空気は適度に身を引き締めてくれて、森の隙間から溢れる光はスポットライトのように石の上に落ちている。

 景勝地のような派手さはないけど、ありそうでなかなかない心地よさだ。

 こんないい場所なら誰かがSNSに投稿しているかもな。

 そう思ってモッズコートのポケットから取り出したスマホで現在地を検索してみた。

 入り口の石碑は苔むしていて名前がわからなかったのだ。

「へぇ、くさびら神社。キノコの神様なのか……」

 検索結果はこれだけだ。誰も来ないのだろうか?

 いや、石の上に森から落ちてくる葉っぱや枝がないということは誰かが手入れをしているはず。

 SNSに興味がない老人が手入れしているのかもしれない。

 だとすればその人には感謝だ。

 こんな落ち着く場所を独占できるんだから。

 生活圏から外れているとはいえ、自宅からここまで車で三十分とかからない。

「たまにくることにするか……ん?」

 スマホをしまおうとしたら、DM通知を知らせる音が鳴った。

 視線を落とすと、そこにはアイコンと煽り文字が踊っている。

「なんだ、広告か」

 単なる切っていなかったアプリによる広告通知だった。

 期待はずれの内容に思わずため息をついた。

 誰かからの年始の挨拶かと一瞬思っただろうが。

 アプリを切ろうと指を動かしたが、広告のアイコンをみてその指を止めた。

「キノコの神社でキノコのアプリ。これもご縁というやつか?」

 普段なら無視する広告をタップした。

「【KUSABIRA】……ってゲームじゃなくて鑑定アプリなのか」

 鑑定アプリというのは少しマイナーなジャンルのアプリだ。

 写真や動画をカメラに取り込めば草花や岩石の種類を特定してくれるのだ。

 このアプリは苔やキノコの類を鑑定してくれるらしい。

 ちょうど目の前は一面苔。ちょっと遊んでみるか。

 早速アプリをダウンロードして起動する。

 鑑定アプリらしい簡素な画面にあるカメラマークをタップする。これで起動したカメラに映った苔の類を鑑定するという仕組みだ。

「なるほど、このとんがっているのがスギゴケ、つぶつぶがスナゴケ。クジャクゴケにタマゴケ……へえ、こんなに種類があるものなのか」

 操作性も悪くないし、説明文が意外と本格的だ。

 

「どうせならキノコも見つけたいよな……」

 あたりを見回すと、ちょうど小山の後ろに長細く苔が盛り上がった場所があった。

 木々の間からさす柔らかな光に照らされたそれは苔に半ばおおわれた倒木だ。

 キノコはああいう場所に生えるはず。

「お、やっぱりな。コフキサルノコシカケ、サクラタケ……どれも聞いたことがない名前だな。へえ、クリタケは食用なのか。怖いから食べないけど」

 いくらアプリが種類を教えてくれても百パーセント正確とは限らない。食糧危機でも無い限りリスクをとる必要などないだろう。

「倒木に苔にキノコか……今度はテラリウムを趣味にするのも悪くないな。確か水槽なんかを使うんだよな」

 テラリウムについて語っていた職場の後輩を思い出す。

 今度始め方について聞いてみよう。

 昔アクアリウムをやっていたので道具はある程度揃っている。

「よし、じゃあここの苔をもらっていくか」

 腰に下げていた倒木の上の苔を丁寧に剥がし、手に持っていたコンビニの袋に入れていく。

 と、見慣れないものが目に入った。

「なんだこれ?」

 そこにはわらび餅のような玉を中心にもつ透明なものがあった。

「これもキノコかね……」

 スマホをかざすと反応。やっぱりキノコの類か……ってなんだよこれ⁉︎

 思わずスマホの画面を二度見してしまう。

 そこには【スライム】という文字が表示されていた。

 スマホを顔に近づけ詳細説明を読み進める。

「和名ヨロズサビクサリ。古代アメーバ類に属する。中心の玉状の器官に取り込んだ物質を全て分解する。物質を分解するはやさは物質の大きさ・種類による……」

 このアプリはいたって実用的なもので一度も広告や冗談が表示されたことはなかった。

 なのでこの説明も真面目と考えていいのだろう。

 よく見れば透明な玉の周囲のゼリー上のものが蠢いている。あれは貝やカタツムリでいうところの足なんだろう。

 はー、スライムってファンタジーじゃなくて実在したのか。

「なんだかこころなしか弱っている気がするけど珍しいし、これも持って帰ってみるか。全てを溶かすなんていうけど、流石に袋に穴は開けないだろう……開けないよな?」

 スライムの上にちぎった苔を乗せてみたが、溶ける様子はない。

 全てを溶解させるそんな存在が自然界にいればゴミ問題なんてとっくに解消しているだろう。

 とりあえず苔とスライムは庭に放置していた水槽にでも入れるか。

 前にはまっていたアクアリウムで使っていた倒木の上に乗せて下に水を入れれば様になるだろう。

 コロコロと趣味を変える自分の性分がこんなところで役に立つとはな。

 珍しいものを見つけたせいで心が弾む。

 うきうきとした手つきで苔ごとスライムを袋の中に入れるその場を後にした。

 鳥居を出て道路を渡り、自分の車に乗り込む。

 あれ? そういえば冬にキノコって生えるものだったか?

「いや、生えるか。たしかマイタケは雪の中から見つかるらしいし」

 ふと頭をよぎった考えに自問自答し、帰ってからの作業に思いを馳せながら車を走らせていった。

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