2-32.見事な逃げっぷり

 悪夢のような急展開に、あたしとカルティは半泣きになる。


 激おこライース兄様……怖い!

 本編が始まっていないからって油断した!


「や、やっぱり……ら、ライース兄様に……じょーばは、おしえて……ほしいのですっ」


 恐怖に全身を震わせ、涙を浮かべながらも、辛うじてそれだけを絞りだす。


「ほ、ほかのヒトじゃだめです! ライース兄様じゃないとだめです!」

「うん……?」


 突き刺さるような視線が少し緩くなったのを感じる。


「お、お兄様が! ライース兄様がいいですぅっ!」

「わかった」


 あたしの魂からの叫び声に、緊迫していた空気がふっと緩む。


 顔をあげると、いつものライース兄様があたしに優しい眼差しを向けていた。


(た、たすかった――)


 カクカク震えながらも、カルティはなんとか体勢を整え、ワゴンを押しながら食堂を出ていく。

 じつに見事な逃げっぷりだ。


(か、カルティ! あたしをひとりにしないで――っ)


 あたしよりもお祖母様が大事なカルティには、あたしの心の声は届かない。

 振り向いてもくれない。


「…………」


 食堂の中には、あたしとライース兄様のふたりだけになった。


 室温は常温に戻ったが、大量に噴出した冷や汗で、背中が湿って気持ち悪い。

 まだ身体が恐怖で震えている。


「ら、ライース兄様……」

「なんだい? レーシア? どうしたんだい? そんなに震えて……」


 ライース兄様はあたしの隣の席に移動すると、あたしの頭をナデナデする。


 ガタガタ震えているのは、あなたのせいです!

 あたしはライース兄様に怯えているんですよ!


「な、泣いているのかい?」


(え……?)


 ライース兄様の指摘に、あたしは首を傾ける。

 すると、その拍子に、ぽたぽたと頬から涙の粒が滑り落ちていく。


「う……うわわわああん――っ」


 手で拭い取った涙を見たとたん、今まで抑えていた感情が爆発する。


 恐怖と、恐怖から開放された安堵と、木登りや乗馬訓練を拒否された悔しさ。


 そして……。


 死亡イベてんこ盛りのゲーム世界に転生してしまい、緊張の連続ですり減っていく心に、六歳児の感情が耐えきれず爆発した……。


「レーシア……」


 とまどいを含んだライース兄様の声が聞こえ、ひょいと身体が持ち上がる感覚の後、暖かな温もりに全身が包まれる。


 あたしはライース兄様の膝の上で抱っこされていた。


「う、う、うっ……っ。うわわわああん――っ」


 ライース兄様の胸の中にギュッと抱きしめられ、あたしは大声で泣き始める。


 哀しいのか、嬉しいのか、悔しいのか……なにがなんだかさっぱりわからない。

 ただ、どうしようもなく、涙が溢れ、泣きたくてたまらない。


「ごめん、レーシア……。びっくりさせた……かな?」

「ら、ライース兄様は……ず、ずるい……です……」


 そんな……そんなに、優しい声で囁かないでほしい。

 背中を愛おしそうに撫でないでほしい。


「レーシアは、泣くほど……馬に乗りたいのか?」


 あたしは首を左右に振る。


「あた、あたしは……じぶんで……馬に……の、のれるようになりたい……の……です……元気な……こになりたい……のです」


 途中でひっくひっくとしゃくりあげながらも、なんとかライース兄様にあたしの気持ちを伝える。


「わかった。レーシアの体調が悪くならなければ、乗馬は三日後からはじめよう。木登りは……馬を乗りこなせる体力がついてからはじめようか?」


 柔らかい声が、震えているあたしの心のなかに染み込んでいく。


 あたしはコクリと頷くと、再び泣き始める。

 感情のコントロールが上手くいかず、涙がつぎからつぎへとあふれでてくる。


 これだけ派手に泣いたのは……いつぶりだろうか。


 今世で双子の弟が死んだときも、あたしは泣かなかった。泣けなかったのだ。


 涙ひとつぶこぼそうとしない、可愛げのない子どもだ、メイドたちが陰で囁いていたのを知っている。


 前世だと……特番で放送されていた『涙なくては見られない懐かしの名作アニメベスト50』を見たとき以来だ。


 絵描き志望の少年が、飼い犬と一緒に凍死するシーンを不意に思い出し、さらに悲しくなって涙がでてくる。


 ライース兄様はいつまでも、いつまでも、あたしの背中を撫で続けてくれた。



***********

お読みいただきありがとうございます。

フォローや励ましのコメント、お星様など、お気軽にいただけますと幸いです。

***********

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る