2-31.激おこライース兄様

 思いっきり顔を顰めながら、ライース兄様が反論する。


「あたしは馬にのりたいのです。おーとにいらっしゃるおねーさまは、馬にのれないのですか? お祖母様は馬にのれないのですか?」


 あたしの言葉に、ライース兄様はこめかみを押さえて沈黙する。


 言葉に詰まったということは……アドルミデーラ家の女性は馬に乗れるのだろう。

 たぶん、乗れる。乗れるはずだ。


「馬車で移動すればよいだろう? 今度の誕生日に、レーシアの馬車とそのための馬、専属の御者をプレゼントしてもらうよう、父上にお願いしておくから」


 ちょ……ライース兄様! 七歳の誕生日に、馬車セットをぽーんとプレゼントだなんて……おかしくないですか!


 それに、馬車は機動力が落ちるし、狭い道は役に立たない。なにより目立つし、コソコソもできないし、単独行動ができなくなるじゃない!


 あたしは、優雅な侯爵令嬢ではなく、死亡イベントを阻止する攻略令嬢になりたいのだ。


 馬だ!

 馬!

 馬車ではなく、馬に乗りたいのだ!


「わかりました。ライース兄様」

「そうか」


 テーブルの上に転がったカップを拾い上げ、カルティに手渡しながら、ライース兄様はにっこりと微笑む。


(ひ、ひぃ……っ)


 あ、あいかわらず、ライース兄様の女性を骨抜きにする微笑は心臓に悪すぎる。


 また、感激のあまり気を失ったら、再びベッド生活に逆戻りとなるので、あたしはぐっとお腹……丹田あたりに力を込めてなんとか踏みとどまる。


「ライース兄様がじょーばを教えてくださらないのなら、あたしは、カルティにじょーばを教えてもらうことにします」

「え…………っ」


 あたしの発言に、ライース兄様の微笑が凍りついた。

 と、同時に、黒い双眸に殺気ともとれる禍々しい光が灯る。


「ひぃぃぃぃっ!」


 カルティの口から悲鳴が上がり、よろめいた拍子に食事を運んできたワゴンにぶつかる。

 ワゴンの上に載っていた食器がガチャガチャと不協和音を奏でた。


(ギャ――っ!)


 あたしは、心の中で悲鳴をあげる。


 怖い!


 ライース兄様の顔がめちゃくちゃ怖い!


 こ、これは……ファンが狂喜乱舞した差分イラストの激おこバージョン(の若い版)だ!


 鑑賞するぶんには美麗だが、実際に遭遇すると恐怖で身がすくむ。というか、心臓が止まったかと思った。

 室内の温度が十度は下がった。


 いや、室内温度はこの際、どうでもいい。


 早くフォローしないと、ライース兄様との『親密度』と『仲間密度』が急下降してしまう!

 降下どころか、地に激突、マイナスにまで下降することを予告する表情だった。


 ライース兄様の激おこバージョンはめったに見ることができない。


 だが、この表情がでたら、九十九パーセントの確率で、死亡イベントが発生するんじゃないか、と噂されるくらい、ヤバい現象である。

 死亡スチルマニアにとっては尊死な表情だが、通常プレイヤーにとっては、ちっともありがたくない展開だ。


 八歳のカルティは、ワゴンにすがりながら、ガタガタと震えている。

 ライース兄様の静かなる怒りにすっかり怯えきっている。


 これ……もしかして、というか、もしかしなくても、カルティとの関係もやばいんじゃないの?


「お、お、おじょうさま……」

「な、な、なに?」


 顔面蒼白なカルティがすがるような眼差しをあたしに向ける。


「わた、わた、わたしは、まだ……うま、う、うまをお、おしえるほど、じょ、じょうたつ、して、おりましぇん」

「うっ……ん」

「で、で、ですから、おじゃうさまに……うまの……おしえる……など、むむむ、むりです」


 ブルンブルンと頭を思いっきり振りながら、舌をかみながらも、カルティは全否定する。

 今にも泣き出しそうだ。


「う、わ、わかった。カルティ。だったら、べつの……ひぃっ」


 さらに室内温度が下がる。

 怖くてライース兄様を直視できない。

 目と目があったら、まちがいなく、あたしは死ぬ!


 石になる!


 凍りつく!


 死亡する!


 虚弱な六歳児の心臓では、この試練を乗り越えることなどできない!


 心臓が止まって死ぬっ!



***********

お読みいただきありがとうございます。

フォローや励ましのコメント、お星様など、お気軽にいただけますと幸いです。

***********

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る