第2話

2023年12月28日木曜日。大阪・本町のとあるアパート。21:30過ぎに、男のケータイが鳴った。杉村剣心は通知の内容を確認し、一旦、ケータイを机に置いた。わかっていた。今日、薫が東京から帰ってくる。いつの間にか毎年の恒例のように、12月28日に帰ってくることになっている。それは薫の会社の仕事納めが28日だからという理由なのはわかるが、毎年、そんなに急ぐ必要ないのに…と、剣心は思っていた。これをそのまま薫に伝えると、

「ただでさえ遠距離なんやから一日でも早く会いたいの!なんでそんなんもわからんの?」

と剣幕を立てて詰め寄るだろう。ふわっと考えただけで、男の背筋がぶるっと1回震えた気がした。別に恐れているわけではないし、愛していることは嘘では無い。薫は、自分にとってはもったいない人だとも思う。ただ、最近の薫はどこか苛立ちというか、焦りというか、、、薫自身が自覚しているかどうかはわからないが、男はなんとなくそんな雰囲気を感じ取っていた。そしてその原因が何か、という想像は容易にできるし、だからこそしたくなかった。剣心はこの原因であろうものに気づいた日から、少し薫との間に距離感ができたような気がしていたのだ。

またこの思考の渦にはまりそうだったので、剣心は風呂に入ってその渦から逃れようとした。浴槽に浸かりながら、あえて大声で変な歌を歌ってみたりしたが、そこまで効果は出なかった。

風呂から上がり、髪を乾かしながら、ケータイの通知の内容をもう一度確認する。


LINE 薫 “最終に間に合った!12時前にそっちに着きます”


「そっちに着きます」ということは、つまり「迎えに来い」ということだ。言い換えればこのLINEは、最終に間に合うぐらい遅い時間の電車で帰るから新大阪まで迎えに来い、ということになる。可愛い彼女のためを思って、迎えに行くことに対して納得がいかないというわけではない。女性が終電近い時間に新大阪~本町を、一人で歩いて(あるいはタクシーで)移動することの危険性もわかる。薫の会社より仕事納めが一日早い27日で、今日は休みだから迎えに行ってあげる方が親切であるということもわかる。

ただ、「迎えに来てほしい」という言葉が欲しかった。たったそれだけのことだから、薫には黙っていようと決めている。言えるわけが無い。こういう積み重ねが後々別れ話に…という話も耳にするが、それでも言えるわけが無い。

22:10。…なんと返信すれば良いだろうか。トーク画面を開き、3Dタッチで既読をつけないように何度も親指を強く押したり離したりを繰り返しながら、眠気がかった頭で考えた。眠気がかった、と表現したが、実際は風呂に入ったため眠たくはなかった。だがこういうことを考える時に、頭に靄が掛かっているような気がするのだ。そんな頭でも薫のLINEを深読みし、欲しい言葉がなかったことを一瞬で見抜いた。

“了解、迎えに行きます”

と文字を打ち、一度消した。自分が薫の思う壺になっていることを拒み、距離感を演出している感じがした。次にスタンプ欄を開き、「了解を端的に伝えるもので、嫌みな感じはせず、かつ素っ気なさも感じさせないもの」を探したが、金髪の男が髪をなびかせながら指でOKサインを作っているイラストのスタンプか、茶色い熊が真顔でOKの看板を掲げているスタンプしか見当たらなかった。両方とも、デフォルトでLINEにインストールされているものであり、そのことはLINEユーザーには周知の事実であるため、雑に済ませた感が滲み出てしまう。どうしたものかと、男は悩んだ。


“了解、迎えに行くね”


送信。“迎えに行きます”を“迎えに行くね”という敬語崩しで距離感を誤魔化すことにした。しかし送信した後、送信時間の22:15を見て、返信スピードでもう距離感があるな、と気づき、無駄なことに頭を使ったかもしれないと後悔した。


さっきまで着ていたジャージに袖を通そうとしたが、さすがに上下ジャージで外に出るのは憚られたので、下だけスエットに履き替えた。毎年、迎えに行くときに同じスエットを履いているような気がするが、薫には気づかれていないだろう。なぜなら履いている自分ですら曖昧なのだから、他人が覚えているはずがない。

家を出るまでにはまだ時間があるため、テレビをつけて時間を潰すことにした。年の瀬を感じさせる番組ばかり放送されており、今年1年を振り返る映像がどのチャンネルをつけても流れていた。先程の思考の渦に再度巻き込まれないよう、逆に集中して画面を見るよう努めた。考えそうになる度にチャンネルを変え、目の前の景色を変えることで渦を避けた。チャンネルを変えるスパンがどんどん早くなっていったような気がしたが、それに気を取られるとドツボにはまるため、これも考えないように努めた。仕事は昨日で納めたはずなのに、努めることが多かった。


23:00。湯冷めしないよう、玄関のドア近くのハンガーに掛けてあるダウンを羽織って外に出て、本町駅まで歩き始めた。そして23:29。御堂筋線の電車に乗り、新大阪駅へと向かった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新幹線「のぞみ号」 板東英ド @jackson94

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ