第112話 ただの理想に力はなくとも
勝手に吉川の重臣たちが居並ぶ中に喧嘩を吹っ掛け、倒された用心棒の鮫之介。その倒れたサメの肩口を狙って木刀が振り下ろされるが、それは肩へと突き刺さる前に軌道を変え、真横へと吹き飛んだ。
「……何のつもりだ?」
「アンタの言う事は確かに正しい。だけど、力だけで民を押さえつけるのもまた、違うとは思わないのか?」
木刀を弾き飛ばすために抜いた刀を鞘に収めて問うてみる。何故自分がこんな暴挙に出たかはわからないけど、なんかこう、腑に落ちなかったんだ。それに。
「少なくともコイツがアンタに、勝てないのは分かっても何度も向かっていく姿に俺は感銘を受けた。ただの理想に力は無くても、それを突き通そうとする姿が誰かの心を動かして賛同を得ていったなら、それが力になる事だってあるんじゃないかと、俺は思う」
何故ならそれは、俺がそうだったからだ。
この奪い合いの戦国時代に『交易でみんな豊かに』なんて、俺がもしこの時代に生まれ育って武田信玄の立場だったらとても信じられずに、奇麗事がと鼻で笑い飛ばしていたかもしれない。でも、それを信じて支援してもらった末に、今の俺がある。
「どうしても尼子再興って唱えてる奴らの言い分は知らないけどな。サメの言い分だけを聞くなら、この出雲から搾取するだけじゃなくて豊かさも分け与えていけるとしたら、こんな不満の声も上がらないんじゃないのか?」
「何を馬鹿げたことを。そのような事をすれば毛利に不満を持つ尼子の旧臣を支持する者達が、銭の力で反乱を企てるようになるに決まっておろう」
「あら、そうかしら? 此処の御屋形様は寿四郎と同じ考えみたいよ?」
不意に違う方向から声聞こえて振り返ると、光が手に何か書状のようなものを持っていた。どうやら騒動の最中にこの大広間の何処かから見つけてきたものらしい。それを見た元春が慌てて取り戻そうとする。
「貴様、それはワシが輝元に宛てた……」
「今の騒ぎで懐から取り落としたのね?まあいいわ。
『どうか今一度、考えては貰えぬだろうか?出雲にて不満が絶えぬのは一向に暮らしぶりが良くならぬがゆえ。米子の鍛冶職人や金工職人を保護し、南蛮渡来の品を扱う店も我が吉川家の元で許可すればこの地にも豊かさが生まれ、次第に尼子を推す声も鎮まるはず』
ふぅん。アナタちゃんと民の事とか考えられてるんじゃないの」
手紙を読み上げて自慢そうな顔をする光と、家臣たちから驚いたような顔で見られ、狼狽える元春。思わぬところで形勢が大逆転だ。元春はこめかみの辺りを押さえながらしばらく険しい表情で考えた後、重い口を開いてこう告げた。
「ワシとて……この出雲に暮らす民たちの事を考えておらぬ訳では無いのだ。じゃが、何事も輝元と隆景に諮って同意を得てからでなくては決めることも出来ぬ。それが、父上の遺言である以上はな」
そう言って悔しそうに唇を噛みしめ、3本どころか5本くらいはありそうな矢の束を掴んでバキバキとへし折る。それはまるで『三矢の教えなど無くとも自分の力でどうにでも出来るが、しがらみでそうは出来ない自分へのもどかしさ』を憂いているように見えた。
「浜寿四郎どの。他家の客人にこのような事を頼むのは申し訳ないが、どうかお願いだ。この出雲に住む者達の為、我が吉川家の者たちが無用な争いに奔走しなくても良くなる為、どうか力添えを願えぬだろうか?
ワシ一人では説得する事能わずとも、力でも策でもなく和を以て駿河・甲斐を治めた寿四郎どののお言葉ならば、我が甥と弟も説得する事が能うのではないかと思うのだ」
土下座と言っても過言では無いような姿勢で頼み込む元春の姿に、困惑する吉川家の人々。
当然だ、俺も困惑している。俺より少しはアタマが回るであろう軍監に何か良い返答はないかと救いを求めるように視線を送ったが、露骨に視線を外されてしまった。
お前はこんな時に役に立たなくてどうすんだよ、マジで。
「構わないわ。でも代わりにあなたもちゃんと来るのよ」
「むぅ……それは」
「当り前じゃない。自分の要求を通すのに人任せにするつもり?」
答えに困っている俺の代わりに光が答える。信玄の時もそうだったがコイツ、誰かに言葉を選ぶって事が全然無いな。まあ言ってる事は間違ってると思わないからそれを咎めたりもしないんだけどさ、俺も。
「分かった。行くつもりは無かったのだが仕方あるまい。ワシも同行しよう」
渋々、といった態度の元春に『それが人にモノを頼む時の態度?』と追い打ちをかける容赦のない光。
こうして、毛利両川の1人・吉川元春と共に今度は現在の毛利家本拠地・広島城へと向かう事になった。
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