閑話 左馬之助剣客修行譚 其之壱 出奔
今回の話は少し時間を戻して
曳馬城での敗戦から少し経った時期のお話です。
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「くっそ!! あんの野郎……ちきしょう!!! 」
ここは東駿河から富士のふもとへと向かう、険しい山道の途中。さっきから一人で誰に向けてともなく怒鳴り散らしながら大股で歩き続けている男が居る。
通称サバこと青井左馬之助。さっきまで東駿河国衆、はま家の武将だった男である。いや、辞めると公言したわけでも無いし手紙なども残していないので、何食わぬ顔で今引き返せばまだ武将を名乗り続ける事は可能だ。しかしそれは彼のプライドが許さなかった。
「何でだよ……くっそ!! この大馬鹿野郎めッ!! 」
事の発端は数か月前、遠江曳馬城周辺での戦いに参加した時の事。
味方だったはずの今川方に退路を塞がれ、目の前の松平軍からも包囲されかけていた彼とその主らはなんとか活路を見出すため、敵陣の中央を切り崩して退路を開こうとしていた。
普段は無敵を名乗り一騎当千の働きをする彼ではあるが、味方が全く居ないところで敵に囲まれて主君を守りながらの立ち回りでは普段の半分の力も発揮できない。その上、敵は鉄砲まで使用してきて絶体絶命の状況。
(ダメだ、さすがにこの状況は……ここまでか。)
さすがの左馬之助もそう思わざるを得ない、と判断した時だった。身代わりとなって絶命した正室の姿を見て泣き叫ぶ主から、獄炎のような憎悪の炎が立ち上がる!!
……かのように彼には見えた。その後、主君は鬼神の如き気迫で一瞬にして自らを囲んだ敵兵を3名も薙ぎ倒し、さらに包囲を抜けて松平家康の籠る曳馬城へ縺れる足を向ける!
その姿はまるで修羅のようだった。
だがそれは一瞬の出来事で、銃撃を受けて出血の酷い彼の身体はそのまま地面にめり込むように倒れ込む。敵兵たちは先程までの気迫に圧倒されているのか、槍を突き出してトドメを刺す事を躊躇しているのが分かる。
(若があれだけの生きる執念を見せたのに、俺は何を諦めてんだ?)
その瞬間、諦めかけていた自分に対して猛烈な自己嫌悪を覚える。
ここで主を救う事をせずにトドメを刺されるのを黙って見過ごしたとしたら、それこそ自分は三国一の恥晒し、二度と槍を持つ資格のないクソ野郎だ!
そう思って倒れた主を囲う敵兵に向かって走りだした。
槍を振り回し、届く範囲の敵を全員薙ぎ倒すと今度は槍を投げ捨てて走り抜け、刀を抜いて斬りつける。主を囲んでいた敵が誰一人残っていない事を確認して主を担ぎ上げ、背負いこむようにして立ち上がった。全身に具足をまとった男一人の重量はとんでもなく重い!この状態じゃ槍を振るうのはどうやっても無理な話だ。
「っしゃあ! こうなりゃヤケだ! やってやらあ!! 」
自分を奮い立たせるためにそう叫ぶと片手で刀を振るいながら走り出す。
戦の繰り広げられている外側へ、とにかく同じ方角へ。
そうやって幾重もの敵の包囲を切り抜けて、敵の姿も味方の姿も誰も見えない雑木林の中までたどり着いた所で気力と体力が尽きる。だが……生き残る事には成功した。
その後、駿府へと戻る今川軍と遭遇しないように気を付けながら野宿をし、行く先々の農民に僅かな粥などを恵んでもらいながら何日もかけて東駿河のはま城に辿り着く。
幸い、主も命は繋ぎ止めてくれたようだし、自分も逃げる途中で敵の槍が腕や足を掠めた程度の浅い切り傷だけで済んだ。だがあの戦場で自分は一度は主君を逃がし切る事を諦めようとした、その後悔だけはいくら拭おうとしても消えなかった。
(俺がもっと強ければ……クッソ!!)
身体が満足に動かせるようになってからはずっと槍の稽古に明け暮れていたが、いくら無心に槍を振るい続けても達成感を得られることは無かった。
日が暮れて、稽古を終えて砦に戻る。狭い砦の中で生活していればどうしても、不自由な右肩をだらんと下げて不便そうに生活している自分の主君の姿を目にしてしまう。自分のせいでこうなっちまったんだという現実を、逃げようとした弱い自分を突き付けられるような気がした。
(もっと……ここに居たのでは掴めない強さを……)
その想いはどんどん強くなっていき、誰にも止めることは出来なかった。
秋が終わる頃、左馬之助は戦いに身を投じる為、長く過ごした東駿河を離れる事にした。
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