第11話 甲斐の葡萄でまさかまさかの!
翌朝、タコ坊主・タイ坊主の二人と山伏の格好をして、富士川沿いを北へ進んでいく。
距離にして18里(約72キロ)緩やかな登りで街道もある程度は整備されているので移動しやすい。とはいえ1日10時間も歩くのは、現代人として生きてきた時間の方が長い俺にはきついのだが。
山伏二人は旅慣れたもので途中で襲ってくる山賊なんかも素手で虫のごとく打ち払い、野宿も全く不安無く野営できるようだ。俺も早くこの時代で生き抜けるサバイバル能力を身につけないとだな。
翌日の昼過ぎ、甲府の外れにようやく到着した。
この地域では貴重な海の魚の干物に人々は喜んでくれたが、俺が望む米との物々交換に応じてくれる者は少ない。
「この甲斐の地は元々土が瘦せていて実りの少なき地。それに加えて昨今はまた、
確かに、武田信玄にとって上杉謙信は終生のライバル。何度も川中島で数万の軍勢を動員して戦ったってのは知ってる。もちろんそんな数の兵を動かすには、大量のコメが必要だ。
でもそんな事情はともかく、米が手に入らないのは痛い。
「それじゃあ米も無しに、農民は何を食って凌いでるんだ?」
「このように麦を潰して練って伸ばしたものを野菜と味噌で煮込んで、米の代わりに食っております。よろしければどうぞ」
そういって老婆が干物と引き換えに大鍋から椀に掬った物を差し出す。
ピカーン!! 山梨名物『ほうとう』!!
コレがあったんだな!! 美味い!!
ほうとう用に育てた小麦と大根人参などの根菜、それから僅かだが米と味噌、それから蕎麦の実なんかも譲ってもらう。望み通りではないが、これで少しは足しになりそうだ。
「今の季節にはないですが夏には桃や葡萄、秋には栗なんかも山で採れます」
どれも多分、海沿いの駿河には無いものだ。ぜひ欲しい! それと……
「あの山の方が白いのは……雪があるのか?」
「この辺りでも降るのは北の方に少しだけですじゃ。珍しいですかの?」
この時代、当たり前だが冷蔵庫なんて便利な文明の利器は無い。温暖な駿河では年中雪が降ることは無いから、雪を手に入れることで食べ物の、特に生魚の鮮度維持管理が出来るなら恩恵は大きい。
多少遠回りにはなるが、干物を売り切って空いた桶に入れて持ち帰る事にする。帰りは富士川を筏で下る事にしたので途中で野宿する必要もない。こうして持ち帰った品々と情報を砦の皆に伝えると大層喜んだ。
腹を空かせて待ってるかと心配したが、昨年年貢を半分にしてやった農民たちがウチの状況を聞いて心苦しく思ったのか、領主に内緒でいくらか米を運び入れてくれたらしい。助け合いってこういう事だよな。
「うめぇーーーー! このほうとうってェのと猪肉の組み合わせ最強だわ! 」
「これ左馬之助!! 野菜もちゃんと食え……ってもう肉が無いではないか! 」
「あ? 弱肉強食っつってな! つえー奴が肉を食う決まりなんだよ! 」
現代も戦国時代もこういうやり取りって変わらないんだな。
その後、月に1、2度ぐらいの頻度で甲府へと魚の干物を届けながら、持ち帰った雪を長く溶けないようにする研究も進めていく。魚を生でも腐らせないで保つ事が出来れば、大きな進歩だ。
それと、どう携行出来るようにするかも重要な課題だ。発泡スチロールなんてあればいいけど、戦国時代じゃあるわけないか。
やがて夏になると甲府行きに軍監も加わるようになった。
その頃には物々交換のラインナップも代わっていて桃や葡萄など季節の果物が加わるようになる。
軍監は幾つかの葡萄を味見して一番甘かった品種を指差し
「これをそのままの葡萄と皮をむいたモノに分け、川で足を洗った者たちにこの中で踏みつぶさせて、出来た葡萄汁をそれぞれ甕に入れて数日おきに混ぜておけ」
そう言って木を張り合わせて板にしたものに外枠を付けたような、大きな平たい舟上の物を渡す。
それってもしかして葡萄踏みか!! ヨーロッパでそうやって赤ワイン作ってるのをなんかの番組で見た事がある。でもこの時代の日本でワインなんて作ってたっけ?
「お前、何処でそんな知識覚えたんだ?」
「ふっふっふ。秘密は秘密であるがゆえに良いのですよ」
悪だくみをする悪代官のように笑いながら軍監は荷駄に乗り込んだ。
ちなみにコイツだけは行きも荷駄に乗っていたし歩くつもりはないらしい。軍師とは古今東西そういうものなんだそうだ。ってソレ誰の影響だよ?
一か月後、再び甲府を訪れて葡萄液を入れた甕を見ると、上手く発酵して芳醇な香りの赤ワインと白ワインが出来上がっていた。
それといつの間に軍監が命じていたのか、干し葡萄も出来上がっている。
「こちらの透明な方は干し葡萄を入れた桶に移し替え、そのままにしておけ。半月後に取りに来る。皮付きの葡萄の方は桶に上から板を打ち付けてもう一度同じ物を作るように!! 殿、上手くいけばお望みのものが手に入りますぞ!! 」
興奮を隠しきれない、といった表情で軍監は早口にまくしたてる。コイツは何をしようとしてるんだろうか?
そして半月経って秋も深まり始める頃、甕や桶を保管した納屋に行くと芳醇な匂いのほかにツンとした匂いもほのかに漂っていた。
「殿、こちらを舐めてみていただいても?」
「うん?……酢っぱ!!!!」
「そうでしょうそうでしょう!」
うんうんと悪そうな笑みを浮かべる軍艦。ブドウから出来ていてこの馴染みのある酸っぱさ、ってことは……
「これは!!? ビネガーか!! 」
「左様、殿が欲していましたのでこれならば、と」
同行したタコ坊主とタイ坊主は何のこっちゃ?という顔。無理もない。ワインビネガーなぞこの時代にあるわけないのだ。しかしじゃあコイツは何処でそんな知識を?
「西洋では太古より葡萄から酒を造りそこから酢も作っていたと、ある書物で見つけましてな! 葡萄を見つけたのでもしや! と」
なるほど、そういうことか。ウチの軍師は博識だな。
こうして出来上がった酢1桶と赤ワイン2桶をこぼれない様に何枚かの木の板で蓋をして即席の樽状にして運び出す。
運びきれずに余った分のワインはどうするか考えたが、集まってくれた人々に振舞う事にした。
まだ売ってなかった分の干し魚や物々交換で手に入れた野ウサギやシカの肉、それに納屋を貸してくれてた老婆名物のほうとうなどを皆で囲みながら、出来立てのワインをみんなで楽しむ。
「いやぁ~こんな美味いもの、オラ初めてだわ!! 」
「ホントホント、今まで食うために取ってた葡萄が酒になるなんて」
「お前たちが当たり前にあると思ってた桃や葡萄は他の土地では採れないものだ。これを無い所に売りだせば高く売れるし、その銭でこの地では足りぬものを買えば、お互いが豊かになる。そう思わないか?」
俺が提案すると集まっていた皆が嬉しそうに歓声を上げる。奪い合わなくても皆が豊かに暮らせるなら、それが一番だ。
「その話、俺も混ぜて貰っても良いか?」
そう言うと突然、藪の方からガタイの良い坊主がヌッと現れた。今までゲラゲラと笑っていた村人たちはいきなり黙りだし、タコ坊主だけが穏やかな笑みで大男に杯を差し出す。
「これは徳栄入道殿、よくぞご無事で」
「おう!! コレが噂の葡萄で出来た酒か!! 美味いな」
大男は杯をあっという間に空かすと、真剣な表情になって俺の方を向き直った。
「小僧!! この乱世にあって皆が豊かになど、絵空事ではないのか?」
まっすぐに射貫くようにこちらを見られる。まるで野生のトラにでも睨まれてるみたいなプレッシャーだ。下手な嘘は付けないだろう。
「確かに、他者から奪ってでも自分の食い扶持を確保しなくてはならない時代だというのはよく分かります。それでも、知恵を絞って皆が出せる力を出し合っていく事で、今までは無かった所に豊かさを見出していける事もあると思うんです!! 俺はそう信じてます」
嘘偽りない俺の本音だ。現に駿河でも、この甲斐でも他の誰にも搾取されずに皆が豊かになれる方法の足掛かりぐらいは掴めたんだ。
大男はじいっと俺の目を見つめて険しい顔つきで睨んでいたがやがて豪快に笑いだし、俺の肩をバシバシと叩いた。
痛い痛い痛い、力強すぎ><
「田子殿から手紙で聞いておったがお主、若いのに大した男じゃな!! 良いだろう!! お主のその心意気、この武田徳栄軒信玄も乗ったぞ!! この甲斐も豊かとは言えん土地じゃ、豊かになるならこの上ない! 」
誰かと思えば武田信玄本人かよ!! 最初からそう呼んでくれタコ坊主!!
こうして俺は寿司に向けて重要なキーアイテムと、同時に強力なバックアップを手に入れたのだった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます