1話-5

「そ、その財布で、今持ってるお金は全部だよ……」


「本当だろうな! ちょっとジャンプしてみろよ!」


 薄暗い路地裏。

 普段は人が寄り付かない場所で、荒々しい声が響き渡る。

 チンピラのような見た目の男が、気弱そうな少年を壁ぎわまで追い詰め、恫喝していた。

 次の瞬間、チャリンと音が鳴る。

 ……チンピラの命令通りに少年がその場でジャンプをすると共に、金属音が鳴ったのだ。


「おいおい、まだ隠してたんじゃねえか! 早くよこせ!」


「そ、そんな……もう何も持っていない筈なのに!」


 青ざめた表情になった少年がポケットをまさぐり、取り出した硬貨をチンピラへと手渡す。

 硬貨を受け取り、最初はにやついていたチンピラだったが、すぐにその表情が真顔へと変わった。


「……何だ、これ? 金じゃあないじゃねえか!」


「げ、ゲームセンターのメダルだ……」


 ポカンとした様子のチンピラだが、少年の言葉を聞くと、顔を真っ赤にして怒鳴り始める。


「無駄な期待させやがって! 痛い目に合わせてやる!」


 激昂したチンピラが、少年へ殴りかかろうと腕を振りかぶった。

 ……暫く様子を窺っていたが、そろそろかな。


「そこまでだ」


 俺は物陰から飛び出し、チンピラが振りかぶった腕を背後から掴み取る。


「なんだテメエ! どこから現れた!? は、離しやがれ!」


「彼に財布を返すって約束したら、離してやる」


 俺が言うことを聞かないと悟ったチンピラは、何とか俺から離れようと藻掻くが、奴にとっては残念なことにビクともしない。

 ……自慢じゃないがこの数年間、ヒーローを目指す為に自己流とはいえ密かにトレーニングを積んできたし、この程度のチンピラなら軽く捻れる……というか、それ位できないと犯罪者相手には戦えない。


「わ、分かった! 財布は返すから、手を離してくれ!」


 こいつが約束を守るのか怪しいところだが、まずは信じてやるか。

 チンピラの腕を掴んでいる拳に込めた、力を緩めていく。


「ひ、引っかかったな! 馬鹿野郎が!」


 ……解放してやったらすぐに殴りかかってきた。

 そういうこともしてくるだろうとは思っていたから、対応は容易。

 迫る拳を再び掴み取ると、後ろ手に捻り上げてもう一度チンピラを拘束する。


「財布はどこだ? 言わなくてもいいけど、このまま締め上げて動かなくなってから、探させてもらう」


「う、上着! う、上着の右ポケットの中だ!」


 チンピラの腕を捻り上げたまま、上着のポケットに手を突っ込んで財布を取り出すと、少年へと投げ渡す。


「君の財布か? そうだったら、無くなった物がないか中身を確認しな」


 少年は財布の中身を暫く調べた後、顔を上げて俺に頭を下げる。

「だ、誰か知らないけど! あ、ありがとう!」


「そいつは良かった。用が無いなら早くここから立ち去った方が良いぞ」


 俺の忠告を聞いた少年はもう一度俺に向けて頭を下げ、路地裏から立ち去る。


「お、おい! 財布は返したから早く解放してくれよ!」


「もう少し待ってろ。お前が少年を追いかけないとは限らないからな。暫くはこのままだ」


「追いかけないから、離してくれ! 信じてくれよ!」


 チンピラは喚き始めるが、俺は先ほど信じてやったのに裏切ったのだ。

 もうこいつの言うことを聞く気はない。

 ……数分程経ったところで、チンピラの腕を放してやる。


「お、お前、何者なんだ!? そんな怪しい格好しやがって、何様のつもりだよ!」


 解放されたチンピラは後退り、声を荒げながら睨み付けてくる。

 ……何者かと聞かれると返事に困るが、ありのまま答えておくか。


「ヒーロー志望の一般人。納得したら、早くどっかに消えろ。それともまだやりあうか?」


「……お、覚えてろよ!」


 チンピラは少しの間を置いて捨て台詞を吐くと、逃げるように立ち去っていった。


「……怪しい格好だっていうのは自分でもわかってはいるけど、チンピラに言われたくないよな」


 誰に言い聞かせるでもなくボヤきながらスマホを取り出すと、何か事件が起きてないか調べるためにSNSに流れてくるニュースを確認。

 ネットに溢れる無数のニュースを目で追うなか、一つの記事が目に止まった。


《反超能力者集団の集会に千人を越える参加者が集まる。彼らは超能力者の規制法実現に向けて――》


 ……憂鬱な気分になり、天を仰ぐ。

 超能力者が出てきてから治安が悪化した以上、こういう輩が出てくるのは仕方ないかもしれない。

 何の罪も無い超能力者まで一緒に差別しようとするのは、正直やめてほしい。

 そもそも俺がヒーローを目指している理由は、超能力者ということがバレた時にこういう奴らの標的にならないようにヒーローとしての社会的地位をあらかじめ確保しておきたいからなのだ。


「……それにしても珍しいな。事件が全然起きてないなんて」


 ヒーローとして活躍の場がないのは僅かばかり残念だが、それ以上に何事もないというのは素晴らしい。

 事件が起きているより、平和なのが一番だからな。

 とにかく、事件が無いなら俺のお勤めも終了。


「今日はもう引き上げるか。偶には早く帰って休も――ぐあっ!?」


 表通りに出てバイクを取り出し跨ろうとした瞬間、背後から強い衝撃を受けて吹き飛ばされる。


「ぐっ……お、お前は!?」


 痛みを堪えつつ起き上がると、目の前には男が一人。

 そして、男の顔には見覚えがあった。


「よう、昨日ぶりだな!」


 昨日戦った強盗犯の一人で、壁に張り付いていたほうだ。

 しかし、なぜこいつがここにいる?

 こいつらを倒したあとに警察が来ていたし、捕まったはずだ!


「お、お前! 警察に捕まったんじゃないのか!?」


「その様子だと、まだニュースになってないみたいだな。俺と池羽は護送車から脱走したんだよ……お前に復讐するために!」


 男はニヤリと笑みを浮かべて質問に答えると、拳を振りかぶりながら駆け出してきた。

 ……なんだかわからないが、やるべきことは決まってる。


「そうかよ。なら、もう一回ニュースにしてやるよ。二日連続で捕まった間抜けな強盗だってな!」


 振るわれた拳を受け流し、お返しに拳を叩き込んでやる。

 ……自信がありそうだった割には、大したことないな。


「どうした? そんなんで俺を倒すとは、大きな口を叩いたな?」


「……痛えな。わかっちゃいたけど、中々強いじゃねえか。だけど、今の俺にはこれがある!」


 男は少しよろめきながらも立ち上がると、懐から板のような物を取り出すと、腹部にあてがった。

 ……瞳の部分に赤い宝石のようなものが嵌め込まれている、髑髏(どくろ)の彫られたプレート?


「おい、なんだそれ? 一体何を――」


「……変身」


 俺の言葉を遮って男が一言呟いた瞬間、プレートから黒いモヤが吹き出し、男を包んだ。

 ……あのモヤがどういうものかわからない以上、迂闊に手をだせない。

 そうしている間に、黒いもやが消え去り、男が……いや、ソレが姿を現した。


「ど、どうなってる!? お前、その姿は!?」


 紫の体毛に覆われた身体は、先程よりも一回り大きくなっており、顔には大きくて丸く、赤い眼がいくつも並んでいる。

 人が化けた怪物……怪人と呼ぶに相応しい相貌に、男が変化したのだ。


「これが超能力者の潜在能力を引き出す『ガイストバックル』! そして俺は、お前を葬る地獄からの使者『スピネ』だ! 覚えておけ!」


 ……見た目の迫力に気圧されてしまったが、言動は先程までと変わらない。

 お陰で、少し冷静になれる。


「い、いや、お前の名前は糸川だろ? 逮捕された時のニュースに実名が出てたぞ。……いや、それよりもガイストバックル? なんだかわからないけど、そんなものどこで――」


「糸川じゃなくて、スピネだ! 俺は生まれ変わったんだよ!」


 スピネの腕が此方に向けられ、手首の辺りから何かが射出された。

 回避は間に合わないと判断し、左腕で受け止める。

 ……ダメージ覚悟で受けはしたが、衝撃は思ったよりも少ない。

 不思議に思い左腕に視線を向けると、白い糸のような物がへばり付いていた。


「よし、捕まえた!」


「コイツは糸か? 一体何を――うわっ!?」


 スピネが此方に背を向け走り出したかと思うと糸が張り、俺自身も無理矢理ひきずられる。

 だけど、奴の向かう先は行き止まり。

 立ち止まったらその瞬間に、反撃してやる。

 しかし、俺の目論見通りにはいかなかった。


「ハハハハハハ! こんなこともできるようになったんだよ!」


 行き止まりで立ち止まるかと思ったスピネは、そのまま壁に足を付けて駆け登っていく。

 そういえば奴は超能力で壁に貼り付いていた。

 昨日は機敏に動けていなかったが、バックルの力で身体能力も向上した訳か。

 ……冷静に奴の力を見極めようとしているが、そういうわけにもいかない。

 なにせ、スピネが駆け登った壁が近付いてきているのだから。


「好き勝手してんじゃねえよ!」


 左腕に貼り付いた糸を剥がそうとするが、粘着力が強すぎて剥がれそうにない。

 なら、こっちも超能力を使わせてもらおうか。

 左手の点火装置を起動させて拳から火花を散らすと、左腕を覆うように燃え上がらせて、貼り付いていた糸を焼き尽くす。


「へえ? 壁に叩きつけてやろうとしてたけど、中々やるじゃねえか」


 糸が焼き切れたことに気付いたスピネは壁に両足を付けたまま、垂直に見下ろしながら話しかけてくる。


「褒められても嬉しくないな。それよりも、そのプレート……ガイストバックルだっけ? どこから手に入れた」


 スピネの動きを注視しつつ、情報を引き出そうとする。

 奴みたいな小悪党が警察から逃れられるとは思えないし、ガイストバックルを所持していたのなら昨日の時点で使っているはずだ。

 逃走を手引きし、ガイストバックルを与えた存在が奴のバックにいるんじゃないのか?


「教えてやるわけ……いや、お前が俺たちの仲間になるっていうんなら、話は別だ。話を通してやってもいいぜ」


 ……今の口振り、思った通りガイストバックルは誰かから貰ったものらしい


「もっと詳しい話を聞かないと、判断できない。お前を助けて力を与えたのは誰なんだ?」


「主導権を握っているのはこっちだ! お前の答えはイエスかノー、どちらか一つ!」


 情報を引き出そうと探りをいれつつ、周囲の様子を窺う。

 ……どうやら、こいつ一人しかいないようだ。

 それなら、答えは決まっている。


「それじゃあ遠慮しとくよ。お前みたいな悪党……ヴィランの仲間入りなんて御免被る。俺は、ヒーロを目指してるんだよ」


 こいつを倒して、情報を吐かせる!


「そう言ってくれて助かるぜ。遠慮なくお前を殺せるからな!」


 スピネが俺の動きを止めるべく糸を射出してきたが、種さえわかっていればなんということはない。

 奴を視界に捉えたまま飛び退き糸をかわすと、点火装置を起動させて火花を散らし、拳に炎を灯す。


「殺せるもんなら殺してみろ!」


 スピネが怪人になったことで元々持っていた超能力に、糸を射出する力や身体能力の強化が加わったことで強くはなっている。

 しかし、それならこっちも全力で仕掛けられるぶん好都合だ。

 迫る糸と、壁に立っているスピネ目掛けて、火球を放つ。

 ……しかし、糸を焼き尽くす事には成功するが、スピネは近くの電柱に糸を射出して貼り付けると、振り子のように移動して反対側の建物の壁へと動いた事で、火球を躱されてしまった。


「言われなくてもそうさせてもらう! ……と言いたい所だが、そろそろ潮時か」


 スピネがそう言うと、遠くからサイレンの音が聞こえてくる。

 結構大声で騒いでいた上に超能力まで使ったし、騒ぎに気がついた人が通報したのだろう。

 ……今まで気がつかなかったけど、野次馬がいつの間にか遠くから俺達のことを見ているし。


「逃がすかよ!」


 情報を得られなくなるのは残念だが、警察が近くにいるのなら好都合だ。

 スピネを警察に再び突き出すべく、靴裏からのジェット噴射で、奴のいる高さへと一気に跳躍して殴りかかる。


「おっと、その手は喰わないぜ」


 俺の拳が当たるよりも早く、スピネは更に高所のビルへと這い上がる。

 ……流石に昨日と同じ手は通用しないか。


「今回は見逃してやるけど、次に会った時が貴様の最期だ! 首を洗って待ってな!」


 地上へと落ちていく俺を見下ろしながら捨て台詞を吐くと、ビルの屋上まで登って姿を消してしまった。


「……逃げられたか」


 今からバイクで追いかけたところで、奴の立体移動には追い付けないだろうし、深追いはしない方が良いだろう。

 そして、これ以上ここに残っているのもまずい。

 ヒーローを目指して動いている以上、暴力沙汰に発展する事もしばしばあるし、警察からしてみれば俺もスピネも同じような厄介者。

 サイレン音がこれ以上近くなる前に、急いで立ち去る事にした。

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