第2話 船外活動

 まさか巷で噂の覆面ボカロPの正体がうちの同居人だったとは。

 愕然とする私に、ノイバスティは話してくれた。


「一人で部屋いたとき、暇でした。守がパソコン貸してくれましたので、地球で経験したことを記録に残そうと思いました」


 なるほど。日常で見聞きしたことを歌詞にしたためたのか。

 やたら耳に馴染むと思ったのも、ワードの一つ一つに既視感があったからだろう。


「お母さんが掃除機操縦しながら歌うの、気持ちよさそうでした。日本人疲れてるとCM言ってました。だからみんなも歌って気持ちよくなったら楽しくなると思って、お母さんが好きそうな歌、考えました」


 どうりで昭和な匂いがかほるわけだ。


「知らぬ間に私、ノヴァの歌を口ずさんでいたものね。すごいわ……。曲も歌詞もノイバスティが考えたの?」

「歌、聞いた守が、『その歌詞のままだと単語が浮きまくってるから、ちょっと変えよう』とアレンジ提案してくれました」


 モナカがJust nowになったり、夫を連れてG退治したのがWith servantになったりしていたのは息子の介入によるものだったのかと腑に落ちた。

 ノイバスティが読み込んだ辞書で翻訳しただけではこうはならなかったはずで、つまりは二人のセンスだ。

 まさかただの誤訳だなんてことはない。

 センスだ。

 大事なことなので二回伝える必要があった。


「『歌詞なんて意味がわからないほうがかっこいいんだよ』と言っていました」


 自分でもそう思っていたくせに、人の口から聞くと途端に恥ずかしくなる。

 しかし、そうして二人であれこれ言い合って作ったものがこのように多くの人を惹きつけることになったのだから、すごい。

 私は曲なんて作ったことはないし、詩だって国語でやったくらいのもの。

 しかも歌詞ともなると曲にあわせなくてはならないのだから、どんな風に作ればいいのか想像もつかないレベルだ。

 最近の流行りについていけているわけでもないから昔の歌ばかり歌っているし、センスもない。

 何十年もこの国に暮らしてきたバックボーンがあるというのに。

 宇宙から来たノイバスティはあっという間にこの国の音楽の傾向を掴み、人々の心をも掴み、バズッてしまった。

 私はSNSをやっていないが、バズるのが大変なことだというのは知っている。

 テレビでまで紹介されているのだから生半可なものでもない。


「本当に驚いたわ……。まさかこんな身近で流行が作られていたなんてね」

「まずい、ですか?」

「ううん、そんなことないわ」


 たぶん。


「せっかく遠い星から地球に来たんだもの。移住先を探すっていう目的が果たせない代わりに、せめて楽しんで行って。何よりすごい才能だもの、もったいないわ」

「ありがとうございます。では、歌を作るの、やめなくてもいいですか?」

「もちろんよ」


 誰に迷惑をかけているわけでもない。

 バズるなんて経験も滅多にできないだろうし、狙ってできることでもないのだから、息子にもノイバスティにも好きに続けてほしい。

 息子も素直に褒めたいのだが、なんで知ってるの? と聞かれて返せる答えもないのが残念だ。


「また新しい歌、楽しみにしてるわね」




 それから数日。


「じ~ん、Chu! じ~ん、Chu! 囁く言葉よりもその甘い唇 じっと見つめて目が離せない 誰の声も聞こえないほどに あなたに夢中 じ~ん、Chu! Yeah!」


 洗濯物を溢れんばかりにつめこんだカゴを運んでいると、仕事に行く準備をしているのだろう夫が鼻歌を歌っているのが聞こえて、私は素早くそれを素通りした。

 流行りに疎い夫まで『ノヴァ』の歌を歌っているとは。

 確かに夫はポップで明るい歌が好きだったが。

 まさかそれが人の人中が気になって仕方がないアラフォー妻の話だとは思いもしないことだろう。

 そういえば、夫の人中は気にしたことがない。

 いや、出会った初めの頃は気にしていたものの、そのうちその顔を見慣れて気にしなくなったのかもしれない。

 なにせ干支が一巡りするほど前のことだ。

 そんなことはもう覚えていないし、そもそも最近の顔すら頭に浮かばない。

 今、夫はどんな顔をしていたっけ……。

 毎日見てはいるはずなのに、思い出せない。

 あまりに空気で、まじまじと見ることもないから。

 記憶だけで夫の似顔絵を描けと言われてもまったく筆が動かないまま終わるだろう。


「じ~ん、Chu! じ~ん、Chu! Yeah! Yeah! フー!」


 ところで、ノイバスティの中で私はどういう人間に見えているのだろうか。

 知的ではないことは確かだが、問いかける勇気は永遠に出そうにない。


     ◇


「妄想クッキングかぁ……。確かに試してみたくなるわね」


 夕方のニュースで流れる『妄想クッキング』なるものに、私は見入っていた。

 どうやら、とあるSNSに『たらこ×あんこ×どんこ』のように、いろんな食べ物の組み合わせだけを毎日のようにぽつりぽつりと呟く『黒檀』というアカウントがあるらしい。

 それは文字だけで、写真も絵もない。

 最初は誰も見向きもしなかったが、有名人が『たらこ×あんこ×どんこの組み合わせで料理を作ってみたら、どんな仕上がりになるんだろう #妄想クッキング』と呟く投稿をしたところ、そのコメント欄に想像で描いた絵を載せる人や、実際に作る人まで現れた。

 それらを見てさらにコメントが盛り上がった。


『自分はあんことたらこを混ぜたものをどんこの上に載せて焼く妄想をした。意外とイケる』

『自分はシイタケじゃなくて魚のほう(エゾイソアイナメ)で妄想した。壊滅的だった』

『その組み合わせでどんこはさすがにどうやっても旨くならない。だから俺はうどんこで妄想クッキングした』

『たらこだけでも破壊力は抜群だった。あまじょっぱいが旨いなんて妄想だった』


 それらを眺めているだけでもいろいろと想像が広がり楽しいのだが、そのうち過去の投稿も遡り片っ端から試す人が増えていった。


 たとえば、『肉巻きおにぎり×オムライス×モナカ』なんていうのもある。

 卵で包んだあんこ……これもあまりないかもしれないが、ナシではない。

 ただそこに肉が入ってくるという混沌。

『たらこ×あんこ×どんこ』は韻を踏んでるし、『肉巻きおにぎり×オムライス×モナカ』は全て包む系で統一されているところにセンスを感じるが、どれもこれも、『そう易々とやり遂げさせはしない』という中ボス並みの意地を感じさせる。

『ミートソース×たらこソース×温玉カルボナーラ』だけは何故スパゲッティ攻めなのかわからないのだが、一番おいしそうではある。


「『サンドイッチ×おにぎり×カロリー爆上げビスコッティ』はどうでしょう。おいしいと思うんですが」


 完全に裏ボスまでいってしまっている。

 ボスなんて空気にされてしまう圧倒的強さだ。

 もはやすべての挑戦者の頭を真っ白にしてしまう圧倒的洗浄力すら持ち合わせている。


「……、今調べてみたらかなり話題になってるみたいね。でも私にはどうやってもおいしい組み合わせが想像できないのよね……」


 何故ノイバスティが『サンドイッチ×おにぎり×カロリー爆上げビスコッティ』推しなのかわからないが、投稿されていた中でもかなりの難題だと思う。

 カロリー爆上げビスコッティが栄養補助食品のことだろうとはわかるのだが、なんとも誤解を生みそうな呼称を当て込んだものだ。

 投稿者本人からはコメントも解説も何もないからわからないし、ステマだのと騒がれるのを避けるために商品名を伏せただけなのかもしれないが、企業側への配慮なら、『カロリー担保ビスコッティ』くらいにしておいたほうがよかったのではないだろうか。


 そもそもサンドイッチとおにぎりだけでもどうやって組み合わせたらいいものかわからない。

 中身を入れ替えるだけなら既にあるような気がするが。

 ツナやカツは両方にある。

 ハムとかトマトとレタスのサンドイッチに対しても、サラダ巻きがあるし。いやサラダ巻きは寿司だけど、味は保障されていると考えていいだろう。

 マヨネーズで和えているかどうかの差はあれど、たまごもある。

 他に、まだない組み合わせはあるだろうか。

 納豆サンドイッチ……も、調べてみたら納豆トーストというものがあるようだから普通に食べられそうだ。

 なま物はどうだろうか。

 たらこはスパゲッティもあるから小麦との親和性は高いかもしれない。

 いくらサンドイッチ……これはどうだ? キツイのではないか。


 気が付いたら無理な組み合わせばかり考えようとしている。

 何故自らハードルを上げたがるのか。


 はたと我に返ったものの、これはキツイ、というものをもう一つ考え付いてしまった。

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