第四章 侵略
第1話 いつのまにかそれは生活の中に潜んでいた
あれから私は息子とノイバスティの会話を盗み聞きしていない。
これまでは息子と押し入れの同居人を案じて調査活動に勤しんでいただけであり、安全が確認できた以上は日常に戻るだけだ。
ただ、ノイバスティが階下に降りて日中を過ごすようになったから、私の一日は大きく変わった。
まず、お昼にスパゲッティが食べられるようになった。
スパゲッティのレトルトソースは大抵が二人前で、一人で食べるには持て余してしまうのだ。
一人前のも売っているが、二人前と変わらないような値段だと手が伸びない。
楽をしようと思っている後ろめたさに加えてコスパまで悪いとなると、主婦としては罪悪感がマシマシになる。
だから楽にできるスパゲッティを気軽に食べられるようになったことはありがたかった。
それと、独り言に返事が返ってくるようになったことで、思ったよりも独り言が多かったのだと自覚させられた。
先日のG大騒乱の時に独り言を言っていたと発覚したところだったのだが、あれはまあパニックになっていたから仕方がないと自分に言い訳をしていた。
だがぽつりと思っただけのはずのことが、気づけばノイバスティとラリーを繰り広げているのだから、これはもう認めざるを得なかった。
「この俳優さん、顔立ちがキレイだなあと思うんだけど、どうしても
「人中……鼻の下の溝のことですね」
「そうそう。この俳優さんの人中、ちょっと目立つと思わない?」
「うーん。あまり他の方との違いがわかりません」
「あらそう? 私は気になっちゃってダメなのよねえ……。全然ドラマに集中できない」
今また気づけば会話になっていた。
喋ったつもりはなかったのだが、聞こえていなければノイバスティが返事をするわけもない。
一人の時間が長いと独り言が増えるというのは本当だったらしい。
「この歌っている人のほうが人中、目立ちますか?」
「ああ……、そうねえ、歌ってるとマイクもあるし、口が動いてるからあまり気にならないけど、黙ってると確かに……」
今見ていたのは今夜放送される歌番組の宣伝だ。
俳優や芸人などが歌を歌うことは以前からあったが、最近は動画投稿サイトやSNSから人気になりテレビにも出ることがあり、いい時代になったなあと思う。
作曲家というと難しくて一部の人だけがなれるというイメージがあったけれど、今では学生もいるし、顔を出さない歌手もいる。
音楽を楽しむ間口が広がり、サブスクなんかもあるから気軽に聴けるようにもなった。
「あ、『ノヴァ』も出るんだ。っていっても顔出ししてないから、曲の紹介だけか」
ノヴァも動画投稿サイトで人気になった作曲家だ。
いや。歌っているのがボーカロイドだから、ボカロPというのだろうか。
「こういうのもテレビで歌が流れるようになったわねえ」
「好きですか?」
「ああ、この歌? そうね、歌詞は激しいのに曲調はポップというか、なんだか懐かしい感じがあって、だけど今風におしゃれで。最近流行ってる中ではかなり好きだわ」
『Go! Go! The head! 昨日も今日も行こうぜ猪突猛進に With servant! Wish servant! 日常を取り戻せ 殲滅 殲滅 殲滅Go! The head!』
鼻歌を口ずさんだものの、歌詞の意味はさっぱりわかっていない。
それはこの曲に限らないのだが。
私にとって歌はノリとフィーリングだ。
ノヴァの曲はダンサブルで、つい踊り出したくなってしまう。
随所に「ヘイ!」「フー!」と昭和な合いの手が散りばめられていて、そこもアラフォー心をくすぐる。
「ノリがよくて、気づくとつい口ずさんでるのよね」
「そうですか。よかったです」
「ノイバスティも好きなの?」
「はい。衝撃的でしたから。今でも鮮明に覚えています」
「歌詞がちょっと強めだものね。『殲滅』とか、日常では使わないものね」
「え?」
「え?」
純粋な驚きに満ちた声に問い返され、思わずさらに問い返す。
私、殲滅なんて言葉、使ったっけ……?
また独り言で何か言った? いつだろう……。
「聞き間違えだったかもしれません。でも響き気に入っているのでこれはこれでいいです。次は気を付けます」
かなり上達しているけれど、まだまだ日本語に不慣れなところがあるノイバスティはまるで自分が作ったかのような言い方になっていて、思わず笑いながらお茶のお代わりを淹れようと腰を上げる。
「ところで今日のお昼ご飯だけど、たまにはスパゲッティ以外のものでも作ろうか」
「何でも勉強になります」
勉強? 何かの言い間違えだろうかと考えながら、「オムライスはどう?」と提案する。
「オムライス。炒めて味付けをしたご飯を卵焼きで包んだものですね。勉強させていただきます」
なるほど。『食べる』と間違えて覚えてしまったのか。
「じゃあ、もういい時間だし、ちゃちゃっと作っちゃうわね」
「ありがとうございます」
そうしてオムライスを作り、ノイバスティの座るテーブルに「どうぞ」と差し出すと、ノイバスティは「いただきます」と頭を下げて、後ろを向いた。
そして振り返ると「食べました。おいしかったです」と空になった皿を差し出した。
あれ? 『食べる』はわかっているのか。
じゃあ『勉強』とはなんだろうか。
料理を勉強しているのかとも思ったが、台所で料理している様子はない。
地球の文化の勉強、ということだろうと勝手に納得し、私はスプーンで一口ずつオムライスを食べ進めた。
◇
「ヘイ! フー!」
今日もノリノリで歌いながら掃除機をかけ、歌声を掻き消しているわけだが、最近はノヴァの曲ばかり歌っている気がする。
なんとも親和性が高いというか、昭和生まれに馴染む。
それとノヴァの曲は歌う時に心地よく腹から響くような音階が続くから、歌うと気持ちがいい。
腹から声を出すとスッキリするし、曲に合わせて声がキレイにハマるとこれがまた気持ちいい。
けれどしっとりとした曲もいい。
『僕らは旅をしているJust now 君は夜空の星みたい ありふれているのに一つ一つがかがやいている それは奇跡 一つとしてかげりは見えない だから僕はJust now どんな時でもJust now いつでも僕を満たしてくれるJust now Call super the best』
何気なく歌ってるけど、『Call super the best』ってなんだろう。
スーパーを最高と呼ぶ? 主婦みたいな歌だな。
いつも『コスパ the best』 って空耳してしまうし。
主婦の歌だ。
リビングの掃除機が掛け終わったところで、再び「僕らは旅をしているJust now」と最初に戻り、ドアをくるりと振り返った時だった。
「僕らは旅をしている
ノイバスティがドアをそっと開けてこちらを覗き込み、ぽつりと歌った。
最中……Just nowか。
でもJust nowって過去の出来事を表すのではなかったか。
『たった今』とか、『ついさっき』という意味だと習ったような気がする。
ノイバスティは辞書を丸ごと飲み込んで――いや読み込んでいるのだから、そういう間違いはしないものだと勝手に思っていたけれど、完璧に記憶できるというわけでもないのだろうか。
ノイバスティが再びぽつりと歌う。
「いつでも僕を満たしてくれる――」
「モナカ……?」
気づけばぽつりと呟き返していた。
それを聞いたノイバスティは、何故だかぴょこんと小さく跳ねた。
そして嬉しそうにぴょんぴょんと飛び跳ね続ける。
「え? ――『だから僕は
いつものノイバスティと息子の会話ではないか。
まずいモナカがあるのか探していて、モナカはたくさん売られているのにどんなモナカもおいしくて、いつでもお腹いっぱいになってコスパ最高。
まさか、そんな歌なわけが……と笑いかけて、顔が固まった。
――『ノヴァ』
ノイバスティ?
もう一つのお気に入りの歌が頭を駆け巡る。
『Go! Go! The head! 昨日も今日も行こうぜ猪突猛進に With servant! Wish servant! 日常を取り戻せ 殲滅 殲滅 殲滅Go! The head!』
頭に行こう? 猪突猛進……、
またもや無意識で声に出していたらしい。
ノイバスティがふるふると首を振り、ぽつりと呟く。
「ジー、オー」
ジーオー。Goのことか。
うん……? ジー……オー……
「もしかして――」
「G Over the head」
Gは頭の上……いやもしかして、Gは頭を越えて行った?
「誰の?!」
「それは言っていいのですか?」
窺うように私を見ている。
それ、聞いたらだめなやつじゃん。
絶対それ、
あの時……、夫を連れてG退治に駆け込んだ時、奴が
背筋がぞわりとした。
さらにはやはり奴は窓の外に逃げたのではなく、廊下側に逃げたことになるわけで。
「嘘でしょ……」
「歌は虚構。だけど日々の出来事から着想を得た歌、世の中に多くあります」
っていうか、どういうこと?
ノイバスティ――
あなた、ボカロP?
この家で一体息子と何をしてるの?
それから大事なことはもう一つ。
G殲滅用の薬剤を再び家中に焚かねばならない。
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