第2話 息子を形作るもの
「ただいまぁ」
気の抜ける声でぺたぺたと廊下を歩いてきた息子に、「おかえり」といつも通りに返す。
「今日は遅かったのね」
「うん、図書委員の当番だったから。で、なんで突然のハグなの? 僕まだ手を洗ってないんだけど」
うっかり、いつも通りなのは言葉だけだった。
息子よ、辛かったね。
よく頑張ったね。
偉かったよ。
そんな思いが溢れて、気づけば通り過ぎようとする息子を通り魔のようにガッと全身で抱き留めていた。
「失敬。手洗いうがいは大事なので、どうぞ行ってきてください」
「最初からそのつもりだけど……本当にどうしたの?」
「はい、まあ、ちょっと、今日は話がありますので、逃がさない覚悟が滲み出てしまったと言いますか」
「――なるほど」
息子はこくんとうなずいて洗面所へと向かった。
たぶん、何の話か見当がついたのだろう。
息子は荷物を置き、着替えなどを済ませると、リビングへと戻ってきた。
ダイニングテーブルに向かい合って座り、「で、何の話?」と息子が切り出す。
「うん。今日、谷口大翔くんのお母さんから電話があってね。大翔くんが守を殴ったことを話してくれたの。それから、守をからかったり、体育祭で守のせいにしたりしたって話も」
そうして私は聞いた話を一通り話した。
なるべく個人的感情は付け加えず、谷口さんから聞いたままに。
まずは息子の認識と一致しているか確認しなければならないから。
「ふうん。そっか。谷口くん、そういう話をしたんだね」
「どこか違ってるところ、あった?」
「ううん。だけど、小学生の頃の話は知らなかった。なるほどなーと思ったよ」
息子は淡々としている。というか、達観しているというか。
「ごめんね。お母さん、何も知らなかった」
なんだか暗いなあ、どうしたのかなあと思うばかりで、何があったかなんて知りもしなかった。
それを知ったのも、ノイバスティという予想外の人物が我が家に同居し始めたからで、さらにそれを私が盗み聞きしたからだ。
さらには明るくなったのもノイバスティのおかげで。
いつもの日常であれば、私は本当に何も知らぬままいたことになる。
それは谷口さんとなんら変わらない。
私だって同じ、不甲斐ない親だ。
後悔が滲む私に、しかし息子はけろりと言った。
「そんなの、当たり前だよ。だって言ってないもん。それなのにわかったら気持ち悪いよ」
「そ……うですね」
はっきり返事ができない後ろめたさ。
「僕はお母さんには言いたくなかったし、知られないようにしてた。あれこれ詮索されるのも嫌だし、放っておいてほしかった。これは僕の戦いだったから」
「うん。お母さんも小学生の時、仲間外れにされてたことがあってね。やっぱり同じように思った。だけどね、親になると、それがわかってても、やっぱり子どものことは気になるの。味方になってあげたいの」
これこそダブルスタンダードというやつなのだろう。
「ありがとう。お母さんの気持ちもわかってるつもり」
「だからこそ余計に知られたくなかったのよね? 心配をかけるから」
「うん、そう」
それに、恥ずかしいから。
そこは中学二年生男子に言わせることでもない。
「谷口さんからの電話の前に、先生からも電話があったのよ。頬に痣があるけどどうしたんですか、って」
「まあ、そりゃね。あんな顔にデカデカと痣ができてたら聞くよね」
「それがわかってても堂々としてた守はすごいわ」
「だって僕は何も悪いことはしてないからね」
きっぱりとそう言い切った息子に、私は唇を噛みしめた。
心の中で、ノイバスティにありがとうを繰り返した。
これは息子の力だけで辿り着いた強さではないだろう。
他人がかけてくれた言葉があったからこそ、息子の核になったのだ。
あの日の言葉があったからこそ、日々の中で息子はこれほど強くなれたのだ。
いかん。泣いてしまいそうだ。
「泣くことじゃないよ」
「はい、すみません。辛かったのは守なのに。頑張ったのも守なのに」
もう泣いていた。
「確かに悩んだりはしたけど、それほどひどいことをされてたわけじゃないよ。谷口くんのお母さんが話したくらいのことだから」
「十分ひどいと思いましたが?」
親バカと言われようが何だろうが、息子を悩ませ、心を傷つけたことは確かだ。
大したことがないなんてことはない。
「でも、もっとエスカレートするのかなと思ってたのに、からかったりするのがメインで、これまで手を出されたり、物を壊されたりってことはなかったから、なんでかなって思ってたんだ。その理由がわかってほっとしたよ。自分がされて嫌だったことだから、必要以上にはしなかったんだと思う。自分を守るために、自分が攻撃する側だってことを周りに印象づければいいだけだったんだね」
なるほど。息子はそう捉えたのか。
確かに大人からすると嫌なことをしている自覚がありながらそれを行動にうつすなんて、悪意を感じてしまう。
けれどままならない現実を生きている子どもたちにとっては、あれこれ複雑な事情をかいくぐった末、筋が通って見えるのだろう。
「でも、やっぱりちょっと殴るのは行き過ぎだったと思う。今後のこともあるから、そこは先生と話したいと思ってるんだけど、いい?」
やめてくれと言われても引かない覚悟でそう話すと、息子は「うーん」と首を傾げた。
「もうこんなことはないんじゃないかな? 最後の一発だったと思うよ」
「なんで??」
「今日はもう何も言われてないし、何もされてないもん。気まずげに目を逸らすくらいのもんだったよ」
ええ……。
一体何があった谷口くん。
私がぽかんとしていると、息子は笑って話し出した。
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