第2話 そんなはずないって、もうちょっと抗っていたかった

 私とお友達は息子の部屋で小さなテーブルを挟み向かい合った。

 何故だかお互いに正座している。

 息子からそんなことまで習っていたのか、とても行儀のよいお友達だ。


 ただ、正直を言えば、ちらちらと過る私の妄想を「そんなわけないじゃない」ともっと笑い飛ばしていたかった。

 なのに、『だけど』『もしかして』と思っているうちに目の前には現実を突きつけられていた。

 儚かったなと思う。


 そこにいたお友達は、一目で人間ではないとわかる出で立ちだった。

 いや。

 人間の定義ってなんだろう。

 二足歩行して喋る生物であること?

 だとしたら正座する足を持っていて二足歩行する彼は人間なのだろうか。

 いや……DNAはわからないけれど、わからないけれど、そこはかけ離れているような気はする。

 体の真ん中あたりだけが目に入っていたら、「何よ息子、まだ学校に行ってなかったの?」と喝を飛ばしていたかもしれないけれど。

 何故ならお友達は息子が中学一年生の時に急成長してサイズアウトした体操服を着ていたから。

 身長も息子が中一のときと同じくらい。


 ただ、そこからすっと上に視線を上げていくと、顔の位置で絶対的な違いにぶち当たる。

 そこにあったのは確かに顔ではあるのだろう。

 けれどそれは、ガイコツのような輪郭で、ブラックホールのような黒混じりの見たことのない色合い。そして上のほうに目と思われるつぶらな瞳が二つ、それから人でいうところのアゴの位置に縁どるように横長のゴムパッキンのようなものが広がっている。

 その形だけを見ればハンディタイプの掃除機のようだ。

 もしかしたら食べ物をそこからズオッと吸い込むのだろうか。


 体操服のズボンから突き出た足は、よくある魚人のイラストなんかを想像していただくといいだろう。

 もしくは、ダイビングをするときに足につけるフィン。


 そこまで観察し、現実だと認めると私は無になった。

 何を言えばいいのかすぐにすっと出るコミュニケーション強者は名乗り出て欲しい。そして代わりに篤いコミュニケーションを交わして欲しい。

 しかし沈黙というのも耐え難いもので、気づけば私は「まもるの母です」と自己紹介していた。


「あ、ワタシはノイバスティクルードサンザムンドエボニーギエルと申します」

「なるほど」


 なるほどじゃないな。適切なリアクションがわからない。

 素直に「ながっ!」と言うのも失礼だろうし、「どこで区切るんですか?」と聞いたところで覚えられようはずもない。

 そうか、「何て呼べばいいですか?」か。

 壁に張り付き息子との会話を盗み聞いていたから答えは知っているけれど、始めのコミュニケーションとしては定石だ。

 しかし気付いた時には彼が先に喋り始めていた。


「守は『ながっ!』と言っていました。ノイバスティと呼んでください」

「あ、はい、わかりました」


 息子の素直さは長所であるが、素直過ぎて時々冷や冷やさせる。


「ワタシは、ナームハジール国からやってきました」

「地球にもそんな国があったんですね。すみません、存じ上げず」

「いえ、ニュイパック星です」


 だよね。

 そんな国聞いたことないし、こんなスタイルの人は見たことがない。

 喋る時はアゴの位置にある横長ゴムパッキンはびくとも動かず、頭のてっぺんあたりから声が聞こえてくる。

 どういう体のつくりなのかはさっぱりわかっていない。


「ニュイパック、星。星よね、星。だから、そのー、地球じゃないところから来たってことよね?」

「はい。安心してください。目的は侵略じゃありません」


 じゃあ目的は?

 気になる。気になるけど、そこをいきなり聞くと重くなりそうだからもっと周辺から聞きたい。

 私は漫画も小説も読むけれど、平凡な一般主婦だ。非現実的な現実に耐性がないのは許して欲しい。


 しかし、今さらながらウサギの獣人とかスライム状の生命体とかいう自分の妄想が恥ずかしくなる。

 昨今の異世界物の流行で先入観がありすぎたのは否めない。

 息子などよりよほど中二病をこじらせている証拠だし、流行をガン無視してくる感じも現実リアルだ。

 さらには私は普段、SFよりもファンタジーに触れることのほうが多かったから、この地球の外からやってきたどなたか、というよりも、この世界の外からやってきたどなたか、という発想のほうが先に湧いてしまったのだ。

 SFはというと、親子間で激しい宇宙戦争をする映画も、自転車のカゴに宇宙人を載せて夜空を駆ける映画も知ってはいるがちゃんと見たことはない。

 そして正直を言えば、もし地球外生命体だったら、と考えた時のほうが実写映画のイメージが強いせいか、現実的に起こりえそうで怖くなってすぐに妄想をやめてしまったのだ。

 だって宇宙人とかって、侵略とか戦争とか、そういうものばかりが浮かんでしまう。つまりは世界の終わり、的な。

 だから正直、「そっちだったかあ……」と遠い目をせずにはいられなかった。

 しかしそうなると、ウサギのエサやら緑の粘液はなんだったのかと問いたい。


「あのう。ご家族のみなさんの承諾を得ずに勝手に住み着いて申し訳ありませんでした。守があまりに優しいので、その好意に甘えていました」


 この礼儀。

 そして先日の盗み聞きの時よりさらに洗練された日本語。

 学習能力の高さに改めて驚くが、それ以上に私たちを尊重しようという意思がよく伝わってくる。

 しかし、それはドア越しに息子との会話を盗み聞きしていたから抱ける感想だ。

 何の心構えもなく街中でいきなり出くわしたら、いい人……いや、いい地球外生命体だと気が付く前に悲鳴を上げて逃走しているだろう。

 息子はどうやってノイバスティと出会い、連れて帰ってくるに至ったのだろう。

 とても想像がつかない。

 もし自分だったらと考えてみても、穏便に冷静に話せるパターンなど思いつかない。


 いや、待て、それどころではないぞ。

 お友達だからといって子ども扱いしていたけれど、そもそも子どもなのか? いや、むしろ大人なら問題ないけれど、三歳くらいの小さい子どもだったら大変なことになる。

 おっといけない。気づけば思考が暴走して結構な時間を無言で過ごしてしまった。


「あ、いえいえ、お気になさらず。私としても息子と仲良くしていただいて、とても感謝しているんです。あの子、最近とても明るくなりましたから。それに、あなたから大切なことに気づかされ、教えられているのだと思います」


 慌てて口を開いたものの、これは本心だ。

 息子が信じているのとは別に、親としていいものか悪いものか見極めなければならないとは思っている。

 けれど、息子にとっていい変化をもたらしてくれたのも事実で、まずはそのお礼を伝えたかった。


「感謝しているのはワタシのほうです。守は『なんのコスプレ?』とたくさんの人に囲まれているワタシを助けてくれたのです」

「ああ、なるほど……。でも内気なあの子がそんな目立つ行動をとるなんて、意外だわ」

「ワタシと自分を重ねて見てしまったのだと、だから放っておけなかったのだと言っていました。ぶるぶる震えながら、守は、ワタシの手を引いてくれました。そして行くところがないと知ると、この家に連れて来てくれたのです」

「そういうことだったの……」


 嫌な経験をしてきたからこそ優しくなれるという人がいるが、優しさに変えられるのはその人の強さだと思う。誰にでもできることではない。

 それに、息子はただ囲まれている人を助けたわけではない。どこの誰ともわからない、人かどうかもわから……いや、明らかに人ではないとわかっていてその手を引いてきたのだ。どれほどの勇気が必要だったことか。


 いつの間にか親の知らないところでそうして育っていくのだと目の当たりにした気がして、ほっとしたような、だけどもどかしいような、でもやっぱり嬉しいような。

 ただ。

 私はもっと息子の持つ強さを信じていいのだろう。

 そのことだけは、しっかりとわかった。


「三日くらい経ってから、『それ、着替えないの?』言われました。守もコスプレと思っていたようで、脱げません答えたらとてもびっくりしていました」


 息子よ。


「ワタシがしたい格好すればいいと思って黙っていたそうです。でもお風呂入らないのかわいそうと思って言ったそうです。お風呂必要ないと知って、便利だねと感心していました」


 息子――。

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