第3話 既成概念は捨てるんだ

「ワタシが地球人ではないと知っても、ここにいていいと言ってくれました」


 本当に相手を気遣い、尊重できるいい子に育って嬉しい。

 ただ、親としては同時にやはり不安を捨て去ることもできない。

 ノイバスティから悪意は感じないが、私は今こうして話していても警戒を完全に解いているわけではない。

 私は大人だ。家族を守らなければならない。

 これまでの話から倫理観がそうかけ離れているとは思わないけれど、同じ地球でもピースサインを反対の意味として捉える文化もあるわけで、私たちの隔たりは宇宙規模なのだ。私の常識が彼の常識にはならないはず。

 ノイバスティに悪気がなくても、私たちにとっては害なことだってあるかもしれない。

 私だけは流されず、冷静に見極めていかなければ。


「それって、どれくらい前の事なの?」

「この星でいうと、二週間くらい前ですね」


 私が物音などを気にし始めたのが一週間くらい前だから、数日は気づかずにいたようだ。

 思春期の子供が何してるかなんて親はわからないものだと改めて思う。


「そして、押し入れに住めばいいと言ってくれました。こういう時は押し入れに住むものなのだと教えてくれたのです」


 それは……

 うん。

 有名な押し入れの中の人外は家族にも友達にもオープンだけれど、ノイバスティは親の目から隠さなければならなかったから、まさに押し入れの中が適しているとは思う。

 だが国民的テレビアニメの影響って大きいなと思い知る。


「ごめんなさいね、狭かったでしょう」

「いえ、サイズは変えられるので」


 マジで?


「そ、そう……。ところで、ずっと聞きたかったのだけれど、ウサギを飼っていたりする?」

「ウサギは地球の生き物ですね。飼っていませんよ」

「じゃ、じゃあ、ウサギのエサは何のために買ったのかしら」

「ああ、それは、ワタシにとってどのようなものが栄養になるかわからず、いろいろと用意してくれたのです。自然に近いものがいいかもしれないと、ウサギは草を食べますから、そのエサを選んでみたそうです」

「なるほど……」


 そんな思考の流れによる選択だったとはまったくもって想像もつかなかった。

 だが確かに、他の惑星から来たのなら何から栄養を摂っているのか、何を食べられるのかわからない。


「おいしかったですよ。でも地球人が食べる普通のものが食べられるとわかりましたので、今はサンドイッチとモナカをいただいています。モナカは空腹に最強なのだそうで」


 モナカ推しは息子の受け売りだったか。

 むしろ息子が新興宗教を興しかけていたのか。

 だが空腹に最強なのはその通りだ。


「ごめんなさいね、同じ物ばかりで飽きたでしょう」

「いえ、我々は栄養が一か月摂れなくても死ぬことはないので、食べなくても問題はないのです。守にもそう言っているのですが、何もあげずにいるのは落ち着かないと、自分のおこづかいでいろいろと買ってきてくれるのです」


 台所にあるものを勝手に持って行くのではないところが、息子らしい。

 やはり、自分のわがままで面倒を見ているのだから、自分の責任の範囲でやりくりしようとでも思ったのだろう。

 本当に真面目な子だ。

 ゲームがほしいから夏までお小遣いを貯めるのだと言っていたのに。


 相談してくれなかったことはショックではあるけれど、さすがに反対されると思ったのだろう。

 確かに真正面から連れて来られて「元の場所に返してきなさい」と青ざめない自信はない。

 


「この星の食べ物はとてもおいしいので嬉しく食べています。モナカはまずいものに出会ったことがありません。あれは奇跡の食べ物ですね」

「まあ、そう……ですね、はい」


 息子と同じ様なことを言っている。

 だいぶ感化されてしまっているようだ。

 偏った文化を学んでしまわないか心配になる。


「だから私の今の研究テーマはですね、『おいしくないモナカを探す』なのです。とにかく安定した美味しさのモナカがおいしくない時があるのか、それが疑問でして。生きるためではなく楽しみのために食べる状況にいる人間にとっては、おいしいものからそうではないものまで味のレベルが様々にあるようですので、おいしくないモナカが商売として売られていることはあるのだろうかという、そういう研究です」


 何を言っているのかと思ってしまうけど、なんだかちょっとわかるような気もする。


「日本のことも、日本語も、だいぶ詳しいのね」


 ところどころ引っかかるところはあるけれど、数日前からの伸びを考えると本当に驚きでしかない。


「はい。守に辞書を借りてインプットしました。それからテレビやインターネットを見て、生きている言語として日本語を学習し、自動翻訳できるに至りました」


 なるほど。AI学習とか、ディープラーニングとか、なんかわからないけどそういう技術の生体バージョンといったところだろうか。


「ここに、こうして……」


 ノイバスティは言いながらジャージの前をジジジッと開けると、灰色のお腹に手をかけ、パカリと開いた。

 ロボットか。

 自分とは違う構造なのだとわかっていても、生身の生き物にそれをされるとちょっと怯む。

 真っ黒の闇で奥行きもわからないそこに手近にあった息子の参考書をそっと入れ、カポリと閉じる。


「こうすることで、今、この地球で起きた様々な歴史がインプットされました。邪馬台国とか、第二次世界大戦とか、地球も大変だったんですね」


 ほう。これはすごい。

 他にも話し方や日本の習慣などのマナー本を一揃い投入して一晩かけて解析。それと息子との会話やテレビ、インターネットで『会話』としての言語のクセを読み取り、日常会話ができるようになったそうだ。


 だからこんなにも丁寧な話し方ができるのだと感心した。

 そしてそれは、マナー本を取り込んだのであれば、私たちに敬意を持って話そうとしてくれているということでもある。

 倫理観や道徳がどうなっているのか気になったけれど、やはり助け合いとか優しさとかの生きていく上でベースになるようなものは生物の進化過程で自然と醸成されるものなのかもしれない。

 動物でも見られることもあるし、言語が使えると複雑なコミュニケーションがとれるからより一層そういった傾向が強くなるのだろうか。

 そう考えながらも、どうしても気になる。

 私はちらちらとノイバスティの様子を窺いながら、口火を切った。


「さっき、地球に来たのは侵略が目的じゃないって言ってたけど……」

「はい。共存できないか、探りに来たのです」

「共存……」


 しばらく黙って見つめ合い、私はごくりと唾をのみ込んだ。


「共存、よね。侵略ではないのよね?」

「はい。共存です。ただ、調査の結果、この星はあまり移住先には適していないようです」


 念を押した私にノイバスティは、事情を語って聞かせてくれた。

 今住んでいる、……何星だっけ、えーと、コニャ……、忘れたけど、その星が環境汚染により住みにくくなっていて、他に住める星を探しているのだそうだ。

 どこかで聞いた話だ。

 いや地球と一緒ではないか。


 こちらも火星移住計画などがあることを話したけれど、どうやら彼らと私たち人間では生きるための必須条件が異なるらしい。

 まず彼らは酸素と水を必要としない。

 彼らにとって必要な物質は「ボルゲニィスタンコ」みたいな単語だったけれど、何度聞き返しても何を言っているのか聞き取れなかった。

 この地球には存在しない物質で、翻訳しようとしても彼が住んでいる星の名前と同じように、それに該当する名称がないからだ。

 だから地球には長くいられないのだけれど、時間と費用をかけてせっかく辿り着いた星であり、何か地球についての情報を持ち帰りたいのだそうだ。

 他の星に移り住む場合も、そこに先に住んでいる生き物を抹殺して奪い取るということではなく、先程の言葉の通り、共存できないかを模索しているらしい。


 その話を信じるならば、だけれど、私はノイバスティを信じていいような気がした。

 もちろん、人間とはかけはなれた顔立ちだから表情を読むことはできない。

 でも、息子が信じたお友達だ。

 私もそれを裏切らないよう見守っていこう。

 そう決めた。




 ところで、ノイバスティに取り込まれた参考書が私の目の前で取り出されることはなかった。

 ノイバスティは『借りた』と言っていた。

 すべて解析が終わったらきっとまたあの蓋をぱかりと開けて取り出すのだろう。

 きっと。


 そうではなかった時は、再び買ってやらねばならない。

 教科書まで飲み込ませたようだが、過去の不要となったものであることを願うばかりだ。

 しかし辞書は今後も使うし、それらをどうやって自然な理由をつけて息子に渡すか。

 それが一番の難題かもしれない。

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