83、本を読みたい! 図書室に突撃だ!

 翌日から私たちはチェンバロの鍵盤を押さえながら、ピッチに気をつけて練習に励んだ。といってもまずチェンバロを正しく調律するところから始めなければいけないから大変だ。


 先生からピッチパイプを借りてきて、私かリオのどちらかが吹く。その間にもう一人がチューニングハンマーで基準音を合わせるのだ。そのあとはオクターブのズレを調節し、音律の授業で習った順番でチューニングしていく。


 練習だけしていればよいわけではなく、今まで通り授業にも出なければならない。全ての予定をこなし、日も傾くころ、私は意気揚々と教室を出た。


「オリヴィエーロ、どこ行くの?」


 リオが伸びをしながら尋ねる。


「図書室。エンツォが話してた歌唱法の本、読んでみたくない?」


「僕はいいや。疲れたから夕食まで屋根裏部屋で一眠りする」


 寝室のある棟へと遠ざかっていくリオの背中を見送ってから私はきびすを返した。夏の間もたびたびお世話になった図書室で、蔵書整理の仕事をしている先輩学生に相談する。


「あの、トージさんって人が書いた歌い方の本、ありますか?」


「ああ、君がオリヴィエーロくんかい? エンツォから聞いてるよ」


 エンツォが話を通してくれたんだ! 私の心は喜びに踊った。だがその期待はすぐにくつがえされた。


「おととし出版されたピエール・フランチェスコ・トージ氏の本だろう? 字が読めるようになったばかりの君には難しいと思うよ」


「字が読めるようになって二年は経つよ」


 かんにさわる言い方をされて、私はすぐに言い返した。だが先輩学生は、唇を突き出してわざとらしい困り顔を作りながら肩をすくめた。


「でもあの本は基本的に指導者向けに書かれているんだ」


「だけどエンツォはボクが来るってあなたに伝えたんでしょ? ボクが読めると思ったからだよ」


 引き下がらない私から、彼は面倒くさそうに目をそらした。


「エンツォが君の歳の頃には読めたんだろう」


「ならボクだって読める」


 私が断言すると、彼は大きなため息を吐いた。


「君は最近入ってきたから知らないだろうけれど、エンツォは神童と呼ばれていたんだ。音楽の能力だけじゃなくイタリア語やラテン語にも精通していて、詩作でも優れた才能を見せていた」


 先輩は窓枠に切り取られた暮れゆくナポリの空を見上げながら、小声で付け加えた。


「声と一緒に全ての自信を失って、あんなパッとしない青年になっちゃったけどね」


 最近のエンツォは頑張っているのに、なんという言われようだ。彼の作曲した小粋なメロディが私の頭を巡る。私がトージ氏の本に興味を示したときの、エンツォの嬉しそうな笑顔も思い出した。


「ボクはエンツォの期待を裏切りたくないし、読めるかどうか試してもいないのにあきらめるなんて嫌だ」


 上目遣いで訴えると、先輩学生はお手上げだと言いたげに天井を仰ぎ、書架の間へと入って行った。


 しばらくすると革表紙の本を持って戻ってきたので、私は高鳴る鼓動を抑えられずに手を伸ばした。だが手のひらを向けて止められてしまった。


「待ちなさい。君でも読める箇所を探すから」


 親切というより失礼である。


「あった、第六章だ」


 先輩は目次を指さしてつぶやくとページをめくった。扇のように本がひらき、パタパタと涼やかな音を奏でるたび、紙とインクの匂いがかすかに湧き上がる。


 彼は目当てのページをひらくと、私のほうに本を向けた。


「第六章『音楽学生のための所見』。そんなに長くないし難しくもない」


「ありがとう」


 私は一応礼を言って書物を受け取ると、閲覧席に座った。


 高鳴る胸を抑えながら、章の最初の行に目を走らせる。忠告された通り、決して易しい文章ではない。知らない単語も出てくる上、文章が長いと途中で意味が分からなくなってくる。


 しかし啖呵を切った手前、途中で投げ出すなんてかっこ悪いことはできない。それにせっかく文字の読み方を習ったのだから、本から知識を得たい。


 心は意志に燃えていても今日一日、歌ったりチェンバロを弾いたり音楽理論を詰め込んだりした頭は疲れていて、活字を追っていると眠くなってくる。窓から差し込む夕日に背中を照らされながら、私はなんとか本にかじりついていた。


 翌日以降も聖歌隊の練習がない日は毎日図書室に通い、私は本を読み進めた。


 基本的に耳が痛くなるようなことばかり書いてある。


 最初から「才能がなければどんな努力も無駄」と来たもんだ。さらに「生まれつき怠惰な性格でもやっぱり無理」だそうだ。


 だが一方で、良い発音とラテン語を学ぶことの大切さや、チェンバロ演奏や作曲技法を習得せよという教えなど、音楽院の先輩や先生たちから聞かされた話と重複する内容も多い。音楽理論を理解していないと、ダ・カーポ・アリアの繰り返し部分で変奏を披露するとき、ベースラインと合わなかったり、リズムからはずれたバリエーションを歌ってしまうからだ。


 カッファレッリからは最近のレッスンで、オペラシーズン中は劇場に通ってプロ歌手たちの歌から技術を盗めと言われたばかりだが、著者は「名歌手だけでなく、素晴らしい器楽奏者の演奏を頻繁に聴いて学べ」と書いていた。


 そして歌のテクニックについて最初に触れられているのは、「自分の声を急速に動かす練習」であった。今まさにアジリタを訓練している私は、やっぱりと心の中でつぶやいた。そして次に少しずつクレッシェンドする長い音符――メッサ・ディ・ヴォーチェについて述べられていた。


 決して読んで楽しい話ばかりではなかったが、様々な技術や知識を詰め込まれている毎日が、理にかなった教育計画なのだと実感できた。


 エンツォ作曲のサルヴェ・レジーナも順調に練習が進んでいった。何より作曲家自身が懇切丁寧に教えてくれるのだ。当然ながら彼は自分の書いた曲を愛していて、なぜこの単語にこの和声を当てたのか、それぞれの音型にどんな意味があるのかまで説明してくれた。


 私もリオも、今までだってポルポラ先生やレーオ先生など作曲家自身の指導を受けてきた。でも次から次へと新曲の依頼が舞い込む彼らと違って、エンツォは今回の一曲に賭けている。その気迫が伝わってきて、私とリオもますます真剣に音楽と向き合うことになった。


 二週間ほど経ったある日、いつも物静かなエンツォが珍しく頬を紅潮させて駆け寄ってきた。


「今日の午後、ドゥランテ先生が稽古をつけてくれるって!」


 いつもより少しだけ高い彼の声が、楽器の音が混ざり合う音楽院の廊下に響く。


 私とリオは目を合わせてうなずきあった。毎日たくさん練習してきたのだから仕上がりには自信がある。


 欠かさず練習につきあってくれたエンツォも晴れやかな笑顔を浮かべた。


「ようやく先生の前で披露できるね」




─ * ─




オリヴィアが一章分の感想を書いてしまったので、さすがに参考文献として載せておきますっ↓

ピエール・フランチェスコ・トージ著(1723)、ヨハン・フリードリヒ・アグリーコラ編(1757)、東川清一訳(2005)、『歌唱芸術の手引き』 、春秋社


さて次回、待ちに待ったドゥランテ先生の指導。褒められるのか撃沈されるのか、オリヴィアとリオの未来はどっちだ!?

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