73、舞台の成功と、次なる出演依頼

 合唱はオペラのラストを飾る役割なので、私たちは散々待ったあとでようやく歌うことができた。観客が気に入ったアリアはアンコールされるし、ボックス席の貴族たちは出入り自由だし、時にはボックス席に食べ物を運ばせるからおなかも満たされて、オペラは夜遅くまで延々と続くのだ。


 黙役と合唱だけとはいえ、私たち音楽院の生徒も終演後の舞台挨拶にも混ぜてもらえた。


 舞台上の歌手たちに拍手を送る観客の顔を見れば、オペラを楽しんでくれたことは一目瞭然だ。客席を見回すソリストたちの頬も紅潮している。すぐ隣に立っている私には彼らの満足感も躍動感も、その全てが伝わってきた。


 だからこそ私は彼らとの間に温度差を感じた。ソリストたちは観客の拍手喝采を受けて、万能感に満たされているのだろうか? それとも幾度となく繰り返して、今や見慣れた風景なのだろうか? 分からないからこそ私も同じ場所に立って確かめたい。


 チェンバロを弾いていたポルポラ先生も舞台上に招かれた。人々を自分の音楽で楽しませた先生は、心底ご満悦といった様子。劇場を埋め尽くす人が彼の音楽をたっぷりと聴いたのだ。作曲家としてこれほど幸せなことはないだろう。


 口々に、お疲れ様、と声をかけながら楽屋に戻るとき、ふと隣を見るとエンツォが歩いていた。


「あ、お疲れっす」


 目が合ってしまったので、仕方なく声をかけると、


「ポルポラ先生、幸せそうだったな」


 彼はしみじみとつぶやいた。


「大勢のお客さんが自分の書いた曲を喜んでくれるって幸せだろうなあ」


 うらやましそうにつぶやくエンツォの横顔を見上げると、彼は我がことのように満足そうな笑みを浮かべていた。きっと彼の目にはそう遠くない未来、自分が作曲したオペラを演奏するためチェンバロの前に座り、終演後、拍手喝采を受けている様子がありありと映っているのだろう。


 公演は成功だったらしくオペラはその月、繰り返し上演された。




 私とリオがすっかり舞台に慣れた頃、チケットの売り上げは次第に落ちて行き、オペラは千秋楽を迎えた。


 めくるめく非日常が終わるわびしさと、しばらくはゆっくりできるという安堵が胸の内で交錯する。だがとんでもなかった。


 オペラシーズンが終わると私たち下級生は、夏にサンタニェッロ修道院で行われる宗教劇に合唱要員として駆り出されることが告げられた。今回の音楽劇はオーケストラも音楽院の学生で構成される。


 台本こそ宗教的な内容を扱っているが、レオナルド・レーオ先生の音楽はオペラと変わらない様式で作曲された華やかなもの――ではあるのだが、私が歌うアルトパートはいつも通り内声だ。オペラの合唱に加われたときは期待に胸を躍らせたが、今回は音楽劇も二度目。ソロ曲の練習に後ろ髪を引かれる思いで、私は譜読みを進めた。


「オリヴィエーロ、合わせてみよう」


 屋根裏部屋でリオが声をかけてくれる。テノールやバスがいないと、いまいち和声が分かりにくいとはいえ、ソプラノパートの彼と二人で練習できるのはラッキーだ。


 退屈な譜読みもリオと二人でなんとか乗り越え、私たちは音楽院の教室で行われる練習に参加した。リオは去年の秋に入ってきた後輩トニオを気遣って声をかけてやる。


「初めての音楽劇で緊張するかも知れないけれど、頑張ろうね」


「フン、なんてことないもん!」


 トニオはそばかすを散らした鼻を鳴らす。


「おいらは五歳から教会の聖歌隊で歌って来たんだから!」


 優しいリオに対して生意気な口調で気炎を吐いたので、私はやわらかい栗毛に覆われたトニオの頭を小突いてやった。


「同じパートのリオに迷惑かけないようにね」


「わっ、意地悪なオリヴィエーロが出た!」


 トニオは小猿のように跳ね上がって距離を取った。


「なんでリオネッロはオリヴィエーロが好きなの? 意地悪なのに」


「オリヴィエーロは、僕にはとっても優しいんだよ」


 リオはとろけるような笑顔で答えた。


「でも僕がトニオに優しくするから、きっとオリヴィエーロはいてるんだね」


 なっ!? 私は驚いて言葉を失った。


「オリヴィエーロは何を焼いてるの?」


 トニオが無邪気に尋ねるのを無視して、リオはくすくすと笑いながら私の頭を撫でた。


 もしかして私はリオに仕返しされているのか!? 私がカッファレッリに夢中になっていたとき、いくら恋じゃないと言ったって、リオが抱えていた割り切れない気持ちが手に取るように分かったのだ。


 サンタニェッロ修道院は山の方にあるから、直前まで音楽院でリハーサルが行われた。オペラ劇場と違って修道院に舞台装置は存在しない。場面転換もないから覚える動きも少なく、音楽院ホールで練習していても問題ないのだ。


 夏に向けていよいよ日差しが強くなる中、私たちは通常授業の合間を縫って音楽劇を仕上げていった。 そして六月も終わりに近づく頃、ついに本番を迎えることになった。


 人里離れた修道院でおごそかに宗教劇が演じられるのだろうと想像していたのだが、実際は違った。大勢の人々が馬車に乗り、緑に囲まれた静かな修道院へ避暑を兼ねて集まってきたのだ。


 だが当日になって修道士から、予想だにしなかった検査の実施が告げられた。


 なんと、宗教劇に参加する高音歌手たちが本当に男子か、女子が混ざっていないか調べるというのだ。 器楽の学生や、声楽でもテノールやバスの若者たちは興味なさそうに中庭へ散って行った。


「あの神父様が検分するのかな?」


 まさか本当に女の子が混ざっているなんて考えもしないであろうサンドロさんが、笑いをこらえながら隣の学生にささやくのが聞こえた。


「どうしよう。俺様、二本生えてるんだけど」


 予想外に斜め上の冗談を飛ばしたのはカッファレッリだ。私とリオ以外の全員が、吹き出しそうになるのを必死で我慢する。真面目な顔をしていた私をからかおうと思ったのか、ぽっちゃりくんが決定的な発言をした。


「美人のオリヴィエーロが本当に男かどうか、明らかになるチャンスだね!」


 顔面蒼白のまま必死で笑顔を作ろうと努める私を、リオが抱き寄せ耳元で尋ねた。


「オリヴィア、アレつけてる?」


 リオが言っているのは、私たちが村を旅立つとき革職人のルイジおじさんが作ってくれた、サイズ違いのアレである。


 私は首から上が火を噴きそうなほど熱くなるのを感じながら、無声音で叫んだ。


「普段からつけてるわけないじゃん!」


 音楽院に入学して二年近く経つが、今まで一度も検査されたことなどなかったのだ。まさか忘れたころにやってくるとは。


「す、すみません。便所――」


 私は手を挙げると震える声で嘆願した。


「行っておいで」


 修道士は落ち着いた声で私を促した。


「調べられているときに緊張しておもらししたら大変だからね」


 優しい声音に救われるような気持ちで、私は広間を抜け出した。


「俺も行っておこうかな」


「あ、じゃあおいらも!」


 広間からぽっちゃりくんとチビのトニオの声が聞こえて、偶然カモフラージュになってくれたことに感謝する。


「あいつらノーパンだからパンツ履きに行ったんだぜ」


 カッファレッリが綺麗な声でしょうもない冗談を言うのが聞こえて、私は耳まで真っ赤になりながら楽屋代わりの小部屋へ向かって走った。




─ * ─




次回『ついに来た、禁断の検査』

オリヴィア、ピンチ!?

ようやく期待の伏線、大回収となるのか!?笑

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