観客の好む音楽、芸術家の目指す音楽。
これはオンライン小説にも似た感じがします。どちらもが大事で。だからこその、オリジナリティなんでしょうね。
せういうことも肌で感じるオリヴィエさん。すごいなぁ。
作者からの返信
大衆に好まれるものを作るのか、それとも芸術を貫くのか、結局バランスを取ることになるのでしょうが、音楽でもオンライン小説でも、おそらく映画や演劇なんかでも、直面する問題なんでしょうね・・・
オリジナリティや持ち味が時代にはまるかってところですよね(;´∀`)
最初の出だしのチェンバロのアルペジオというのが、気になって「バッハ:ソナタBWV.964」←でいいのかしら? を聞いておー!となりました。
楽曲にもよるのかもしれませんが、高音のアルペジオがコードと重なるときの音色が綺麗ですね。
と……オリヴィアちゃんとリオくんも舞台に立ち、その出だしに立っているという歓喜とともに、ぞくりとしたことでしょう!
音の反響は前でその先は客席。確かに見世物というカテゴライズされた空間ですが、間違いなく客席にはない舞台の音があるはずですから。
作者からの返信
アルペジオって単に「しゃららーん♪」って弾く感じなのですが、レチタティーヴォって大体こうやって始まるというか・・・チェンバロのテクニックとしてそうなるというか、って感じだと思います!
バッハ:ソナタBWV.964、私もチェンバロの音源を聴いてみました。
いかにもバッハ・・・(実はチェンバロ科に在籍していたこともあって、バッハは苦手課題だった)
いや、バッハ、聴く分には好きなんですけれどね!! 色々レッスンの記憶が😱
いつの時代も、観客が求めるものが純粋な芸術とは限らない……という感じはありますよね。人気歌手になるには、技量だけではなくそういう需要を読む力も必要なのかも?
リオ君やオリヴィアはどんな方向性を目指すのでしょうね^ ^
作者からの返信
でしょうねえ~
ひたすらアカデミックでも仕方ありませんからね・・・いや、オペラの舞台より貴族のお気に入りとか、宮廷歌手とかを目指すなら、通には分かる路線もありかも。
でも一般の人も見に来る劇場で人気を勝ち得るなら、分かりやすい「美しさ」や「すごさ」が必要なんだと思います。
コメント失礼します。
リオとオリヴィア、セリフの無い役だけど、オペラの舞台に立てましたね。
他の出演者の様子から学び取れる何かがあったように思います。
音楽家って天性のものだと思っていましたが、努力も大事なんですね。
エンツォの悪魔召喚の本はどうなるのだろうかとちょっと不安。
教会の力が強い時代だから、エンツォ罰せられないように願っています。
作者からの返信
>音楽家って天性のものだと思っていましたが、努力も大事なんですね。
天性を持っている人が努力してなるものだと思います。
練習しないで暗譜できる人なんていませんしね!
才能のあるなしもある程度努力しないと分からないし、あると思っても、できる人たちの空間へ行くとそうでもなくて挫折したりするし、厳しい世界です。
教会に破門されたらロンドンにでも渡ればいいのです!(カトリックじゃないので)
でも英語勉強しないと暮らしていけないし、大変ですよね・・・
編集済
芸術か見世物か、判断難しいことも多々ありそう。作り手が単なる受け狙いや予算的な苦肉の策でやったことが、何故か妙に受けて芸術っぽく持ち上げられ神扱いされるようなことがあったりしますから。
作者からの返信
コメントありがとうございます!
>予算的な苦肉の策
現代の話ですが、背景の書き割りや大道具が一切なく、ダンサーが踊って場面を表すやつ、あれプロダクションごと海外に持って行くときに荷物が少なくて便利なんだとか。
でも全身タイツのダンサーがくねくねしてるの、めっちゃ気になるので苦手です😂
音楽に集中しづらいっつーの。
あと日本の能楽のシンプルな演出からインスピレーションを受けたやつ。
予算少なく済むらしいけど、オペラって音楽が豪華だから合わないと思うんだよねー。
でもイタリアの国立音楽院で演出家の教授の講義で、能の演出について熱く語ってるときがあったから、
「芸術っぽく持ち上げられ神扱い」
の例かなと思いました😅
派手な飾りなどは一種のエンターテイメントですね。芸術とは、また少し違った部分かもしれません。そこに価値を見出すかはお客さん次第で、ただそういうとっかかりもないとお客さんは興味を持たないのかも……とも思います。
芸術は深く、難しいですから。お客さんに素晴らしさの全てを理解してもらうのは、難しいですよね……。
作者からの返信
バロック声楽に出てくるアクロバティックな歌唱は、分かりやすくエンターテインメントですね笑
私もそこらへんから入りました!
ハードロックのギタリストが速弾きを披露するようなものですよね。
おっしゃる通り、「とっかかり」だったと思います。
あ、でもやっぱり今でも、分かりやすく楽しいアリアは大好きだし、装飾的な歌唱もかっこいいと思っています笑
プロが思う「すごい音楽」と、一般客が思う「すごい音楽」に違いがあるのはリアルだなと思います。
ある程度の見識がないと、鑑賞していても何が凄いのかが分からないから、小手先の技術だけが「素晴らしいもの」として映ってしまうのかも?
同業者を感動させられてこそ、一人前なのかもしれませんね。
作者からの返信
>プロが思う「すごい音楽」と、一般客が思う「すごい音楽」
これ、違うんですよね💦
昔、ジャズギタリストにエレキギターを習ってたとき、彼が「俺たちのバンドはミュージシャンズ・ミュージシャンって呼ばれてるんだ」と自慢げに言っていましたが、私にとっては難解でした😅
イタリアの国立音楽院の教授は、某人気声楽家を批判し、「アカデミックでヒストリカルな様式はこれ」と彼女の歌い方を教えてきましたが、でも私は某人気声楽家の歌に心が躍ったんですよね。
あ、私はどうも一般客側の感性っぽい!?🤣
芸術か見せ物か?
おそらく0と100みたいな例はほんの僅かな天才だけだろうな。
同じ演者に対して
「見に来てやった」
「楽しませてもらいました」
ことなる観客がいて当たり前なので。
名声だけだと生きていけない。
金銭だけでは心が死ぬ。
どっちもバランスよく、かなあ?
でもこの時代くらいの作曲家とかは死んでから名声を得た人が多い気もする。
作者からの返信
この時代って作曲家より歌手がもてはやされる時代だったので、作曲家はほんと職人的な地味な存在でした。
なので現代になって名声を得た人、多いと思います。
バッハですら、ロマン派になって再発見された感じ。
当時の人は作曲家というより「即興演奏がすごいオルガン奏者。で、作曲家でもある」っていう認識だったみたいです。
通な観客は芸術を求めてるけど、大多数は分かりやすい面白さを求めてるでしょうね(^▽^;)
当たり前ですが、やはり色々なタイプの歌手がいるのですね。
『芸術なのか、見世物なのか』
観客の反応を見れば、歌う方としてはそんな疑問を持ってしまうかもしれませんよね。
でも観客なしに舞台はできないわけで、ジレンマですね…。
私がオペラの場面を見た漫画は「エマ」なので、舞台はイギリスです。国が違えば色々違うのかな??
作者からの返信
>観客なしに舞台はできないわけで
そうそう。
バロック時代はヴェルディやプッチーニの時代と比べても、オペラが消費される娯楽という扱いの時代だったと思います。
『エマ』、調べたらヴィクトリア朝時代のイギリスが舞台なんですね!
すると国というより時代の差が大きいと思います。
音楽も全然違いますし・・・。
イギリスでもヘンデルの時代ならそんなに大きく変わらないと思います。
ただイギリスの聴衆はイタリア語が分からない人も多かったので、レチタティーヴォが短くされたりしたみたいですが。
ちなみにカッファレッリもロンドンに渡ってヘンデルのオペラに出演したことがあります!
(現在のシーンより10年以上あとですが)
>手術の影響なのか、彼らの中には驚くほど高身長になる者や、若いうちから規格外に太ってしまう者が多く見られる。だが一方で、華奢で愛らしい姿を保ったままの者もいる。
そうなんですかー。
あの手術は、体格にも影響を与えるんですね。
>「あんな華美な装飾、合わないわ。このアリアのB部分は悲しみの発露なのに」
オペラだし、歌に解釈があるんでしょうね。
でも、解釈より、自分の技量を見せたい人もいるわけですね。
作者からの返信
>あの手術は、体格にも影響を与えるんですね
性ホルモンが出ることで子供時代の成長期が終わるとか? だから性ホルモンが出ないと延々背が伸び続ける場合があるそうです。
太るのは男性ホルモンが出ないと筋肉もつきにくいそうですしね。
>解釈より、自分の技量を見せたい人もいるわけですね。
観客も、通な客以外はアクロバティックな歌唱を見たいんだと思います。
綾森れん様、コメント失礼致します。
歌詞と歌い方の乖離って昭和歌謡なんかでもあったりするんですよね。
悲しい旋律にノーテンキな歌詞がついていたり。
逆に明るい旋律にシリアスな歌詞がついていたり。
でも歌手はそれぞれ指定された歌い方をしているだけですから罪はないのかな。
今回の歌手は自分の技巧を盲信しているタイプかもしれませんね。
プリマドンナの手厳しい指摘がオリヴィアの意識を少し変えるかもしれません。
続きも楽しみにしております!
作者からの返信
>今回の歌手は自分の技巧を盲信しているタイプ
その通りです!
バロックオペラについて書いた本を読んでいると、よくこういうタイプのカストラート歌手が出てくるので、いわゆる典型的なやつ、ということで書いてみました。
プリマドンナとバチバチなのもよくある話(笑)
もちろんライバルになるだけじゃなく、友情を結ぶ歌手同士もいたり、本当に人それぞれなのですが。
プリマドンナの手厳しい指摘(悲しいアリアに装飾つけまくっちゃだめ)は音楽院の先生にも言われたことなので、現代のバロック音楽演奏で守られている内容のはず。。。
昭和歌謡でもそういうの、あるんですね!
バロック音楽では短調が悲しいという感覚は現代ほどないのかな、とよく思います。
むしろゆったりとしたメロディアスな曲が悲しい歌詞ってのをよく見かけます。
『私たちが作り上げているのは芸術なのか、見世物なのか』これはおそらく、演じる側の想いと観客側の想いが違うのかなぁと思っちゃいました。
舞台に立つ歌手はプロで芸術家だから、プライドもあるでしょう。観客は単純に舞台自体を楽しみたいわけで····芸術品として観るというより嗜好として楽しむって感じのイメージ。
この食い違いを埋めるのは難しいんだろうなぁ。
ミュージカルは生で観たことがあるのですが、オペラはないんですよ。眼の前で聴いたら、すごい迫力なんだろうなぁと、読んでいて思いました(*´ω`*)♪
作者からの返信
まさにそれですね!
どの業界でも言えそう。
例えばお笑いなんかも見る側は暇つぶしといったらアレですけど、余暇を楽しむために見ているだけ。
でもやっているほうはプロ意識やプライドもある。
オペラとミュージカル、似たようなものだと思ってます! 結局、日本語でやるミュージカルにはかなわない。
英語ならまだしも、日本人にとってイタリア語やドイツ語、フランス語で歌われるオペラはやっぱりとっつきにくいと思うんです。
私はどちらも観てきましたが、得られる感動の種類とか質とか感覚は同じようなものだと感じています。
拝読致しました。
歌詞と歌い方の矛盾を指摘しつつ、それでも惹かれてしまう様子が微笑まし(^^)
技術はカッファレッリさんの方が……と思いつつも(身内びいき?)、その使い方で聴衆を沸かせる。
歌の戦場では歴戦の勇士のようです!十字軍だったらアレなようですが。
しかしオリヴィエちゃん、良く見ていますね。
分析がなかなか冷静そうで、ぽわぽわしていそうなリオ君とはやはり違いそう?
カッファレッリさんでも舞台袖の端役に成り下がる現状、さてリオ君たちの出番はいつ巡って来るのか……(;^_^A
作者からの返信
色々ツッコミどころはあるのです笑
まずバロックオペラの台本だけを読んだら、そんなに魅力的ではなかったりします。
でも音楽がつくと魅せられてしまう。
音楽映画やミュージカルでも起こる現象ですよね(^▽^;)
オリヴィアは身内びいきなのか、感情表現はカッファレッリのほうが、アジリタのテクニックはファリネッリのほうが、などと言っていますが、歌手それぞれ得意があるもの。
この主役歌手は豊かな声量と、勇ましい歌唱で観客を虜にしているんでしょう。
カッファレッリのデビューはもうすぐです!
と言っても主役を歌えるわけではありません。
主役を歌えるのは音楽院主催の学生のみ出演する音楽劇だったりする・・・。
楽しい歌声がこちらから聞こえるでありますなー('ω')拍手であります('ω')
作者からの返信
拍手をいただきありがとうございます!!
こんばんは。
オペラの歌詞が素敵です。
大活躍した騎士のはずが、ずっと恋愛に悩んでる、弱そう。そんな矛盾をチクリと書きつつ、オペラはひとつの宝石箱。
きらきら光って、魅力的で、人の心を鷲掴みにする。そのような特別な煌めきに満ちていた回でした。
カッファレッリがね、ちょっとしか出番がなくても、やっぱり素敵です。
作者からの返信
歌詞をお褒めいただき恐縮です!
実在するオペラアリアの歌詞を参考にしつつ、
そのままだと分かりにくかったり
日本語にならなかったりするので、
結構変えて使っています(^▽^;)
>大活躍した騎士のはずが、ずっと恋愛に悩んでる、弱そう。
バロックオペラを聴き始めた最初の頃、かなり謎だと感じていました笑
むしろ女性が男装してヒーローを救いに行ったりするので笑
でも何作も聴くうちに、戦場では強くても恋にはナイーブなヒーローの良さとか、だからこそテノールではなくソプラノの男性が歌うのがあってたんだとか、当時の美的感覚に共感できるようになりました。
そして共感できた頃には影響を受けるように笑
カッファレッリ、まじで二文くらいしか出てこなかったのですが、素敵だと言っていただけて嬉しいです!!
オペラを芸術と捉えるか、見世物と捉えるか…難しい問題ですね。
これから舞台に上がることも増えるリオとオリヴィアにとってもいつか考えなければならない問題になるのではないでしょうか。
もっとも、今の舞台を心から楽しんでいる二人にはいらない心配ですね!
作者からの返信
そうそう、今の若い二人にはまだ先の話です。
「見世物」になるテクニックがあって初めて悩む問題。
まだ二人のレベルでは、芸術を模倣したり、見世物になる技術を身につけたりしている段階で、それがまた楽しくてしょうがない学生というやつなんです(n*´ω`*n)