70、悪魔召喚を企んだ者は? 写本の作り手が明らかに

 早朝のミサを終え、いつも通り食堂でパンとミルクを口にする。今日の糧に感謝の祈りを捧げたあとで、私たち寄宿生に生徒監からお達しがあった。


「これから重要な話があるから全員、部屋に戻らず残るように」


 子供たちは不安そうに顔を見合わせた。


「何があったんだろう」


 リオがささやき声でつぶやく。音楽院に来てから一年以上経つけれど、こんなことは初めてだ。


 ほかの子供たちも小声で勝手な予想を口にし始めた。


「ナポリ王国に外国が攻めてくるとか?」


「いや、また伝染病かもしれないぞ」


「それより」


 と、ぽっちゃりくんの高い声が響いた。


「昨夜未明に寄宿舎内で殺人事件が起きたんだよ、きっと!」


「静粛に!」


 生徒監の太い声が食堂の空気を震わせ、子供たちは静まり返った。


 一番前に立った生徒監は長机に並んだ子供たちを見回すと、重々しく口をひらいた。


「先週、ナポリ城下の古書店で主の教えに背く種類の本が発見された」


 周囲の子供たちが顔を見合わせる中、私は動揺を隠そうと静かに深呼吸した。カッファレッリが司祭に渡した悪魔召喚に関する本の話に違いない。


「教会の協力のもと調査を進めた結果、複数の場所に同様の写本がばらまかれていることが判明した。お前たちに忠告しておく。妙な本を手に取ったりしたら破門だからな」


 生徒たちはしんと静まり返った。


「当然、音楽院は退学になるし、ナポリ王国からも強制追放となるだろう」


 空気は張り詰め、私語をする者は一人もいない。


「礼拝堂付きの司祭からも話がある。よく聞いておけ」


 生徒監は大理石の床に靴音を響かせて壁際に下がった。


 いつの間に食堂の入り口に立っていたのか、司祭様が静かに前へ歩いてくる。


「皆さん、恐れることはありません。主を信じる者は守られ、救われるでしょう」


 皆の緊張をほぐすように、司祭様のおごそかな声が響いた。


「ですから、これから話すことは皆さんには関係のない話です。でもなぜ複数の禁書がナポリ城下で見つかったのか、皆さんはきっと疑問に思うでしょうから、私が話せることを伝えたいと思います」


 司祭様の言葉に、私は思わずごくりと喉を鳴らした。


「大変なげかわしいことですが、数十年前より悪魔崇拝を行う秘密結社が存在しているという情報があります」


 数十年前? ずいぶん昔の話で驚いた。


 だがアンナおばさんのことを思い出してみれば、彼女の若い頃から秘密結社が暗躍していたということなのか。


「彼らは中世の錬金術師が残した悪魔召喚術を復活させたと言われていますが、真偽のほどは定かではありません」


 司祭様は声をひそめた。だが口調は強くなる。


「問題は、彼らが自分たちの仲間を増やすため新たに写本を作り、大都市にばらまいていることです!」


 つまりエンツォが古書店から買った写本は、中世に書かれたように偽装されていただけで、ここ数十年の間に秘密結社の者たちが作ったというわけだ。


「なんで、そんなこと――」


 前の方で誰かがつぶやいた。その問いに答えるように、司祭様が演説めいた口調で叫んだ。


「彼らは創造主に背き、この世を地獄に変えようとしているのです!」


 私の斜め前でエンツォが溜め息をつき、かすかに首を振るのが見えた。


 悪魔を召喚しようと試みた彼には分かるのだろう。神様にはお願いできないねがいがあるんだって。


 だがエンツォのしたことは、はたから見ればこの街を地獄に変えようとしたに等しい。


 秘密結社の連中は、神様にはお願いできない悪いことも望める自由な世界を作るために、暗躍しているのだろう。でも誰もが自分の欲望だけに忠実に生きる世界なんて、私は嫌だ。


 確かに多くの人間が欲にまみれていて、エンツォが手紙に書いていたように彼自身もリオも、美しい歌声を堪能したいという者たちの犠牲になった。


 だがその一方で音楽院は、貧しい子供に手を差し伸べようとした敬虔な人々の善意から生まれている。


 もしこの世が、神様の代わりに悪魔が支配する世界だったら私は今、人々の助けを得て音楽の勉強をしていることはなかっただろう。


 生徒監から部屋へ戻る許可が下りたので私たちは立ち上がり、ぞろぞろと並んで廊下に出た。人波に従って歩いていると、リオがさりげなく私を抱き寄せ、耳元に唇を近づけた。


「僕たちの歌声なら秘密結社に打ち勝てるかもね!」


 リオの言うことは半分くらい正しい。私とリオが一緒に歌えば、秘密結社をつぶせなくても、彼らが呼び出した悪魔を退けられるのだろう。


 でも私の夢は華やかな舞台に立つこと。私たちの力が教会から認められて、悪魔退治に駆り出される日々を過ごすなんて嬉しくない。


 私はカッファレッリのように歌声で皆を魅了したいんだ。エクソシストになりたいわけじゃない、スターになりたいんだから。


 だが数か月後の本番で、私は少し考え方を変えることになった。でもそれは同時に、私とリオの力が教会中央――ローマに知られるきっかけにもなるのだが、私たちはその前に合唱の本番をいくつもこなさねばならない。


 まずはオペラの本番である。私とリオのオペラデビューは二週間後に迫っていた。



─ * ─



次回はオリヴィアとリオが初めてオペラの舞台に立ちます!

といってもソリストではありませんが、こうやって少しずつ舞台に慣れていくんだなと思っていただければ!

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