第四幕、歌手オリヴィエーロの躍進
67、オリヴィアとリオ、歌声の秘密に気付く
夜の
私は寝間着姿で窓の前に立ち、鎧戸を少しだけ開けた状態で掛け金を下ろしてから、古びた木枠がガタつくガラス窓を閉めた。格子状に並ぶ歪んだガラスを通して、月明かりが床に一筋、銀色の帯を垂らす。
私もリオも真っ暗な部屋で寝るのはちょっぴり怖いから、鎧戸が完全に閉まらないように工夫しているのだ。
「オリヴィア」
ベッドの上に座ったリオが、ひそやかに私の本名を呼んだ。
「僕は今日、君とデュエットを歌えてとっても幸せだった」
「私もよ、リオ」
答えて振り返ると、片頬を月明りに濡らしたリオが、ふふ、と嬉しそうな忍び笑いをもらした。
「本番のオリヴィア、堂々としていてかっこよかった」
「リオが隣にいてくれたから」
私一人だったら、うまく歌わなくちゃというプレッシャーに押しつぶされていたかもしれない。リオと一緒にいるだけで、私は自然体でいられる。
「ねえリオ。エンツォはどうして急に正気に戻ったんだと思う?」
私は尋ねながら毛布の中にすべりこんだ。ぴったりとくっつけた隣のベッドの上でリオが一瞬、目を見開いた。だがすぐに、いたずらっぽい笑い声を上げる。
「そりゃあオリヴィア、僕と君の愛が屋上に届いたのさ」
何を言い出すんだ、この子は。冗談とも本気ともつかないリオの言葉に、私はどう答えてよいか分からない。毛布に包まれた全身が急に熱くなって、思わず片腕を出した。
「オリヴィア、夜中になったら冷えるよ」
リオは寝返りを打ってベッドの境界線を越えると、私を毛布ごとくるみこむように抱きしめた。疲れているのにドキドキして眠れなくなっちゃう!
私は冷静さを取り戻そうと、演奏会直後からリオに話すべく何度も頭の中で繰り返してきたセリフを、早口でまくし立てた。
「もしかしたら私とリオが声をかさねて歌うと、悪魔の影響下にある人を救えるんじゃないかって思ったの」
「僕も同じことを考えていたんだ」
リオの意外な言葉に、私は驚いて口をつぐんでしまった。リオはおっとりとして見えるけれど時々、勘が鋭いのだ。
「アンナおばさんが正気に戻ったのもきっと、僕たちが一緒に歌ったからじゃないかと思って、なぜだか考えてみたんだ。思い当たるのは、僕とオリヴィアが愛し合っていることしかない」
リオは真面目な口調で堂々と分析した。
「きっと僕たちの強い愛はどんな憎しみをも、とかしてしまうんだ。ああ、なんて素晴らしいんだろう。僕たちの愛は無敵なんだ!」
「うん」
私はリオの腕の中で小さく答えたものの喜びのせいか、それとも恥じらいのせいか、混乱して二の句を告げなかった。
「オリヴィアは知ってると思うけど、僕はエンツォを救おうとしていたんだ。でも失敗しちゃった。だけど今日、愛するオリヴィアと歌ったら、エンツォに光を届けられた!」
毛布の中でリオの手が、私の肩をいとおしそうに撫でている。
「言葉を尽くしてもだめだったけど、歌声でなら人を救えるんだって、僕は今日はっきり知った。僕たちは一番好きなことをして、みんなを幸せにできるんだ。最高じゃない?」
消灯時間が過ぎていることを気にしてリオはささやき声のまま話していたが、その口調は熱っぽく、興奮を抑えられないようだった。
私は月明かりに濡れたリオの髪を指先にからめながら、
「でもアンナおばさんのときは私たち、聖歌を歌ったでしょ? 今回は世俗の愛の歌。それでも不思議なことが起こるなんて」
「僕たちが愛し合ってるから奇跡が起きるに決まってるじゃん」
リオは断言した。これ以上理屈っぽい質問を続けたら、まるで私が二人の愛を疑っているようだ。
私は仕方なく、口を閉じてリオの腕に身をゆだねた。勘が鋭くてもやっぱりリオの頭ん中はお花畑。でもそんなリオがいとおしい。
涼やかな月光に抱かれながら、私たちは心地よい眠りに誘われていった。
私とリオの歌は評判が良かったらしく、私たちの生活は一変した。聴衆の少ない第一部に出ていたら、こんなに早くチャンスが訪れることはなかっただろう。新進気鋭の作曲家であるハッセさんに編曲と伴奏をしてもらえたことは幸運だった。
リオと私はまず、音楽院からほど近い教会の常設聖歌隊に加わることとなった。本番は毎週日曜の朝だが、水曜と金曜の午後に行われるリハーサルにも参加しなければならない。だからといって音楽院の授業数が減るわけではないから、以前にも増して忙しくなった。
私とリオが学校外でも実力を発揮できることが分かると、音楽院経由の仕事も次々と舞い込んできた。葬儀に参列したり、裕福な市民が音楽院に依頼した個人的な礼拝で歌ったり、王国の式典に添えられる合唱に参加したりと、ありとあらゆる場面で歌声が求められた。王都ナポリの人々は、人生のいかなる場面にも音楽が必要だと考えているらしい。
外部で歌う機会が増えたとはいえ、私とリオの懐にお小遣いが入ってくることはなかった。無料で生活の面倒を見てもらい、文字の読み書きから歌やチェンバロなどの実技、さらには音楽理論まで学ばせてもらっているのだから当然だろう。
毎日授業やリハーサルで歌い、週に一度ならず人前で歌う生活は、まさしく私の理想だった。夢見た歌手の生活に一歩近づいたようで、私は喜びに震えた。
音楽院に来て二回目の夏が過ぎ、私は十二歳になった。秋が深まる頃リオも誕生日を迎え、十一歳になった。同じころ、私たちに初めての後輩ができた。
音楽院には時折り新入生が入って来るが、楽器の子だったり声楽でもテノールだったりと、今まで私たちの後輩だと思える生徒はいなかった。
だが八歳のトニオはあの手術を終えて、将来有望なソプラノとして音楽院にやってきた。
私たちにポルポラ先生が作曲したオペラの合唱に参加せよという話が舞い込んだのはその直後だった。
─ * ─
合唱とはいえ、ついにオペラの舞台に乗れるチャンス!
次回は劇場が舞台です!
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