61、エンツォはどこにいる?
カッファレッリはリオの手からエンツォの手紙を抜き取っていた。
「か、返してよ! それ僕宛てだよ!」
リオがその場で飛び跳ねて取り返そうとするが、カッファレッリは手紙を持った手を高く掲げて読み始めた。
「この几帳面な筆跡、エンツォか」
ナツメヤシの葉を揺らす風がカッファレッリの髪をなびかせる。日差しを反射するカールヘアの上で、夏の訪れを導く風の妖精たちが踊っているかのようだ。
「とんでもねえな。あのダメ先輩」
苦い顔でつぶやいたカッファレッリに、
「先輩なんだ」
私は目を丸くした。確かにエンツォはカッファレッリより年上に見える。だが比べようもないほどカッファレッリのほうが活躍しているから、エンツォが先輩というイメージが湧かなかったのだ。
「ああ。エンツォは俺がこの街に着いた時にはすでにポルポラ先生に習ってた。先日見たファリネッリよりは三つくらい年下だったと思うが、俺様にとっちゃあ兄弟子だったんだよ」
ポルポラ先生が私たちに、歌手の道が閉ざされたときのことも考えて幅広く学ぶよう話していたのを思い出す。高い声が出なくなった生徒は現在、オルガン奏者兼指揮者として、また指導者として活躍していると話していた。だがポルポラ先生はその生徒以外にも、声を失って苦しむ弟子を現在進行形で抱えていたんだ。
「ポルポラ先生はエンツォがレッスンに来なくなって心を痛めてた」
カッファレッリの言葉に私は反論した。
「だってエンツォは声が――」
「ニコラ・ポルポラは作曲家としても有能なんだぜ? 作曲を学ぶためにあの人の弟子になる学生もたくさんいる。高い声が出なくたって学ぶことはいくらでもあんだよ」
カッファレッリは
「あいつは神童ともてはやされて音楽院に連れてこられたのに、いろんな先生たちの期待を裏切りやがったんだ」
神童という言葉がナイフのように私の胸に刺さった。合唱の授業でラテン語をすらすらと訳し、ドゥランテ先生に褒められていたエンツォを思い出す。エンツォもかつては、明るい未来を描いて音楽院に入学した子供の一人だったんだ。
手紙をポケットに押し込んだカッファレッリに、リオは非難の声を上げた。
「返してくれないの!?」
「だめだ。お前らも俺様と一緒にレーオ先生のところに行って、この手紙について話すんだよ」
カッファレッリは想像以上に冷静だった。考えてみればエンツォが悪魔召喚を試みている証拠を手に入れた今こそ、大人に相談すべきだ。
「早くエンツォを探さないと火山が爆発しちゃうよ!」
回廊を歩くカッファレッリにリオが追いすがる。
「悪魔に頼んで火山を爆発させるんだったか? 本当にそんなことできるのか?」
カッファレッリは眉をひそめた。
「エンツォは悪魔召喚の写本を持ってたし。ラテン語で書いてあって翻訳してたんだよ」
リオの説明に、カッファレッリは廊下を歩きながら腕組みした。
「エンツォが本物だと信じるほど、ちゃんとしたラテン語ってことだよな?」
意外とエンツォの能力を高く見積もっているようだ。
「そりゃあ知識人じゃないと作れねえな。そんなものどこから手に入れたんだか」
「古書店で買ったって言ってた。ねえ、悪魔召喚の写本、本物かも知れないんだから、やっぱりエンツォを探そうよ」
大股で石の床を歩くカッファレッリの服をリオが引っ張った。
「だから人を頼るんだよ。本番前のお前らが音楽院中、いやナポリ中駆けまわってエンツォ一人を探すのかよ?」
確かに音楽院の敷地内にいるとは限らない。
「悪魔召喚が作り話でもエンツォが自殺しようとしてるのは本気だろうな。まあ奴にとっちゃあ自殺じゃなくて悪魔への捧げものか? とにかく止めなきゃなんねえ」
あれ? カッファレッリ、エンツォを救おうとするなんて意外と優しい? と思ったが違った。
「音楽院から自殺者なんて出たら、俺たちの音楽活動が制限されちまうかも知れねえ。そうじゃなくとも余計に管理が厳しくなるぞ」
「それは絶対いや」
私はつい本音をもらした。
廊下の向こうから顔を出したレーオ先生が、私たちに気付いてにこやかに手を振った。
「カッファレッリ、オリヴィエーロくんたちを連れてきてくれたのか」
「それより先生、面倒なことになった。これを見てくれ」
カッファレッリがポケットからエンツォの手紙を出すと、
「僕の服の上に乗ってたんです」
リオが説明を加えた。
手早く手紙を開くレーオ先生に、
「エンツォからだとよ」
カッファレッリがその名を告げた途端、先生の顔が曇った。
「元神童の成れの果てってやつだな」
頭の後ろで手を組み、天井に描かれた幾何学模様を見上げるカッファレッリの言葉に先生はさらに苦い顔になったが、たしなめる時間も惜しいようで手紙に目を走らせていた。
「教会に連絡するんスか?」
カッファレッリの言葉にレーオ先生は首を振った。
「そんなことをしたらエンツォの未来を握りつぶしてしまう。衛兵が動き出すような事態も避けたい。二十年前、僕がまだオリヴィエーロくらいの少年だったころ、暮らしていたピエタ・デイ・トゥルキーニ音楽院寄宿舎の少年たちが暴動を起こしたんだ」
レーオ先生は苦しそうに眉根を寄せた。
「食事量の増加を求めていた少年たちが夜中に院長と副院長の部屋に押し入って、彼らを外へ引きずり出したのさ。軍隊が空砲を撃って脅すほどの騒ぎになって、少なくない生徒が監獄送りになったり王国から追放処分になったりしたんだよ」
監獄送りと聞いて、私はナポリ王国の裁判所や評議会が入っている建物を思い出した。あそこの地下は牢屋だったはずだ。
「くだらねぇ嫌がらせを先導したくらいでピッポは放校処分になったからな。王国の都を消そうとたくらむ危険分子だと見なされたら、処刑は免れないかもしれん」
カッファレッリの予想は冷徹だが、事実その通りだろう。
「エンツォを助けてください!」
優しいリオはレーオ先生のジュストコールにしがみついて懇願した。
「大丈夫。院長や理事たちに知られないよう、僕たち音楽家だけでなんとかエンツォを探し出してみせるよ」
レーオ先生はリオの頭に大きな手のひらを乗せた。
「エンツォの件は僕たちが引き受ける。君たちは演奏に集中してくれ」
レーオ先生は私とリオに客席へのあいさつ作法について教えると、エンツォを探すために出て行った。そろそろ第一部が終わりに差し掛かる頃だ。
「ほかの子たちの演奏でも聴きに行く?」
私がリオを誘うと、カッファレッリが首を振った。
「すぐに第二部が始まってお前たちの出番になる。ホール横の小部屋で待機してな」
素直に従って小部屋へ向かうと、ちょうどハッセ氏がやって来るのが見えた。私たちはほかの生徒たちと共に出番を待つことにした。
いよいよ次が私たちの番というときになって、にわかに廊下の方が騒がしくなった。
「一体なんだ?」
ハッセさんが廊下に顔を出し、誰かと話し始めた。
「屋根の上に人がいるだって?」
彼の声が教室内の私たちにも聞こえてくる。
「このホールのちょうど上から飛び降りようとしているのか!?」
─ * ─
いよいよ出番というときに出てきました!
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