60、思いがけない助け船
私は卑劣な手紙を前にして怒りに震えていた。
リオの大事な本番を台無しにするため、こんな手紙を残す腐った
私たちが
エンツォ自身、歌手だから気持ちが不安定だと歌に響くことをよく知っているはず。彼とて未熟な時期を経てきたのだから、今のリオはまだ本番前に事件が起これば演奏に悪影響がある段階だと分かっているだろう。
それでリオの優しい性格なら罪悪感を抱かざるを得ない言葉を書き連ねたのだ。エンツォめ、一人で勝手に火山の業火に焼かれて死ねばいいのに。
「ああ許せない」
私は思わず憎しみのこもった声でつぶやいていた。
貴族たちもカッファレッリも嫌がらせをする普通の生徒たちも、全員火山灰に沈めようとしているエンツォだが、リオだけは噴火で命を落とすのでは溜飲が下がらないと見える。歌手としての失敗を味わわせてやるという、あいつのひねくれ曲がった性質が手紙からにじみ出ている。
「分かるよ。オリヴィエーロの気持ち」
リオが手紙を持っていない方の手で私を抱き寄せた。
「僕も許せないもん。ここまでエンツォを追い詰めた人たちを」
驚いた私は返す言葉もなくリオに抱きしめられていた。
リオはなんて優しいんだろう。私はエンツォに同情なんてできない。
確かに彼の境遇は不幸だ。嫌がらせをする普通の少年たちに復讐しようというなら手を貸しても構わない。だが恨みを向ける先がおかしいのだ。
とはいえリオに嫌われたくない私は、そいつ救う価値ないよ、と本音を漏らすことなどできなかった。
私を抱きしめたリオがかすかに震えているのに気が付いて横を見ると、リオは長いまつ毛を震わせて静かに泣いていた。
「リオ――」
私は愛らしい天使と向き合い、彼を両腕で抱きしめた。やわらかい金髪を優しく撫でる。
直前にこれほど傷付けられたら繊細なリオは今日、舞台に立てはしないだろう。でも私はリオを怒ったりしない。リオが欲望渦巻く音楽の世界などに足を踏み入れた理由は、元をたどれば私を救うためにその身を投げ出したせいなんだから。
「エンツォ、今どこにいるんだろう?」
リオがポツリとこぼした。
「探してどうするつもり?」
「自殺するのを僕たちの出番のあとにしてもらおうと思って」
リオの意図が汲めずに、私は彼から体を離すと
「僕たち最期の舞台を終えてから、街を破壊してもらうんだ」
目に涙をためた痛ましい表情ではあるが、リオは淡々と言葉を紡いだ。エンツォの命を救うと言い出すのかと思っていた。いや、それよりも――
「リオ、歌えるの?」
私の失礼な質問に、リオは驚いて目を見開いた。
「何言ってるの、オリヴィエーロ。待ちに待った僕たちの本番だよ。ずっとこの日を夢見てたじゃないか」
それから悲しそうに笑った。
「僕の本当の夢はファリネッリさんみたいに、この世のものとは思えないほど素敵な歌を歌うことだったんだけどね」
優しいだけの純朴な田舎の少年は、もうどこにもいないのだと私は悟った。いや、もうずっと前から――アンナおばさんにだまされたと知ったあの日から、リオは変わってしまったのかも知れない。
よく知る者の命より自分たちのステージの方が重いと感じる私たちは、もう普通の社会には戻れないのだろう。音楽がもたらす
「とにかくエンツォを探そう!」
私はリオの手を握って教室の出口へ向かった。リオと違って私は、今日が最期の本番だなんて絶対に嫌だ。今日は私とリオがデュエットしてお客さんを魅了する最初の日。ここから物語が幕を開けるんだ。
音楽と芸術に捧げられた魅惑の都ナポリを火山灰に沈めるなんて、この私が許さない。大馬鹿者のエンツォは私が蹴りを入れて止めてやる! 手足をふんじばって動けないようにしちまえば、自殺なんてしようもないんだから。
鼻息荒く扉から飛び出したところで、
「あっぶね!」
頭上で聞き慣れた声が響いた。
「いきなり飛び出して来んなよ、お前ら! 前見ろ前!」
「カッファレッリ――」
ステージに立つことを意識して整えたのか、栗色の髪は艶めく波を描いて背中に舞い落ち、左右に分けた前髪は血色の良い頬の横で揺れている。涼やかな眉の下、自信に満ちた瞳が爛々と輝き、
私は思わず彼のまぶしさに目を細め、
「ごめん」
と謝った。
「そういえばレーオ先生がお前ら二人を探してたぞ」
「今それどころじゃないの」
リオの手を引いたままカッファレッリの横をすり抜けようとしたものの、
「待て待て、それどころじゃないわけないだろ。客席へのお辞儀の仕方とかタイミングとか説明されるんだよ」
カッファレッリは私たち二人の襟首を後ろからつかんだ。彼の方が頭一つ分は身長が高いから逃げられない。
「ん? それ手紙か?」
私の首が自由になったと思ったときには、カッファレッリはリオの手からエンツォの手紙を抜き取っていた。
─ * ─
次話『エンツォはどこにいる?』
オリヴィアとリオネッロの出番が迫ったとき、居場所が判明します。
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