55、人はなんのために音楽を聴くのか?
「愛するあなたに伝えましょう」
ゆったりとした三拍子のリズムでB部分が始まった。澄んだ青空のようにどこまでも清涼感のある歌声は、ファリネッリの真摯な人柄ゆえなのかも知れない。気品ある佇まいも手伝って、本当に身分の高い人物のようだ。
音楽が一瞬止まったと思ったら、突然四拍子に変わった。
「私のやり方に学ぶのなら
あなたを愛する者に従いなさい
同じ厳格さをもって」
また嵐のように高速なアジリタが戻ってくる。三拍子と四拍子が繰り返される曲の面白ささえ忘れさせるほどの圧倒的なテクニックだ。正確無比な音程で歌われるフレーズは下から上まで等しく美しい音色で、シャンデリアから下がるクリスタルのように曇り無き輝きを放っている。
私たちが目指さなければいけない芸術の高みが、これほど技巧的な歌唱だったとは。田舎の教会に通っているだけでは一生耳にすることのない最高峰の歌声を前に、私は唖然とするほかなかった。日々の基礎訓練も詰め込まれたカリキュラムも、ファリネッリのような歌手を生み出すためだったのか。
B部分が終わって間奏に入ったとき、私はカッファレッリの服の裾を引いた。嫌な顔をされたが気にせず、
「これ、どういう物語なの?」
と尋ねる。二幕から聞かされてもストーリーが分からない。
「知らん」
不機嫌な顔のまま、カッファレッリはまた視線を戻した。ダカーポのAが始まるのを察したからだ。
「『さらば玉座よ、さらば帝国よ』と
私は強き魂で申しましょう」
ダカーポ形式のアリアでは同じ歌詞が繰り返される。だが歌手はオリジナルの旋律を変奏して歌い、自分の歌声の良さを観客に見せつける。
だがハッセさんの書いたフレーズは最初から非常に難易度の高いものだ。あれ以上何を加えるというのだろう。
「そして『私はあなたから去り、死へと駆ける。
自由と引き換えに命を終えるために』と」
だがファリネッリは隙間なくアジリタを詰め込み、何小節続くのか分からない長い息を披露した。私はまばたきさえも忘れ、全身を耳にして聴いていた。
今では誰も知りようがないクレオパトラの美しさを、ファリネッリは圧倒的な声の芸術で完璧に表現して見せたのだ。観客は皆ひざまずき、ひれ伏すしかないだろう。
超絶技巧を余すところなく聴かせながらも、ファリネッリの歌は押しつけがましくない。音楽やオペラに興味がない人でも好感を抱くであろう、さわやかな歌声だった。
ぼんやりとしているうちに、アルト歌手ヴィットーリア・テージのレチタティーヴォは終わっていた。いけない、アルトこそ聴くべきなのに。
チェンバロが次のアリアの前奏を奏で始めたので、私はもう一度前を向いた。
おおらかな旋律が私の心を撫で、不安を癒していく。ファリネッリが歌った疾走感あふれるアリアより、ハッセさんの書く旋律の魅力はミドルテンポの曲でこそ発揮されるようだ。
「どうして見ていられよう
ああ神よ
私の光であったあの瞳が
弱々しく私に向けられるのを」
抑制された歌い方の中に愛と痛みが共存している。彼女の男性的で力強い声質は、ローマの執政官アントニウス役によく合っていた。意外なほどに男女が逆転している違和感を覚えない。テージさんの演技力のおかげかも知れないが。
彼女のアリアにはファリネッリほどの超絶技巧を聞かせるフレーズは出てこなかった。ハッセさんはそれぞれの歌手の声を生かして作曲しているようだ。
だが、あたたかみのある声で心に響く旋律を歌われると、私の絶望はとかされて泣きそうになった。
ファリネッリのほうが数倍難しいことをしているのに、私はテージさんの歌に心を揺さぶられていた。彼女の深い声は大地に根を張る大木のように、私の感情を支えてくれる。
高い音を出せることだけが歌声の価値ではないし、難しいパッセージを歌えることだけが歌手の魅力ではない。
人はなんのために音楽を聴くのだろう? 癒されたい、美しいものに浸りたい、楽しい気分になりたいなど人それぞれの理由があるだろうが、結局は心を動かされたいからに他ならない。
人の心に訴えかける歌は一種類じゃない。きっと最終的には、ポルポラ先生がおっしゃっていたように私は自分の声を、自分の歌を見つけていくのだろう。
だがそれは将来的な話。やっぱり今は技術を磨いてやる。
ヴィットーリア・テージは歌い終わると、作曲家にいくつか注文をつけた。
「お客さんは私の低音をもっと聴きたいと思うのよ」
「ふむ、ここの音を下げますか?」
「いいえ、最高音は今のままでいいわ。それよりここのフレーズを――」
テージさんはチェンバロに近づいて歌って聴かせる。
「ああ、それならこんな風にすれば――」
今度はハッセさんがテノールの美声を響かせた。目の前で旋律が磨き上げられていくのを、私はしかと目撃していた。
「ほかに何か要望とか歌いにくいところとか、ありませんか?」
「クレオパトラのレチタティーヴォなんだけど――」
ファリネッリが長い脚を優雅に動かしてチェンバロの横へやってきた。譜面台に置かれた手稿譜を指さしながら、
「このあたりからオケ伴奏つきレチタティーヴォにして、もっと感情を揺さぶる和声にして――」
ファリネッリは腕を伸ばすと立ったままチェンバロを弾いて、その場でレチタティーヴォを歌った。歌手も当然のようにチェンバロ演奏ができて、即興や作曲もマスターしているのを見せつけられる。私が勉強しなきゃいけないことは山積みだ!
デュエットは第二幕最後だそうで、結局そこまでたどり着かないうちにとっぷりと日が暮れてしまった。
「今日はここまでにしようか」
ハッセさんが指で眉間を押さえながら提案すると、歌手二人も賛成した。
部屋を出た私たちは、使用人に案内されて玄関ホールまで歩いた。テージさんが私とリオの背中を力強くたたき、
「どう? 勉強になった?」
と尋ねる。話し声も深いアルトのままだ。かっこいい。私たちはお礼を言うので精一杯だった。
玄関ホールに見送りの執事が出てきて、
「音楽院の生徒さんたちにはお迎えの馬車が来ていますよ」
と私たちを驚かせた。まさかジャンバッティスタの付き添いが馬車だったとは。
私たちのうしろではファリネッリが、
「ヴィットーリア、ディナーを食べていくだろう?」
テージさんへ親しげに話しかけている。二人は仲が良いらしい。
「マエストロも一緒にどう?」
テージさんに誘われたハッセさんは、
「いや僕は今、頭の中に曲のアイディアが詰まっているから、すぐに帰って楽譜に起こしたいんだ」
と辞退し、皆に挨拶をして帰って行った。
「やっぱりザクセン人はお堅いわねぇ。付き合い悪いんだから」
テージさんが華やかに笑うと、
「ヴィットーリア」
ファリネッリが柔和な笑みを浮かべてたしなめた。若い歌手と作曲家が集まって音楽を作り上げていくのはとても楽しそうだ。プロになるのは大変なことだけど、きっとつらいことばかりではないだろう。
私たち三人は丁重に礼を言ってカルミニャーノ邸を出た。去り際にファリネッリが、
「君たちも頑張ってね」
と透き通った声で応援してくれたのが印象的だった。普段の彼は物静かなタイプのようだ。
迎えの馬車の中にジャンバッティスタはおらず、御者は私たちをリストランテへ連れて行った。
※当時のイタリア人は、出身地に関わらずドイツ人をすべて「ザクセン人」呼ばわりしていたようです笑
─ * ─
次回は飯テロ回!?
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