42、甘い夜

「僕のパパとママはおっきなベッドに二人で寝てたよ?」


 返す言葉が見つからない私に構わず、リオはナイトテーブルをベッドの足元まで運んでしまった。続けてベッドを引きずろうとしたので、私は慌てて手を貸した。まだみんな起きているだろうが消灯時間も近い。屋根裏部屋でベッドを引きずったら下の階にいる人が驚くだろう。


 しかし二人がかりでもベッドは動かなかった。こっそり胸をなでおろす私とは反対に、リオは自分のベッドに乗っている毛布など一式をせっせと私のベッドに移した。


「これで動かせるはず」


 リオの言った通り、今度は二つのベッドをぴったりとくっつけることができた。まるで夫婦の寝室のようで、ドキドキを抑えられない。


「もうこの部屋には誰も呼べないね」


 月明りの中にリオの秘密めいた微笑が浮かび上がった。途端に心をとろかされて、私は言葉を忘れる。


 リオは二人分の毛布を重ねると、私の手を引いた。


「こうすればあったかいでしょ」


「あっ、でも管理人の奥さんが、寒かったら余ってる毛布貸してあげるって言ってたよ」


 私の無粋な返答に、リオの顔から笑みが消えてしまった。


「オリヴィア、僕とくっついて寝るの嫌なんだ」


「嫌じゃないよ!」


 やっぱり私はリオを不安にさせているんだ。


「リオ、ぎゅってしたまんま寝ようね」


 私はベッド脇でリオを抱きしめた。ちょっと機嫌を直したのか、リオはにやけたいのをこらえているようだ。


 ベッドに横たわると、毛布の中でリオに抱きしめられた私は、


「悩ませてごめんね」


 と小声でささやいた。リオが少し驚いたように息を吸う。


「私はリオだけのものだよ。カッファレッリのことなんて、なんとも思ってないの」


「やっぱり気付かれてた。僕、かっこ悪いな」


 リオはふと目をそらした。


「私がリオを不安にさせるような態度を取ったからだよね。私が歌手としてのあいつに憧れて。でもリオに対する気持ちとは全然違うの」


「どう違うの?」


 ちゃんと話さなくちゃとは思っていたが、予想していなかった質問が返ってきて私は戸惑った。


「だってあいつ、歌はうまいけど性格はあんなだよ?」


 いまいち回答になっていない私の言葉に、案の定リオはまつ毛を伏せた。


「でも僕は楽譜も読めないし、背もちっちゃいし、あいつみたいに稼ぎ頭でもないし。多分カッファレッリは外で仕事してお小遣いもらってるんだよね。いい服着ててかっこいいもん」


「リオも数年経ったらカッファレッリみたいになれるって」


 私の役に立たないなぐさめに、リオは何も言わなかった。リオは今、かっこよくなりたいのだ。数年後の話なんかしていない。


「私は優しくてかわいいリオが大好きなんだけどな」


 つい本音を漏らした。


「かわいいって言った。オリヴィア、僕のことかっこいいとは思ってないでしょ」


 やってしまった。もう、リオ、めんどくさいぞ!


「私はリオが大好きなの! それじゃだめ?」


 私はリオの上に覆いかぶさった。


「オリヴィア――」


 大きな目をさらに見開いて、長いまつ毛をしばたたかせるリオに、


「恋をするのに理由なんている? そんなの全部後付けでしょ? じゃあリオは声も顔も綺麗で、背が低いのに胸だけでかくて、豪華なドレス着て宝石をジャラジャラつけた女の人が好きなの?」


「違う」


 リオははっきりと否定すると、私の首に腕を回した。


「僕の理想はオリヴィアだから。声が低めで背が高くて胸がなくても、男装が似合っていても、僕の理想の人はオリヴィアだけだから」


「ひどい。私だって髪を伸ばして綺麗な服を着れば、もう少しマシに見えるはずなのに」


 私はねて、リオに背を向けた。


「ふふっ、オリヴィアは今のままで十分かわいいよ。っていうか短めの髪とか半ズボンとか、白タイツに包まれたふくらはぎとか、余計に君の魅力をあらわにしてる」


 リオの吐息が私のうなじにかかったと思ったら、やわらかくて湿ったものが押し付けられた。口づけされてると気付いた途端、全身を喜びが駆け巡る。


「オリヴィア、僕こそごめんね。心配かけて」


 リオがうしろから私を包み込むように抱きしめた。


「君の言う通りだよ。もし僕の前に歌のうまい女性が現れたからって、なんの興味もない。僕が好きなのはオリヴィアだけだから」


 強く抱きしめてくれるリオの腕を、私は優しく撫でた。


「よかった、分かってくれて。私にとってカッファレッリは、あんなふうに歌いたくて、あいつみたいな人気者になりたくて――つまり目標なの。こんなふうに触れ合いたいとは全く思えない」


「そっか。オリヴィアはいつも目標を定めて走ってるよね。僕は出会ったときから、ずっと君の強いまなざしに惹かれている。僕はあの日からオリヴィアのことしか考えられなくなっちゃった」


「私もリオを弟だと思っていた頃も、もっと大切な存在になってからも、リオが一番だよ」


 うしろから不満そうな短いため息が聞こえた。


「オリヴィア、もう僕を弟って言わないで」


「過去の話だってば」


 私は寝返りを打ってリオに向き直る。月明りの中で星の光をまとったような、彼のやわらかい金髪を両手で撫でた。


「姉と弟だったら、こんなふうに一つのベッドの中で抱き合わないでしょ?」


 自分の言葉に恥ずかしくなって私は赤面した。


「そりゃそうだね」


 リオは幸せそうに笑っている。


「嫉妬心から解放されると、こんなすっきりした気分になるって僕、初めて知ったよ。それもこれもオリヴィアの愛のおかげ」


 言うなり私の額に唇を押し付けたので、私は何を言おうとしていたか忘れてしまった。


「ねえオリヴィア、エンツォも僕の友情があれば嫉妬心から抜け出せるかな?」




─ * ─




なんかまた別方向に甘っちょろいことを言いだしたリオ。オリヴィアの返答は?

次回『ドゥランテ先生による合唱の授業』また新しい授業が始まったようです。

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