33、暴君は男装少女を救う

「俺様は関係ないよ」


 離れていてもよく通るカッファレッリの声を聞きながら、私は審判を待つ囚人のように不安の闇を見つめて立ち尽くしていた。


「ピッポが一人で足をすべらせて転んだだけだからね」


 カッファレッリの声がさらりと告げた。


 驚いて顔を上げたのは私だけではなかった。ピッポと呼ばれた大男も目を見開いている。一瞬時が止まったように二人の視線が交錯したが、呪縛から解かれたのは男の方が早かった。


「カッファレッリ、てめぇなんで――」


 抑える友人たちの腕を振り払い、牛乳まみれのまま立ち上がろうとしたとき、人垣が割れてカッファレッリが姿を現した。朝は垂らしたままだった栗色の髪をうしろでひとつに束ね、貴族のようにリボンで結んでいる。服装もほかの子供たちとは違う上質なもの。貧乏くさい孤児院へ視察に来た小さな貴公子といった雰囲気で、今しがた耳にした優雅な歌声がぴったりだ。


「おいおいピッポ」


 だが口を開くと尊大な態度は何も変わっていなくてホッとした。


「力自慢のお前がまさか、そこに立ってる女の子みてぇなガキとケンカして負けたなんて言わねえよな?」


 女の子みたいと言われて血の気が引く私に気付くことなく、ピッポは言い訳した。


「ケンカじゃねえよ! そこの新入りが俺にミルクぶっかけたんだよ!」


「ギャハハハハ!」


 カッファレッリはのけぞって、高い天井さえ突き抜けるかのような笑い声を上げた。


「だっせ! 嘘だろ? 普通よけるだろ? それとも自分のパート忘れた時みたいにヌボーっと突っ立ってたのか?」


「ち、違――」


 憤怒か羞恥か、ピッポは見る見る間に真っ赤になった。


「そりゃ違うよな? よかったぜ。冗談は演奏だけにしてくれよ」


「キサマっ」


「悪態ついてる暇があるならトランペットの腕でも磨いたらどうだ? 次の演奏会は代わってやらないぞ」


「ぐっ」


 ピッポは急におとなしくなった。カッファレッリは薄笑いを浮かべ、楽しそうにとどめを刺した。


「今度演奏会を台無しにしたらお前は退学だって院長が言ってたぜ」


 何も言い返せないピッポの前に、管理人が雑巾を投げてよこした。


「汚した床は拭いておけよ」 


 言い残して去っていく背中に、私は安堵の溜め息をついた。全身から力が抜けていく。


「おっと危ねえ」


 まるでダンスのターンを決めるかのようにカッファレッリがくるりと舞って、倒れかけた私の腰に腕を回した。


「とっとと食いに行こうぜ。俺様たちの特等席はあっちだ」


 彼が指さしたベンチには、同じ色のスカーフを巻いた少年たちが並んで座っている。彼らが天使の歌声を運命づけられた少年たちなのだと、私はすぐに悟った。年齢が高い子ほど、男にしてはなめらかな肌と体の線のやわらかさが際立って見える。


 リオと同じ目に遭った人がこんなにたくさんいるなんて、とショックを受けていたら、横からぐいと腕を引かれた。


「オリヴィエーロを支えるのは僕の役目なんだけど」


 リオが目に角を立てて、カッファレッリから私を引きはがした。


「ケッ、ガキのお友達を奪う気はねえよ」


 言葉とは裏腹に、カッファレッリが腹を立てた様子はない。配膳台の端に置いてあった木の盆を三枚取り、私とリオに一枚ずつ渡してくれた。


 不愛想な配膳係の少年たちからホットミルクとパンを受け取り、私たちはの席へ向かった。だが私は奇妙なことに気が付いた。


 長ベンチの左側には十人近い少年たちが並んで会話に花を咲かせているのに、右端に離れて座る少年だけがただ一人、陰気なオーラを放ってうつむいていた。だが近寄りがたい陰鬱さを物ともせずカッファレッリは、


「どいてくんな」


 と少年を立たせ、長ベンチの中央付近にどっかと腰を下ろした。私とリオもカッファレッリに続く。私たちが席に着くと、端の少年はどんよりとした表情のまま元の場所に座った。


 食前の祈りを済ませると、私は気になっていたことをカッファレッリに尋ねた。


「どうしてボクをあのピッポとかいう男から助けてくれたの?」




─ * ─




次回、助けてくれた理由と――

ちょっと待て。なんだか怪しいオーラを放つ奴が出てきたぞ?

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