30、天才にして問題児、ターノことカッファレッリ登場
鐘の音が聞こえて私の意識は再び浮上した。ゆっくりまぶたを上げると、鎧戸を開けたままのガラス窓から夕暮れの空が見える。
「リオ、食堂行かなきゃ」
「うん」
リオは目をつむったまま曖昧な返事をして毛布を引き上げた。私を抱きしめ直し、二人を包むように毛布をかけて再び寝息を立て始めた。
「夕食、いいの?」
夢見心地のまま尋ねると、
「オリヴィア、寒い?」
脈絡のない問いが返ってくる。
「ううん、平気」
「よかった。僕のかわいいオリヴィア、大切にするから――」
リオは私の髪を撫で、また眠ってしまった。
私もあきらめて目を閉じた。ポルポラ先生の前で歌って緊張したせいか、体より頭の芯が疲れ果てて動きたくない。泥のような睡魔が襲ってきて、食欲があるかどうかさえ分からなかった。
「俺様の部屋で何をしている!」
甲高い声が頭に響いてきて、私は一気に覚醒した。まぶたを開けるとリオも起き上がって目をこすっている。
「誰が許可したか知らないが、ここは俺様の部屋だ!」
気の強い少女かと思うようなよく通る声が、また耳に突き刺さった。
ここ、どこだっけ? という疑問から始まって私はようやく昨日、ポルポラ先生から聞いた話を思い出した。
「君がターノって人?」
寝ぼけまなこで尋ねたら、
「気安く呼ぶな!」
と叱責を受けた。確かに初対面からあだ名で呼ぶのは失礼だったかも知れない。
「俺様のことはカッファレッリ様と呼びたまえ!」
私はベッドの上から声の主を見下ろした。きつくしかめられた眉の下で、自信にあふれた瞳が
「カッファレッリ? ガエターノじゃなかったっけ、名前」
あくびを噛み殺しながら尋ねると、
「俺様のステージネームがカッファレッリってんだよ!」
苛立った答えが返ってきた。
「ステージネームで呼び合うの?」
音楽院ってそういうところ? と思いながら素直に尋ねると、
「呼び合うんじゃない! お前はただのガキだろう。だが俺様は明日のスターだ」
聞きしに勝る暴君だ。黙っていればわがままそうとはいえ美少年なのに、台無しである。
だが抱き合って眠っていた私とリオの関係を勘ぐらないのは助かった。自分が好きすぎて、他人に興味がないのかもしれない。
「いいなあ、ステージネーム。僕も欲しい」
隣からリオの無邪気な声が聞こえた。
「愚か者め、話を聞いていたか? 俺様はすでに天才だから、ステージネームを持っているんだ」
「ふぅん」
リオはまるで意に介さず、二段ベッドの柵から身を乗り出した。
「で、ステージネームってどうやって決めるの?」
「客につけてもらうこともあるし、自分で名乗ってもいいぞ。俺様の場合は恩師の苗字からもらってるんだ」
カッファレッリは意外と親切に説明した。
「恩師ってポルポラ先生?」
私の質問に、
「ポルポラのところに俺を連れて行ってくれた最初の先生さ。カッファロ先生と言ってな、俺の才能を見出して親父を説得してくれたんだ。俺を歌手にするようにって」
カッファレッリは胸を張ったが、私は何か引っかかった。カッファレッリが
「その先生があなたに手術を勧めたわけじゃないんだよね?」
「ずけずけと質問する野郎だな」
カッファレッリは私を見上げ、愉快そうに口元を歪めた。
「俺様たちは落馬だかなんだか、とにかく事故でこうなったことになってるんだぜ?」
「あ、そうでした」
私は間抜けな声を出した。手術に関わった者は破門されるんだっけ? うかつに手術を受けたなどと口走ってはいけないのか。
だがカッファレッリは自信に満ちた笑みを浮かべたままだ。
「正直な奴は嫌いじゃないぜ。お前の想像通りだよ」
私もリオもやや緊張する。だがカッファレッリはすらすらと言葉を続けた。
「カッファロ先生が、俺の声を損なう無駄なものを取っちまう方法があるって教えてくれたんだ。そのお陰で俺様は至極の歌声を保っているのさ」
「無駄って――」
リオはまるで自分が傷付けられたかのように、悲しそうな顔をしている。
「カッファレッリ、騙されてない?」
心配そうなリオを、カッファレッリは思いっきりにらみつけた。
「ああん?」
怖い怖い。
「俺様は自分の意志で、いらねぇもんはとっとと摘出してくれって頼んだんだよ」
ぽかんと口を開けたままのリオを置き去りにして、変わらぬ口調で話し続ける。
「主が俺様にお与えになった声という宝物を、子孫繁栄なんてつまんねえ目的のために捨てちまったら人類の損失だろ?」
本当に自分の才能を信じて疑っていないのだ。めまいがしてきた。
「でも」
と、リオはか細い声を出した。
「愛する人と結ばれることもない人生になっちゃうのに?」
「アーハッハッハ!」
カッファレッリはのけぞって笑い出した。
「お子ちゃまは知らねえよなあ? 俺たちの先輩方は女なんて抱き放題なんだぜ? どんなにヤっても孕ませる心配がない俺たちは大モテってわけよ!」
ゲラゲラ笑うカッファレッリを前に、リオは真っ赤になっている。
「そんな……、僕は――」
かすれ声を絞り出した。
「愛する人ただ一人と結ばれたいもん」
リオの手が毛布の中で動き、私の手を探し当てた。
「馬鹿だなあ。いろんな女抱いたほうが人生楽しいに決まってんだろ? ジジイになるまで毎日おんなじ女と顔突き合わせてて楽しいかよ」
嘲笑を浮かべるカッファレッリにしゃべらせておきながら、私たちは毛布の中でしっかりと手を握り合っていた。
カッファレッリは勢いよく腕を振り上げると、
「さあ出てった出てった!」
部屋の扉を指さした。
「タマタマなくなっちゃいましたぁなんて泣いてるような坊やに用はねえよ。そんな心意気じゃあプロになんかなれねえから、とっとと田舎に帰っちまいな」
「僕は帰らない!」
リオは勢いよく二段ベッドの上に立ち上がった。その途端ゴンと大きな音がして、私とカッファレッリは同時に天井を見上げた。
「いったぁ」
天井に頭をぶつけたリオは、涙目のまま宣言した。
「僕はすごい歌手になるんだもん!」
「あっそ」
カッファレッリは興味なさそうに吐き捨てた。
「じゃあほかの部屋を探すんだな。ここは俺様専用だから」
私は二段ベッドの手すりに両手を置いて、カッファレッリと目を合わせた。
「ボクたち、ポルポラ先生にこの部屋を使うよう言われたんです」
「くっそマジかよ」
カッファレッリは肩まで伸ばした栗色のカールヘアを鬱陶しそうにかき上げた。
「無理無理。繊細な俺様、一人じゃないと眠れないから」
言うなり扉のほうへつかつかと歩み寄り、勢いよく開けると廊下に出た。扉から顔をのぞかせて、
「管理人にほかの部屋を用意するよう言ってきてやる」
言い残して足早に去って行った。
─ * ─
次回「食堂に悪魔の気配」
ファンタジー要素を忘れたわけではありません笑 ちゃんと差し込みますっ
一難去ってまた一難――って部屋割りの難はまだ去っていなかった!
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