26、オリヴィアの入学試験
私たちは歌う前に自己紹介をしたが、ポルポラ氏は興味なさそうに首を縦に揺らしただけだった。彼は宿の主人のように私たちの容姿を話題にすることもなく、ただ歌声を待っているようだ。
私はリオに、自分が先に歌いたいと言ってあった。リオの華やかなソプラノの後では私の控えめなアルトなど、かき消えてしまうからだ。リオは喜んで私に一番手をゆずってくれた。
曲はジャンの前でも歌った聖歌「
私は心を落ち着けるために深呼吸した。今日この日に今後の人生が決まる――そう思えば否が応でも緊張は高まる。家の庭ではなく、遠く離れたナポリ王国の音楽院に立っていることも緊張に拍車をかける。
だが代償を払ったリオと違って、私はこの賭けに負けてもただの村娘に戻るだけだ。アンナおばさんから悪魔が去った今、ルイジおじさんたちの家へ帰って、今までと同じ生活を続けるだけ。だから落ち着いて歌えばよいのだ。
人生初の船旅ができて、ナポリ王国まで来られて、有名なオペラ作曲家の先生に声を聴いてもらえるというだけで、私は貴重な経験を味わえた幸せ者なんだから。
私は自分に言い聞かせて最初のフレーズを歌った。
「
私の声は翼を得たように舞い上がり、高い天井からやわらかく降り注いだ。
すごい。屋外で歌うのとは全く響きが違う。
期待に高鳴る鼓動を抑えて、私は歌の世界に向き直った。
私だけの秘密だけど、この歌はこっそりリオに捧げるの。イエス様は寛大でお優しい方だから、ほほ笑んで許してくださるだろうけれど、きっと大人たちは怒るから決して誰にも言わない。
「
次のフレーズを歌うと同時にまぶたの裏に浮かび上がったのは、故郷の教会に残されていた色褪せたピエタの図像――十字架から降ろされたイエス様を搔き抱くマリア様の姿だった。青いローブの下からのぞく聖母様の横顔は痛みに満ちている。
「
四肢の力を失い青ざめたイエス様に焦点が当たった途端、その姿は美しい少年へと変貌した。淡い金髪を頂いた
――私を救うために音楽への捧げものとなったリオ。
ああ、私は大噓つきだ! たとえ試験に落ちてもよいだなんて、緊張を避けるための方便に過ぎない。
十字架の下でリオを抱きとめるのは私なの。意識を失ったリオを膝に乗せ、この腕に抱きしめるのは私以外ありえない。その場所は誰にも渡さない。
歌手になることを運命づけられたリオの隣にいられる唯一の方法は、私も同じ道を歩むこと。結婚を禁じられ、女性と暮らすことさえ許されないリオと共に生きるには、ポルポラに私の歌声を認めさせなきゃいけない。
「
私は決意を新たに曲を締めくくった。
歌い終わった私はまっすぐポルポラ氏を見つめた。
彼は生徒の歌など聞き慣れているのか気楽にうなずいて、親しみを込めた笑顔を向けてくれた。歌を聴く前より物腰が柔らかくなった気がする。
「若いのにテキストをよく理解して歌っているな」
先日歌ったときも私はラテン語の意味をしっかりと意識して歌った。だが前回と今回では、私の心はまるで変わっていた。同じ曲を歌っても毎回違う演奏になるのだと、私は初めて知った。
場所が違えば響きが変わるのは当然だが、毎瞬、私の心も体も変化していくのだ。今日歌った歌は、今の私にしか歌えない。
すべての演奏はただ一度きり――音楽ってそういうものなんだ。
─ * ─
次回はポルポラ先生から講評が……! 感触はどうだったのか?
ちなみにリオも歌います!
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