王女の初恋

たいよう坊主

王女の初恋

「……お見合いか」


 執務室には正午を回った活気ある風がゆったり流れ込む。


 いい加減決めないといけない。そんなことはわかっているのに、気が乗らない。


 わたしには……




――キャー!


――シャノン王女よ!


――今日もお美しい。


思考でぐちゃぐちゃの重い頭を割ってしまうほどの甲高い声。


「ふふ、ごきげんよう」


咄嗟に作った王女スマイルと共に手を振って執務室の窓を閉める。




まったく休まらない。


 広いはずの執務室はプレゼントに溢れ、散らかったまま。


 そして机には、一枚の手紙。


 この手紙こそが、元凶なのよ。




 はぁ、とため息をこぼして重厚な椅子にだらしなく座る。


 その手紙の封蠟はわたしの家紋――つまり、この国の家紋が押されている。


お父様は味方だと思っていたのに。




 ――こんこんこん


「王女殿下、レイユでございます」


 急いで椅子に座り直し、黒いドレスの皺を伸ばした。


「入りなさい」


「失礼します」




 丸眼鏡をして、手帳を忙しなく捲るわたしの秘書は、プレゼントの山を一瞥した。


「今日もまた処分してしまってよろしいでしょうか?」


「ええ、お願いするわ」


「そういえば、この中にお見合い相手の贈り物があったはずですが」


「それも処分してちょうだい」


「ですが、王女殿下。今回の方は国王陛下がお決めになったはずです」


「でもいいの」


「……承知しました。一応中身だけお伝えしておきますが、熊のぬいぐるみだったようです」


 そう言ってわたしに見せる水色の箱にわたしは心惹かれた。




「ですが、今回の方は殿下のことを何もご存知ないようなので、見送りになっても陛下はお許しになるでしょう。ですが、殿下も十五。婚姻は責務であることをお忘れなく」


「ええ、わかっているわ」


 誰より理解してるから頭が重いんじゃない。


 しかし、この不満を吐く出したくとも吐き出せない。


 特にレイユの前では。


 かつて家庭教師だった彼女の前でそんなことをすれば、今日の午後がお説教になってしまう。せっかく得た久しぶりの休日を潰されてなるものですか。




 レイユは他のプレゼントを勝手に開封して、剣や絵画に惚れ惚れしている。


 わたしをわかっていない……ね。


 お父様とレイユ、数多の男たちを頭に浮かべ、わたしは自室に戻った。






「やっと終わったー」


 結ばれた髪を振りほどき、ドレスを脱ぎ捨てベッドにダイブ。


 けれど、床に散らばったドレスが気になる。


 あのまま放置すれば、皺がつき、洗濯するメイドを困らせる。それに、レイユが見たら何時間拘束されるか考えたくもない。




 うん。畳もう。


綺麗に畳んでやっとベッドに寝転がる。


 枕元にあった水色のクッションを見て思い出す。


 お見合い相手……いい人なんだろうな。いや、いい人だと思いたいだけかも。


 十五歳まで避け続けた婚姻。でも、わたしは王女だから。






 そんなわたしがすべてを忘れて遊べる日。それが今日なのだ。


 メイドによって上品に彩られたメイクを落とし、柔らかで淡い水色の服を着る。


 鏡を見て、王女らしくない自分がいれば問題ない。


 なんせわたしはこれから下町の孤児院に行くのだ。


 だからもちろん、お土産の飴玉も忘れない。


 さーて、庭まではこっそりとね。






 無事庭に辿り着く。そして、わたしと彼しかしらない抜け道を抜ければ、もう下町だ。


 とはいえ、抜け道。


 舗装されていないので、出口は屋根の上。だから滑り落ちるのも当然で。


「いてててて」


「あ! お姉ちゃんまた空から来たの?」


「へへ。お空に住んでるからね」


「お姉ちゃん、すっげー。王女様よりもすごいや」


 滑り落ちたここが、目的地。わたしが出資する孤児院なのだ。




 話しかけてきた男の子に飴玉をあげると、孤児院からわらわらと子どもが出てくる。


 出てきた子どもは飴玉を求めて列を作り、院長は庭に出てきて頭を下げてくれた。


 みんなが飴玉を貰い終えると、わたしは子どもたちに引っ張りだこ。


 わたしは子どもに人気なのだ。まったく困っちゃうわ。


 


 一通り遊び終え、伸びをしていると女の子が服を引っ張って「ねーねー」とわたしを呼ぶ。


「どうしたの?」


 周りを見渡して「お耳貸して」と囁く彼女。


 これは、そう。偶にある恋愛相談だ。


「実はね。わたしルイ君が好きなの」


「ルイ君?」


 彼女が指差したのは、最初に出会った男の子。


 あの少年。なかなかやるなぁ。


「気持ちは伝えたの?」


「ううん。ルイ君は運動ができる女の子が好きっていうから」


 なるほど、なるほど。


 彼女はおとなしそうな子だもんね。




 わたしがどうするか考えていると、何かに気付いたように焦って口に指を当てる。


「これ秘密だから!」


 どうやら、わたしが周りに言わないかを心配したらしい。


 だから私はこっそり飴玉を取り出し、彼女に本日二個目の飴玉をあげる。


「秘密だよ?」


わたしたちは飴玉を一個ずつ口に入れ、互いに笑顔を見せ合う。




 飴玉の懐かしい味が口に広がると、わたしはつい彼のことを思い出してしまった。


「わたしもね。好きな人がいたの」


 お見合いのこともあったから、つい口が軽くなってしまったのだと思う。


「クリスって言うんだけど。五歳のときに会ってから、ずっと会えてなくて」


 熱心に聞き入る彼女に微笑む。


「パーティーに疲れて逃げたら、同じく逃げた同志でね。わたしがぼぅと陰で座ってたら、本を読んでいた彼が話しかけてきたの。『面白いところ行く?』って」


「面白いところ?」


「そう、あの屋根の上よ」


 わたしは自分が滑り落ちた赤い屋根を指さす。


「それからずっと屋根でお喋りしてたんだけど、彼が飴玉をくれたの」


「どうして?」


「なんでかしら。わたしもわからないの。ただ、初めて食べる飴玉にメロメロなわたしに『よく喋って、飴玉で喜ぶ、そんな素の君の方が可愛いんじゃない?』なんて言うから、恥ずかしくなって逃げちゃった」


「え!」


「それから十年。ずっと会えていないの」




 金の短髪で、黒縁眼鏡を掛けた知的で大人しそうな彼。


 わたしも探したけど、クリスさんはこの国にたくさんいる。目ぼしい人を見に行っても、黒縁眼鏡の彼はいなかった。


「いつか、会えたらいいのだけど」


「いつか! いつか! ね!」


 興奮し、下から目を輝かせて見つめる彼女。


「素敵! うん。わたし、決めた」


 一人頷き、元気を取り戻した彼女。


「お姉ちゃん、話してくれてありがとう! わたしルイ君に好きって言ってくる。院長先生もおとなしいわたしも素敵って言ってたから、ルイ君にそんなわたしを好きになって欲しい」


「うん。頑張ってね」


「お姉ちゃんもいつか会えるよう頑張ってね。わたし、一緒に遊んでくれる元気なお姉ちゃん大好きだよ。王女さまもこんなに可愛かったらいいのにね!」


 そういって彼女はルイ君のもとへ向かう。




 王女さまも可愛いくしたいんだけどな。


 彼女とルイ君が話し、二人が手をつなぐまであっという間だった。どうやら成功したらしい。


 なんだか温かい気持ちになったが、わたしは王女になるため城へ戻った。






 同じ道で城に戻ると、通路で集会をしているメイド達に出会う。


「シャノン殿下もご結婚さえすれば完璧なのに」


「完璧で孤高だから見つからないのよ。この国の殿方じゃ釣り合わないんだわ」


「でもそれじゃ、行き遅れちゃうわよ」


「殿下なら仕方ないのよ。あのお方は完璧だから、完璧を求めてるに違いないんだから」


 そんなこと言った覚えないが、そう見えるらしい。


 陰口なんて聴くものじゃなかった。


 孤児院に行って軽くなった身体がずしりと重くなる。




 のそのそと自室へ向かっていて気を配らなかったせいか、背後から声を掛けられる。


 今、一番会いたくない人だ。


「シャノン。そんな恰好でどこに行ってた」


「お父様……えぇ、申し訳ございません。すこし、庭に」


「ならよい。直ぐに着替えて、私の部屋に来なさい。彼が来ている」


「彼? ですか」


「手紙を書いただろう。お前の見合い相手だ」


 脈が速くなるのを感じる。


 いつか決まると思っていたことが、今日になった。それだけで息が苦しくなる。




「気持ちはわかるが、許せ。これも政治だ」


 気持ちなんてわかってないくせに。


 頭に浮かぶ彼の姿にお別れするのが辛くて、視界がぼやける。


 だが泣くことは許されない。


 わたしは王女だから。


「はい。すぐに向かいます」


「うむ。レイユには伝えてある。すぐに準備するように」


 威厳ある足取りで踵を返すお父様。その背中が恨めしい。


 もし、王女じゃなかったら。


 数え切れないほど考えた。


 でも、変わらない。


 わたしは完璧で孤高な王女様。


「さようなら」


 わたしはポケットの飴玉を捨て、自室に急いだ。






「殿下、いいですか。失礼のないようにですよ」


「ええ、大丈夫よ」


 白く華憐なドレスに身を包み、ドアをノックする。


「入れ」


「失礼します」


 部屋にいたのは三人。


 お父様。眼鏡を持ち上げ笑顔を見せる宰相。そして背が高くガタイの良い男。


「彼は、ダンフォードの息子だ。軍部でも出世頭だから、私としても安心だ」


「恐悦至極に存じます」


「うむ。後は二人に任せるとしよう」


「はい。陛下」




 勝手に話を進めては、勝手に出て行く。


 わたしたちは部屋に二人残されてしまった。


 無言が続き、とても気まずい。しかし、彼はわたしが後を捧げる人。


「シャノン・ベルガーと申します。本日はどうぞよろしくお願い致します」


「先に名乗らせてしまって申し訳ない。クリストファー・ダンフォードと申します」


 その名前に反応して視線を上げる。だが、そうではなかった。


 金の短髪に、はっきりとした目鼻立ち。金髪でクリストファーだが、黒縁眼鏡もなければ知的な姿はそこにない。いかにもな軍人である。




「シャノン殿下」


 声を震わせて、直立する彼。


 そんなにも緊張されては、わたしまで身体が強張ってしまう。


「お、覚えておられますか?」


「何をでしょうか?」


 一瞬、忘れたはずの彼がよぎるが、そうであるはずがない。


「そう、ですよね」


「申し訳ございません。よろしければ、その話を教えていただけませんか?」


「はい。私は一度だけ殿下にお会いしたことがございます」


 まさか、そんなはずはない。


 それでも――




「あれは五歳の頃でした」


 頭が混乱する。


 彼ではないのだ、本を読み眼鏡をかけて 知的で大人しくて。


「城のパーティーから逃げていた私の下に、殿下が来たのです」


 そんな経験一度しかしたことがない。


「それから二人で城の抜け道を使って、屋根の上でお話したというだけの出会いなのですが」


「クリス……クリスなの?」


 彼は、照れ臭そうにひっそり笑みを浮かべる。


「はい。クリスでございます」




 その言葉を聞いて、わたしは抱きついた。


全く知らない誰かではない。本当のわたしを一番知って、本当のわたしを好きって言ってくれた彼なのだ。


 顔が熱く、涙が溢れそうになる。こんな顔、誰にも見せたくない。


 でも、彼なら、そう思えてしまうことがこそばゆい。


「クリス。眼鏡はどうしたのよ。わたし、あなたを探してたのに……」


「眼鏡は、伊達ですよ。あの時は殿下と会うため、自分なりに父をまねたカッコつけだったんです」


「でも、あなた昔はもっと……」




 刹那、扉が勢いよく開く。


「その話は私がしましょう」


 退出した全員が、盗み聞きしていたのだ。


「ダンフォードさん? どういうことですか?」


「実は愚息は愚息なりに、殿下に並び立ちたかったんです」


「わたしに?」


「ええ。殿下の完璧さに引けを取らないよう、文官学校を卒業した後、軍務に入ってから随分逞しくなって帰ってきました。ですので、かつてと違って見えたのでしょう」


 その事実が照れ臭い。クリスもまた、顔を赤くしていた。




「そうでしたの。けれどわたしだって探してましたのよ」


「口止めされていたんだ。だからシャノンは見つけられなかっただけだ」


「どうして、そんなこと」


「それはお前が、彼に聞いてみなさい」


 今にも卒倒しそうなくらい赤い顔の彼が言った。


「かっこつけたかったのです。殿下に見劣りしない男になりましたって」


 そんなことしなくても、と思った。でも、それじゃあ今ここに来てくれた彼に失礼な気がして、わたしも誠意を見せたかった。




「ありがとう。そうまでしてくれて」


 胸がいっぱいだった。


 王女として得られないと思っていた幸せだから。


 だから気づいた。問題に。


 それを指摘したのは、レイユだった。




「陛下、恐れながら申し上げます」


「なんだ」


「宰相どのの息子様と婚姻されては、国政が傾くのではないでしょうか」


 レイユの言う通り、これは政略結婚になり得ないのだ。


 国政が傾く恐れのあるリスクある結婚。


 本来王女としてしてはならない結婚なのだ。


「お父様、わたし……」


 王女として得てはいけない幸せ。


 今受けた幸せのすべてが、消えていくように脱力する。




「安心しなさい。シャノンが好きな人と結婚すればよい」


「陛下、ですが」


「レイユよ。わかっている。そんなことわかったうえで、認めたのだ」


「しかし、それでは責務の放棄――」


「落ち着け。レイユ。私は一国の王でありながら父でもありたいのだ。もちろん、良き王で、良き父でありたい。だから、良き父であるため、王として少し無理をしただけだ。なに、問題はない。身体に鞭を打ってでも、良き王でもいるつもりだ」


「陛下!」


「二度は言わん。下がりなさい」


 わたしと彼を見比べたレイユは、諦めたように部屋を出て行く。




 誰かが言わなくてはいけなかったことだ。彼女は、間違っていない。だからこそ、お父様の優しさに縋っていいのか不安になる。わたしは王女として、断るべきなのではないか。頭で王女のわたしが警鐘を鳴らし続ける。


「シャノン」


「幸せになりなさい」


 わたしは破願して頷いた。


「はい。お父様」


 彼と繋いだ手は温かく、心地よい。


「シャノン」


 彼はジャケットの内側から一本の花を取り出す。


 水色で鮮やかな花。


「シャノン。僕と結婚してください」


「はい」


 わたしは幸せだ。

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