6-4

「私に人殺しになれ、と……?」


 刃が火花を散らす。


「頼む……」


「無理です……!」


「頼む、アリウス!」


 自身の体を何とか制御できたファビオは、槍を握ったまま私の両肩を掴んだ。必死な表情で睨むように見てから突き放す。


 途端に彼は苦しみ始め、背中の肩甲骨辺りから――邪悪に染まった大翼が皮膚や服を突き破って姿を現した。翼を作る何枚もの羽から赤黒い血液が滴り落ち、体への負担が大きいのか、口角から絶え間なく流血していた。


「もう僕の意識は闇に呑まれる。そうなれば肉体は暴走を続けるだろう。お願いだ……僕はロレンツィオの殺人兵器にはなりたくないんだ……! これ以上、現世に未練を残したくない!」


 再び肉体の制御を失って猛攻を再開するファビオ。私が何とかそれを凌いでいると、ようやく置き去りにしたヨエル達がベクに到着した。しかし、私が戦っている事に理解できていないようだった。部隊が立ち止まる。


「アリウス、一体どうなっているんだ?」


「私はいいから、村の方を頼む!」


「わ、分かった。全員、消火作業を開始しろ! 負傷者を見つけ出せ!」


 ヨエルが命令を出すと、動揺していた部隊が一気に行動に移った。


 それを確認した私はファビオとの戦闘に気を集中しようと前を向いた途端、既に怪物は完成形に限りなく近付いていた。腕の骨が変形して皮膚を突き破って凶器と化し、その皮膚は血色の悪い赤紫色――私の右腕と同じ色に変色していた。


 ファビオはひたすら叫喚し、両手から槍を落として己の喉元を鋭利な爪で掻きむしる。喉に集結したあらゆる血管を引き裂いて、噴き出す血液の量は尋常ではなかった。しかし、その状態となってもファビオは倒れない。


 いくら仮の肉体を傷付けても死ぬ事を許されない、それが真の死神の運命である。声帯を切り裂いても、脳幹を刃が貫いても、きっと笑ってそこに立ち尽くし、同じ事を相手にやり返すであろう。


「アリウスッ……早く、早く殺してくれ……苦しい、苦しい!」


 泣き叫び、声と共に血を吐き出して私に襲い掛かる。真っ赤に染まった右手で首を掴み上げられるが、思い切って槍の矛先をファビオの心臓に突き刺す。だが、ファビオは呻き声を発するだけで、私は皮膚から抜けた槍と共に投げ飛ばされる。


 その時の私の喉元は、まるで私の首の血管が切られたかのように彼の血液がべっとりとこびり付いていた。目を細め、私は彼に向き直る。


「ファビオさん。まだ、あなたはあなたを保っていますか?」


 ――答えはないと言っていいだろう。獣のように低く唸り続ける彼に、過去の栄光の面影はない。手遅れ、とでも言い表すべきか。もう彼はファビオではない。ロレンツィオの闇に呑まれた、ただの怪物だ。


 死神が死神を殺していいものかと多少ながら戸惑う気持ちが湧いてくるが、今は考えている場合ではない事は確かである。


「ごめんなさい、ファビオさん」私は槍を手放して変色した右腕の袖をまくった。「あなたに“刃”は向けられない。せめて……せめてこの手であなたを闇から解放させてあげます」


 一気にファビオの懐に潜り込み、右手を彼の腹部に突き刺した。その際、私は彼の中に埋め込まれたあの“黒い塊”を手の平に握り、引き抜く。暴走の根源を取り除いたからか、彼は目を閉じて膝から崩れ落ちる。うつ伏せに倒れ、出血した血液が地面で飛び散る。


 私は憎き黒い塊を粉々に潰し、ファビオを仰向けにして骨が剥き出しになった両手を胸の上で組ませた。最後に竜騎士の弔いとして、彼の槍を頭の上に刺して。


「アリウス……」


 心配になって様子が気になったヨエルが隣にやって来た。目の前に横たわるファビオを見て、目を伏せる。


「あの時の……ロレンツィオに操られていたのか……」


「彼は誇り高き竜騎士だ」私は彼の側で肩膝を付く。「彼もまた、私と同様に黒い塊を体に埋め込まれていた。意識を失っていたが……彼は最後に一瞬だけ意識を取り戻したんだ。私がこの右腕で攻撃しようとした時、彼は勝手に動く右腕をその左手で押さえ込んでいたから」


 私が立ち上がると同時に、彼の仮の肉体は無数の光となり、白い魂を導くようにゆっくり、ゆっくりと天に昇って行った。見上げる私とヨエル。澄んだ青空は、ようやく安眠につける魂を受け入れるに相応しい。



 ――ありがとう、アリウス。



 空耳だと分かっていたが、そう聞こえた気がした。

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