5-4

 そう言って窓に向き直ると、ヨエルが大きな溜め息を吐いた。


「はっきり言って、あの時は色んな感情が入り混じっていてわけが分からなかった。気を緩めた途端に涙が流れていて、まるで自分が自分でないようだった。ぼうっとして何も考えられなかったが、とにかくアリウスだけは何としてでもドミンゴに連れて帰ろうと思ったんだ。あまりにも必死で断片的にしか覚えていないが、あの日以来、密林に似た場所を見ただけで自分を見失いそうになる。あの森の中で誰か倒れているんじゃないか、また誰か死んでいるんじゃないかと、ただそればかりを考えてしまうんだ。不思議な感覚だ。言葉で言い表す事は難しい。きっと、多少違っても殿下やガルシアさんも俺と同じ気持ちだと思う。特にガルシアさんは気持ちの整理がつかないんじゃないか? 子供に先立たれたっていう感情と、魂だけになったお前と再会できて嬉しいという感情。人間の心は本当に複雑だな……」


 彼は返事を待たずに原稿に視線を戻した。


 そうだ、私はヨエルを気にし過ぎたあまり、父の気持ちなんて全く考えていなかった。私が死神になって初めてドミンゴを訪れた時、唯一、父だけが私に何も話しかけずに立ち去った。その時は気に留める事すたしなかったが、改めて言われると私を一番心配していたのは父かもしれない。親よりも先に逝く子、か……私はとんだ親不孝者だ。


 とにかく、環境が落ち着いたら父と話し合おう。私はそう決心した。必ず戦争を終わらせてから、親子同士でゆっくりと。そのために無事で帰還せねば。


 暗い話題だったからか、翌日の朝までヨエルとは一切口を利かなかった。起床してから支度が終えるまで沈黙を続けていた。


 実体化しなければ荷物を持てない私が部屋で待機している間、ヨエルは無言で荷物を外の馬の背に積む。ベッドに腰をかけた状態でヨエルを眺めていた私に、溜め息混じりの言葉をかけた。


「……必ず、ドミンゴに帰ろう」


 ヨエルの発言で身が引き締まる。ハンス王子を救出し、生きて帰る事が今の使命である。私は既に死んでいるから、二人を守り抜く事が使命だ。これ以上、名の馳せた者達が死せば、兵士の士気が消沈し、国中が悲しみに覆われてしまって戦争どころではなくなってしまう。


 それを防ぐため、命という尊いものを守るため、避けられない戦場に今、己の足で立つ。恐れてはならない。弱音を吐いてはならない。私は戦うために竜騎士になったのだから。


「心配するな、ヨエル」立ち上がった私は彼の左肩に手を置いた。「お前と王子の命は私が守る」


「ああ、頼んだ」


 がっちりと堅い握手を交わした私達は、馬を関所の手前で待機させ、布で正体を隠した武器をそれぞれ抱えて広場に足を運んだ。ユルゲンに到着した当時は三分の一程度しかできていなかった処刑台も、今では重厚さを漂わせて広場の中央に聳え、見物人が少しずつ広場に集まり始めている。


 私達は人込みに紛れて処刑台を見上げた。もう正午まで時間がない。二手に分かれ、作戦を実行する石橋付近に移動した。


 威厳の石橋の端で挟むように立ち、王子が通過する事を待つ。私達の存在は完全に雑踏の中に溶け込み、鋭い監視の目からは逃れられていた。溢れる人に飲み込まれまいと、両足に力を入れる。


 布に包まれた武器を両手で握り締めていると、城の方からのざわめきと歓声が強くなった。私はそちらに視線を投げる。


 城門前、複数の兵士の間から両手に鉄の手錠を取り付けられた王子の姿が見えた。石橋に足を踏み入れ、しばらくして先導役の兵士が石橋を渡りきった時、私とヨエルは人込みの中から飛び出した。


 布を投げ捨てて刃が露わになった槍を横に持って兵士達を押し倒し、ハンス王子の手を引いて走る。周囲の歓声がどよめきに変わり、何とかなったかと思いきや――ヨエルの姿がない。


 慌てて足を止めて振り向くと、二○人近い兵士の輪の中央で逃げ遅れたヨエルが剣を構えていた。しまったと思ったが遅く、追われる立場である私達もユルゲン兵に取り囲まれる。


「やはりそう簡単には行かないか……アリウス、将軍のお出ましだぞ」


 ハンス王子が呟いた途端、兵士の輪の外から奴が私の目の前に現れた。完全に私達の作戦は知られていたようだ。でなければ、ここまで手際が良いはずがない。やられた。


「久しいな、黄金色の竜。いや……先日に会ったか。貴様の事情は全て知っているぞ」


「それは、それは、専属の情報屋が居るから耳に入るのが早いな。事情を知っているなら話は早い。そこを通してもらおうか。私達はこれからドミンゴに帰る途中なのだ。さあ、早く!」


「でしゃばるなよ、青二才が」威厳の竜、ヴァロは私に槍の矛先を向けた。宣戦布告の行為である。「帰りたければ我の屍を跨ぐがよい。我を殺さぬ限り、貴様の友の命はないと思え」


 私は下唇を強く噛んでヨエルに視線を一瞬だけ移した。さすがのヨエルも一気に二十人を一人で相手にするのは分が悪過ぎるし、勝ち目もないに等しい。ここは奴と一騎打ちをして勝利を収めるしか道はない。


「私が勝利したらヨエルを解放し、私達をここから逃がすと約束するか?」


「……よかろう。騎士たる者、嘘はつかぬ。我に“勝てたら”の話だがな」


「さすがは我が好敵手。しかし、容赦はしないぞ。また地獄へ送り返してやろう!」

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