5-3

「愚か者め。まだ我の忠告を聞かぬか」


「死ね! 威厳の竜!」


 ヤンは大剣を地面に下ろし、下から切り上げようとした瞬間、大剣の刃は硝子の如く粉々に砕け散った。原因は鎧の人物が持っていた槍。その槍が盗賊の大剣を一瞬で貫いていたのだ。


 まさに音速の技。あの人物……やはり威厳の竜。私は生きている事に不思議で仕方がなかった。私がこの手でとどめを刺したはずなのに、どうして生きているのか。嫌な予想はしたくないが、もしや死神、という事はないだろうか。


「二度とここに足を踏み入れぬよう、息の根を止めてやる」威厳の竜は槍の矛先をヤンに向けた。「何か言い残す事はないか、不運な盗賊よ。我は待つ事を嫌うゆえ」


「ちょっ、待って――」


 私とヨエルは目を逸らした。周囲がざわめき、盗賊が死した事を物語っていた。


 少々経ってから視線を戻すと、威厳の竜は何故か私の方に顔を向ける。そして、不気味な笑い声を溢した。


「明日は祭りかな」


 そう残して城へと引き返して行った。盗賊の頭を失った部下達も慌てて馬の進路を変え、大通りから立ち去る。


 その時の私は酷く体を震わしていた。今、私の前に殺したはずの威厳の竜が立っていた。私は幻か夢でも見ているのか? いや、それはありえない。左腕の傷が鈍く痛んでいるから、感覚は正常だ。ならばこれを現実だと受け止めろというのか。私は奴を殺しきれなかったのか? 混乱が治まらない。


「大丈夫か、アリウス……? 宿に戻るか?」


「そうしよう……」私は即答した。「体調が優れない」


 頭を殴られ続けているような頭痛に襲われていた私は、ヨエルを巻き込んで宿に戻った。ベッドに崩れた私は空が赤くなるまでずっと無言のまま考えにふけっていた。


 その間、ヨエルは一人で外の商店街に出かけていたため、私はひたすら考え続けた。あの鎧、口調、声、全て私が知っている威厳の竜そのものだった。奴は古風な物言いを好むため珍しく、喋り方一つで判断できる。それと顔から全てを覆い隠す闇の鎧。まるでその闇の中に血管のように刻まれた赤い筋。身長はそう変わらないのに、辺りの人間が米粒に感じるあの圧倒的存在感。


 死んだはずなのに現世に居るという事は、奴もロレンツィオ同様、死神になったのか? そうだとしたら、今回の作戦決行は非常に難しい。死にかけて何とか倒したのに、また奴と戦えというのか。


 今の私に、勝てるという確信は微塵もなかった。力量はほぼ互角。いつどちらが負けてもおかしくない状態だ。もし戦うとするのならば、次に負けるのは私かもしれない。それほど差がないのだ。


 日が落ち、夕空が暗くなり始めた頃にヨエルは部屋に帰って来た。


 その時の私は魂が抜けたようにぼうっと窓から街を覆う闇を眺めていた。いつもより口数が極端に減った私がよほど心配だったのだろう。彼は眉をひそめて私の側に寄ってくる。


「深く考え過ぎると体に毒だぞ」


 しかし、私は何も答えなかった。


 あまりにもショックだったのだ。自分が殺し損ねた事と、誇り高き威厳の竜が再びユルゲンの犬に成り下がった事が。昔、あれほどユルゲンを嫌がっていたのに、どうして奴はユルゲンに腰を落ち着かせてしまったのだろう。あの時、喉も裂いてしまえばよかった。そうすれば即死だろうし、痛みなど感じずに逝けたはずなのに……。


「アリウス、威厳の竜についてなんだが……」


「分かっている。奴が生きているのは私のせいなんだ」


「いや、そういう事じゃなくて」彼は一枚の羊皮紙を私に手渡す。「聞き込みを続けた結果、威厳の竜が死神だという事が分かった。本人も戻って来てからの公開演説でそう言っているらしい。それはその演説の原稿だ。原稿作成を担当した人物から頂いたんだ」


 私は起き上がって演説の原稿に目を通した。内容は次の通りである。



《初めに皆が混乱せぬよう言っておくが、我はアルドの闘技場にて黄金色の竜との一騎打ちで敗北し、息絶えたのである。その死後、我は魂だけの存在として現世と冥界の狭間にあるという空間に召喚され、我は死神となり、魂が作成した仮の肉体を持って現世に参った。我は以前と同様、クリスタ女王陛下にお仕えし、まさに魂を懸けてユルゲンを守護する覚悟である。威厳の竜は不滅なり》



 私は原稿をヨエルに戻した。


「この原稿から察するに、ユルゲンの国民は威厳の竜が死神だと理解していると見受けた」


「詳しく言えば“演説を聴いた”国民だな。威厳の竜の本名はヴァロ・ベルマン。騎士の名門、ベルマン家出身の次男だそうだ。父は既に騎士を引退し、現在は部隊遠征の顧問を務めているアルフォンス・ベルマン。そして、兄は女王直属クロンヴァル隊の将軍クリストファー・ベルマンだ。苗字がない一般出身の俺達では手が届かない人物達ばかりだな。良いところの人間は、良いところに就く。それが当たり前の世の中だ」


 ヨエルの発言に、私は嫌味を込めた苦笑を浮かべた。


「名門といえども貴族だからな、金を使えばどうにでもなるだろう」そんな事、どうでもよかった私は素っ気なく続けた。「殺し損ねたのなら、私は再び奴を殺すだけだ。ドミンゴのためにな」


 窓に向き直り、通りを照らす街灯を眺める。


 殺す、か……死神の状態で死んだらどうなるのだろう。彼が死んだら、周りはどう思うのだろう。彼を殺した私の事をどう思うのだろう。――私が死んだ時、ヨエルはどう思ったのだろうか。ふと、そう疑問に思った私は振り向いて、演説の原稿を読むヨエルに問いかけてみた。


「ヨエル、ちょっといいか」


「どうした?」


「私が死んだ時、どんな気持ちになった?」


 質問の内容に驚いたのか、ヨエルはしばらく私を見つめてから呟く。


「どうしてそんな事を俺に聞くんだ?」


「……嫌なら答えなくていいぞ」

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