第五章 呪われた竜

5-1

 太陽が山の奥から姿を覗かせた頃、私は宿にヨエルを残してユルゲン城へと続く石橋を堂々と歩いていた。どうやら、ここには幽霊が見えるほど強力な霊感を持った者は居ないらしい。


 手ぶらの私は大扉をすり抜けて城内に潜入した。


 中は目を見張るほど巨大そのものだった。首が折れるほど見上げた天上にはガラスのシャンデリアが吊り下げられ、城は三階程度なのだが一つひとつの空間が広く、私の存在が小さく感じられる。


 探索したい気持ちは山々だったが、私は一階を歩き回って地下への入り口を探した。以前、私が捕まった砦と造りが似ているのなら、人目につかない場所に下へ続く階段があるはずなのだが……ほうら、思った通りだ。


 入り口から右手の廊下をひたすら進んだ日当たりの悪い一角に、視線の先が闇に包まれた階段がある。右側の壁には蝋燭が灯されているが、いかにも怪しい。私は臆する事なく階段に足を下ろした。


 少々湿気が多い事は地下では当然で、最後の段を降りた私は早速看守室に到着した。どうやら地下は刑務所の役割も兼ねているようで、何列にも渡って牢が設置されている。


 中からは呻き声や牢の鉄格子を揺さぶる音、鬱憤を晴らすための罵声や、囚人達による会話が地下牢全体に響き渡っていた。


 私の目の前には座りながら机に倒れるようにして眠る看守の男。少し悪戯してやろうと思い、一瞬だけ実体化した私は看守の座る椅子を後ろに引っ張ってやった。看守は尻から地面に落ち、驚いて辺りを見回す。しかし、再び姿を消した私を見つける事は不可能だ。


 その様子に笑いを溢しながら私はハンス王子の牢を探す。


 坊主頭まで刺青を入れた、強面のいかつい男――違う。


 鉄格子を両手で掴んで、泣き叫ぶ貧弱な若い男――違う。


 牢の中で苛立って罵声を吐き続ける、中年の女――これも違う。


 個性様々な囚人達が居るが、ハンス王子の姿が見当たらない。もしや、別の牢屋に入れられているのだろうか。看守の数も思ったより少ないし、ここではないのかもしれない。


 そう考えて引き返そうとした時、牢の奥から私をじっと見つめる青年が一人。伸びて乱れた黒髪、間から覗く青緑色の瞳はまさしくハンス王子だ。


 しかし、王子は私が見えているのか? 試しに右へ移動してみると、王子の視線も私と同様に動く。間違いない、ハンス王子もヨエルと同じで強い霊感の持ち主だ。


 私は鉄格子をすり抜けて王子の隣で膝を付いた。王子は目を丸くしている。


「アリウス……何かの手品か?」


「いいえ、違います。私は幽霊ですからね」


 しばらく沈黙が続いた後、私の言葉を理解したハンス王子は小声で続けた。


「……死んだのか」


「ええ、雨の日の密林で。しかし、私は死神として蘇り、今こうしてクレイグ大公殿下の命令で王子を救出しに参りました。外ではヨエルも居ます。さあ、行きましょう」


「どうやって? 鍵もないのに逃げられるわけがないだろう」


 そう言われればそうだ。何も脱出する手立てを考えずにやって来た私は返答に困る。


 牢屋の鍵は看守が肌身離さず常に持ち歩いているし、だからといって鉄格子を切断するような鋭利な刃物も手元にはない。看守を殺して鍵を奪い取ってもいいのだが、すぐに見つかって騒動になるはず。


 空気を乱さず、かつ何事もなかったかのように王子を連れ出すのは無理かもしれない。


「アリウス、当日まで待ってくれないか」王子は耳打ちする。「俺は当日の正午にここから出されて、処刑台に移動させられる事になっている。その移動途中であれば何とかなるかもしれない。場所は……ユルゲン城前、“威厳の”石橋で頼む。処刑台まで距離が短いから、やるなら石橋しかない」


「ですが、そうなると大騒動は必至です。私達二人の腕で王子を守りきれるかどうか……」


「いいや、必ず成功する」王子は断言した。「願えばそうなるのだからな」


「王子……分かりました。明日、必ずお迎えに上がります。それまでご辛抱ください」

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