4-5

 作戦が確定したところで、私達は隠密ルートから外れて正規ルートを進んだ。夜通しで正規ルートを歩き続け、関所から二キロメートルほど離れた地点から作戦が始まった。


 私は馬を降り、手綱をヨエルの馬にくくりつける。それから近くの茂みで拾った古い鞍を私の馬に装着して、あたかも荷物運びのように木材や私の槍を包んだ布を乗せる。


 準備は完了し、私もローブを纏って実体化を解き、馬から降りて手綱を引くヨエルの背後を私は静かに歩む。もし騒ぎが起きた時にすぐにでも槍に手が届くようにと馬の右側にぴったりとくっついた。ヨエルも自身の剣を布に包んで私の馬に乗せている。


 商人を装っていても他国に入るのだ。関所での身体検査は当たり前だ。武器を持ち込めば大騒ぎになる。何をやってでも隠すのが利口だ。


「アリウス、もうそろそろで関所だぞ」


 ヨエルが小声で言った。前方には城下町の手前に建つ石造りの門のような関所。二人の兵士が通行する者達から通行証を拝見して、許可を出すという仕事をしている。通行証……?


「ヨエル、通行証はどうするつもりだ?」


「大丈夫だ。事前に偽造したものを殿下から受け取っている」


「何だ、最初からそうするつもりなら先に言えばよかったのに」


 ぶつぶつと文句を溢しているうちに、私達は関所に到着した。


 一人の兵士に声をかけられる。


「通行証は?」


「これです、どうぞ」


 ヨエルが通行証を渡すと、ヨエルと通行証を交互に兵士が見る。


「どこかで見た事があるような気がするのだが……まあいい。何か危険な物は持っているか?」


「持っていません。言うならこの果物ナイフでしょうか」


「刃物類は禁止だ。これも法律でな、すまんが没収させていただくぞ」


 その兵士がヨエルからナイフを受け取る。どうやら、私は全く気付かれていないようだ。


「よし、行っていいぞ」兵士は通行証をヨエルに渡した。「出国する時もこれを見せるように」


「どうも」


 入国許可が下りた私達はようやくユルゲンへと足を踏み入れた。


 まず、第一印象としてはさすが大国と言うべき広大な土地と豪華な建物が素晴らしい、だろうか。ドミンゴとは比べ物にならないほどの人々が大通りを行き来していて、その両脇では店が立ち並び、その数に驚愕する。商人の馬車、路上での小劇場、ユルゲンはやはり都会だ。敵国ながら少々ここに住みたいと思ったのは私だけではないはず。


「案外、すんなりと入れたな」


 好奇心旺盛な目で辺りを見回す私にヨエルが話しかけてきた。


「あ、ああ、そうだな。戦争時にしてはやけに簡単な検査だ。後はこの奥の広場に向かうだけか」


 そうして大通りを抜け、私達は目当ての広場に到着した。


 広場の中央には高い処刑台が建設されている途中で、処刑日が近い事を感じた瞬間だった。残り時間は後二日。処刑当日に救出するか、またはその前に救出するかを決めなければいけない。どちらにせよ、大変な事なのだが。


「もう夕暮れだ。今日は宿に泊まって考えよう、アリウス」


 私達はあまり表に出ない郊外の宿屋に選び、馬から必要な荷物を下ろして中に入る。私の姿は常人には見えないので一人分の料金だけを払い、二階の一番奥の二人部屋に宿泊した。


 部屋に入るなり私は実体化し、ベッドに崩れるように飛び込んだ。どうも実体化した瞬間は体が重くてかなわない。


「なあ、あの薄い警備……どう思う?」


 横になりながら後ろ髪を束ねていた布を解き、早くも寝る準備を始めた私に彼が問いかけてきた。


「一瞬、罠かもしれないとは考えたが、入国した後に襲われたわけでもないし、いつもこうなんじゃないか? 特に警備の兵士達も険しい顔をしていない。戦争中にもかかわらずに商人や旅人の出入りを許可しているし、刃物類も自己申告という事は、それほど危機感を持っていないという事だ。良かっただろう、簡単で」


「言われればそうだけど……その考え自体が罠にはまっていると思わないか? 入国してから何も起こさないで、相手を安心させたところを攻撃するとか」


「私達が敵の裏をかくと、敵は私達の裏の裏をかく」私は起き上がって言った。「罠というものはそういうものだ。敵がどこまで自分達の裏をかいているか、自分達がどこまで敵の裏をかけばいいのか。私は罠のプロではないから分からないが、裏をかきすぎて失敗する事だってある。あまり深く考え過ぎると、逆に相手の思う壺だぞ。少しは頭を休めたらどうだ? 違う考えが浮かぶかもしれない」


「そう、だな……」


 そう言ってヨエルは俯いた。また彼に考えが浮かべば勝手に喋り始めるだろうと思い、私は枕に顔を埋めてから間もなく、久々にゆっくりとした空間で眠りに落ちた。






 まだ辺りに闇が残っている早朝の時間、私は左腕に走る激痛によって目を覚ました。あの時のように炎で炙られているような痛みに、私は声を押し殺してベッドの上でもがき苦しむ。徐々に右腕同様、赤紫色に変貌する腕は醜く、苛立ちが込み上げた。


 この痛みはしばらく治まらないと知っていたので、私は床に降りて近くにあったヨエルの剣を握り、鞘から引き抜いてためらいもせず、袖を捲り上げた左腕に突き刺した。


 薄暗い中で鮮血が私の頬に付着し、私はその傷による痛みで焼ける感覚を誤魔化していた。歯を食いしばって声を我慢し、傷口からゆっくりと流れ出る自身の血を眺める。


 まさかここで己に剣を向けるとは考えもしなかった。――焼ける痛みから逃れるには、この手段しか思い浮かばなかった。


 多少の物音によってヨエルの眠りが浅くなってしまったらしく、彼は蝋燭に日を灯して私の名を呼ぶ。しかし、私は丁度彼に背を向けた体勢だったため、動く事もできず、ただ沈黙を貫いていた。


「アリウス……お前、何て事を……!」


 私の腕に刺さった自身の剣を見た彼は下唇を血が滲むほど強く噛み、すかさず私の右頬を拳で殴った。


「俺の剣は……お前を刺すためのものじゃないんだぞ……!」


「すまない、ヨエル……」私は謝罪の意を込めて下を向いた。「どうしても……いや、私にはこうする事しかできなかったのだ。許してくれ、ヨエル。そして、教えてくれ。私はいつまで苦しめばいいのだ。死んでも尚、何故私は苦しまねばならないんだ。教えてくれ。死ねば楽になるなんて、誰が言ったんだ!」


 つい感情的になってしまい、私は慌てて口を塞いだ。


 それから黙って見続けるヨエルの目の前で剣を抜き、柄を彼に向けて剣を床に置く。刃の先端には生々しい血液が付着したままだ。


「これは返す。汚れてしまったが、水で洗えば取れる」


「でも、お前の傷は一生消えない」彼は刃の血を荷物として持って来ていた古い布で拭き取る。「俺は神じゃないから分からない。どうして自分だけ苦しむのかと聞かれても、答えようがない。その答えがないのなら自分でどうにかすべきだ。時間が経てば、きっと分かるだろうさ。ただ、その痛みの原因は……神ではなく、ロレンツィオが知っているだろうけど……」


「あの男か……今頃、何をしているのか」私は彼から受け取った布で床に溜まった血を拭く。「処刑当日にクリスタと共に見物するのであれば、奴を討ち取る好機だな」


 だが、ヨエルは首を横に振った。


「国の中央でそんな事をやったら俺達の命が危ない。任務はハンス王子の救出だ。それだけに専念しよう。あまり下手な動きをすると王子の身も危険に晒されてしまう。殺されてしまったら元も子もないだろうし」


「なら、そうなる前に助け出せばいい話だ」


 私は布を裂き、口を使って傷口に巻いた。


「確か、王子は城の地下牢だったか?」


「ああ……最も厳重な牢に捕らわれていると聞いている。まさか、行くつもりなのか?」


「当たり前だろう。しかし、私一人で行く。ヨエルはここで待機していてくれ。なあに、心配する事なんて何もない。実体化を解いた私はただの幽霊だ。そんな私に現世の物は通用しないからな」

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