第二章 殺せない

2-1

 しばらくの間、あまりにも信じがたい光景にヨエルは酷く動揺して言葉を失っていた。


 無理もない。死んだはずの人間が目の前に立っているのだから。私であっても戸惑ってしまうだろう。


 果たして私は彼に会いに来て正解だったのだろうか。余計な混乱を招くだけではないのか? 私の目的を言えば彼はきっと……いいや、必ずや悲しむはず。やはりここに来るべきではなかったかもしれない。


 そんな事を考えていると、突然私はヨエルに抱き締められた。


 私を抱く腕の力が強まる。温かい――心臓の鼓動も聞える。しかし、悲しい事に彼は何も感じないだろう。体温も、心臓の鼓動も、死人となった私には持ち合わせていない。ただ冷たい人形を抱いているという感覚しかないはずだ。


 私は――私はなんて罪深き人間なのだろう。会いに来ても何もしてやれない。何も声をかけてやれない。悲しみに沈んだ心を癒してやる事すらできない。


 私は世界一、残酷な罪人だ。今の私にはただ、ヨエルを抱き締めてやるくらいしか能はない。


 気付くと、私の頬を冷たい滴が流れ落ちた。雨か――いや、涙なのだろうか。そもそも、私に涙を流す感情なんてあるのか? こんな私に、涙を流す権利なんてあるのか?


「アリウス……やはりお前は本当に……」


「私は死神として舞い戻った」私から彼を離す。「私の肉体と魂は、今ここにある」


「でもどうして戻って来たんだ? 戻って来る必要なんて……」


「とても言いづらい事なんだが……私は死神の王から依頼を受けて来たのだ。その内容がお前を殺す、事で……本当は言うつもりはなかったが、どうしても会わなければならないと……」


 支離滅裂な事を口走る私。すると、考え込んだヨエルからは予想外な言葉が返って来た。


「お前のためなら、俺の命くらい差し出してやる。けど、条件がある」状況の呑み込みが早いヨエルは提案してきた。「一つは俺が良いと言うまで俺の側に居続ける事。二つ目はまた、俺と共にクレイグ大公殿下に仕える事。いいだろ?」


「し、しかし……掟では任務以外の人間への加担は許されないとされているが」


「これは任務達成の目的となる俺が提案した条件だ。任務の中に含まれていて当然。問題ないだろうさ」


「そう言うのであれば構わないが……このまま殿下の下に?」


「いいや、俺が殿下を呼んで来る。死んだはずのお前が城内をうろついたら、兵士達はパニックに陥るだろうからな。アリウスはここで黙って待っていてくれ。すぐに戻る」


「ちょっと、ヨエル……」


 呼び止める前に彼はさっさと城へ引き返して行った。


 私は長い溜め息を吐き出して己の墓石へ視線を移す。これで良かったのか。ヨエルの心が癒されたのかは分からないが、あのいつもの表情を取り戻した事は何よりも嬉しい限り。


 だが、彼は本当に私の話を理解したのか? 簡単に命を差し出すと言っていたが、本音は死神の私が恐ろしいのではないだろうか。


 私がこのままここに滞在し続けるには、ヨエルが死ぬ事を前提にしなければいけない。果たして私に、戦友の死を受け止められる覚悟があるのか。私の心は無数の不安で溢れ返っていた。


 ものの数分でヨエルは戻って来た。後ろには少々やつれた殿下の姿もある。


「殿下、アリウスが戻られましたよ!」


 殿下はとても驚いた様子で私にゆっくりと近寄る。いつものクレイグ大公殿下。白に近い金髪と、きっちり着こなされたきらびやかな洋服。多少、痩せこけた感じがするが、あの時と何も変わってないようで私は安心し、右膝を付いて私は頭を深く下げた。


 徐々に降り続いていた雨が止み、曇天の隙間から太陽の光が差し込む。殿下は私の前に右手を伸ばし、優しく私に語りかけてくれた。


「わしは嬉しいぞ。どんな事情があれ、息子同然のお前が戻って来た事を」


 私の不安ばかりの心がすっと軽くなった気がした。殿下の手を両手で握り締めると、殿下の表情が悲しげに多少曇る。私は思わず離した。


「やはり……お前の温もりはもう感じられんようだの。それが残念で仕方ないわ」


「申し訳ございません、殿下。生きて帰れず、このような無様な身でお会いする事をお許しください」


「構わん。お前と会えただけで消えていたやる気が溢れ出てきたわ。さあ、城の者達にも顔を会わせてやってくれ。その後は、じっくりと話を聞こうではないか」


「はっ、勿体なきお言葉……殿下には全て隠さずお話しする所存です」

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