1-5

「ヨ、エル……?」


 王の予想外な発言に私は言葉を失った。

 聞き間違えをしたのかと思ってもう一度聞く。


「ヨエル、だって?」


「ああ、そうだ」


 私の頭は酷く混乱していた。


 魂を刈り取る、これを別の言葉にすると、殺せ、というものになる。そんな馬鹿な! 私がヨエルを殺せるはずがない! 私の死を誰よりも悲しんでくれた戦友を、容赦なく殺せというのか? 恩を仇で返すとはまさにこの事。


 私は悪魔ではない。ヨエルを殺すなんて、到底私にはできない。いや、できるはずがなかった。私はヨエルに刃を向ける事すら不可能だろう。


「それは……やらなければならないのか?」


「もちろんだ」王は躊躇なく頷いた。「掟その一、依頼に背く事はできない。断るならば、違法者として今ここで始末せねばならん。どうした、何か断りたい理由でもあるのか?」


 私は目を細めた。


「ヨエルは……私の戦友だ。命を懸けてでも守る価値のある存在。死ぬ間際も彼が私の最期を看取ってくれた。私はそんな大切な戦友に、矛先すら向けられない。無理だ」


「そんな事、我には全く関係がない」王に情けなどなかった。「そなたは死神。もう生きている人間ではない。生前の記憶など消して、死神の任務をまっとうせよ。それがそなたの使命だ。さて、どうする? 断るか、引き受け――」


「引き受けよう」私は王の言葉を遮った。「期限はいつまでだ?」


「……期限はない。気長に待つとしよう。だが、任務を遂行する意思が見られない場合は失敗とする」


「承知した」


 私は心を押し殺してこの場を立ち去ろうとした。


「お待ちください、アリウス様」


 ジゼラが私を呼び止める。


「死神になると、全てが心で願う事で実現できます。現世での実体化……つまり、仮の肉体を作る事が可能ですし、ここに帰って来る場合も願えば入り口が開きます。現世へ向かう時も同様です。呼び止めて申し訳ありません。それでは……」


 彼は一礼して王の下に戻って行く。


 頭の中が整理できていない私は、緩く円を描いた長い階段を上って二階へ行き、ただ並ぶ石柱の隅に座ってぼうっと考えにふける。


 今頃、ヨエルは何をしているのだろうか。まさか、私の亡骸を担いで国に戻ったのか? あの性格ならやりかねないだろうに。ああ、槍も置いて来てしまった。殿下はどんな思いで私の亡骸を見ているのだろう……できれば殿下の悲痛な顔は見たくない。


 どうすればいいのだ、今の私は。結局、あの場の雰囲気に耐え切れずに引き受けてしまった。ヨエルの魂を持って帰って来なければ私が消滅してしまう。でも――。


「おや、新人かい? それもとびきりの大物じゃないか」


 座り込む私の隣に、同じドミンゴの竜騎士の格好をした青年が立っていた。


 ドミンゴの竜騎士の制服は赤と決まり、それは何十年も前から受け継がれている由緒あるものだと言われている。まさか彼も?


「現世へ行くたびに君の名前を耳にするんだよ。黄金色の竜がどうしたってね。……ああ、まだ名乗ってなかったね。僕はファビオ。もう肉体が朽ちてから二十年も経つ。生きていれば五十近い……でも、一度でも君と共に戦場へ行きたかったね。面白いだろうに」


 目を見開いたまま私は固まってしまった。一度たりとも彼の名前を忘れた事などない。


 彼こそはドミンゴ国内で世紀の大天才と謳われた竜騎士であり、私が竜騎士を目指すきっかけを作ってくれた人物である。


 しかし、私が四歳の頃、彼は二十八という若さであまりにも早く人生に幕を下ろした。死因は確か、二十歳の時に患った心臓病だったと聞く。やはりどんなに天才であろうとも、蝕む病には勝てないという事か。世の中は残酷でいつも溢れている。


「答えたくなければ無視して結構だが、どうして最強と名高い君がここに来たんだい?」


「それは……」私は口ごもった。一息置いて、岩のように重くなった口をこじ開ける。「しくじった。ユルゲン領の東にある密林にて、私は死んだ。それも敵が撤退している途中だった。相手の部隊長を殺めて警戒が緩んだ私の背中から、ユルゲン兵が私の心臓を突き刺した。そこで私は、今回のドミンゴ部隊を率いていた隊長を務めた戦友に見守られながら息を引き取った。戦友が私の死体の前で崩れ落ちる様は……瞼の裏に焼き付いてしまって、目を閉じるたびにそれが見える。しかも、私が受けた任務はその戦友を殺せと言うのだ。私はどうしたらいいのか分からなくて……」


 頭を抱えて悩む私を、無造作に伸びきった黒髪の間から覗く彼の青い瞳が悲しそうに見つめていた。落ち込む私を宥めるヨエルの瞳と似ている。


 私は……お前がいなければこんなにも脆い。ただの落ちこぼれだ。


「もし僕が君だったら……」ファビオは柔らかい笑顔を浮かべた。「僕はとにかくその戦友に会いに行くよ。頭が混乱している時こそ、本人に会った方がいいと思うんだ。君は死に際に何て言った?」


「私は死ぬから、殿下に勝利の報告を、と……」


「そんなんじゃ駄目だ!」突然彼が声を荒げた。私は驚いてびくっと体が震える。「君は自分の事しか考えていない。最期の言葉がそれでは、戦友は君の死を吹っ切れないだろう。例えどんな状況であろうと、自分の最期を看取ってくれた人には感謝を述べなければならない。本当ならそんな事はできない。でも、死神だからこそできる。できる事はやるべきだ。さあ、早く謝っておいで。戦友と会う事で、君の混乱は徐々に落ち着くだろうから。君と会った戦友は混乱するだろうけど、そこは君次第だ」

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