1-4
「アリウス、起きろ! 共に殿下に勝利を報告すると誓ったじゃないか! それは嘘だったのか? こんなちっぽけな森の中で、黄金色の竜が散ってもいいのか? アリウス! 何とか言え!」
一向に意識が飛ばない私の耳に届く声。やかましい。
黙れと喝を入れようと目を開けた時、私はヨエルの後ろから私の亡骸を見ていた。激しい雨音の中、戦友は無言のまま泣き崩れる。その後姿が私の心に深く突き刺さった。
「ヨエル……」
私が声をかけようと彼の肩に触れても、私の手は何も掴めないまま彼の体を通り過ぎた。
この時、ようやく私は実感した。私は今ここで死んだのだと。私はヨエルに看取られて死に、魂だけがここに存在しているのだと。
私は何も驚かなかったし、悲しいとも思わなかった。何故なら、死んだ私の顔が満足したように微笑したままだったから。後悔はないが、殿下に勝利を自分の口でお伝えできなかった事がたった一つの心残りである。しかし、戦場で死ねるのは私の本望だ。騎士として名誉ある死に様だ。これ以上、嬉しい事は他にない。
とはいえ、これからどうすればいいのか。天使が迎えに来る? それとも悪魔が地獄へ誘う? 死後を知らない私はどうしたらいいのか分からなかった。ただ突っ立って、ヨエルを見守る事しかできない。
ふと、我に返ると、視界が真っ暗だった。どこを見ても闇、暗黒、延々と広がる黒……何も見えない、何も聞えない、何も感じない。ただそこにあるのは無という空間。ヨエルの姿なんてどこにも見当たらない。
そうか、殿下のためとはいえ、人間を殺し続けた私は地獄へ落ちるのか。まあ、それも良い。天国で暢気に暮らすよりも、地獄で煮え滾る鉄釜に浸かる方がよっぽど私の性分に合うだろうし、飽きずに楽しめるだろう。
そんな馬鹿げた事を考えていると、視線の先に光が見えた。あれが地獄への道だろうか。
怖いもの知らずの私は緊張する半ば気持ちを昂らせながら光に向かって手を伸ばし、歩き続けた。近付く程に光は強さを増し、ほとんど目が開かない状態で光の中に入る。
――どうやら私は別の場所に迷い込んだようだった。
重厚感のある神殿、とでも言うべきか。灰色の石柱が両脇に立ち並び、この場の空気が一切動かない。まるで時が停止してしまっているかのようで、気味が悪いと感じてしまった。人影も見当たらない。
私は辺りをゆっくり見回しながら歩を進めると、突然、背後から声をかけられた。
「王に選ばれし者よ。ようこそ、契の神殿へ」
私に声をかけた人物は……男でもなく、女でもなかった。あえて言うならば中性的な顔、とでも表すべきか。彼女、いや、彼と呼ぶ事にしよう。
彼は全身に黒衣を纏い、首から異様な形をした透明の石のペンダントをぶら下げている。彼を見下ろせる事から、身長はとても小さい。百五十あるかどうかであろう。彼は私に言った。
「さあ、こちらへ。王は貴方が来られる事を、首を長くしてお待ちしております」
何が何だか状況が理解できないまま、私は彼の後を着いて行った。
神殿の奥の、石柱の中央にどんと置かれた玉座に鎮座する人物の前まで案内された。
その人物の顔は見えない。黒いフードで隠れていて、唯一人目に触れる箇所は、骨と皮だけになって痩せ細った両手だけだ。私はこの人物に、不思議な威圧感を覚えた。
「お連れしました、我が王よ。彼こそが名高いドミンゴの竜騎士であります」
「ほう……目付きが良いな。名は何と申す?」
「黄金色の竜、アリウスと言う。まずは問いたい。ここはどこだ? 私はどんな状況にいる?」
「何だ、ジゼラよ、何も説明しなかったのか」
「ええ、召喚してからすぐにここへ案内しましたので……申し訳ありません」
ジゼラという名を持つ彼は低姿勢で一歩下がった。
玉座の人物が王の地位にある事はジゼラの話し方、態度から本当だと見受けられるが、一体何の王なのかさっぱり不明だ。私をからかっているのか。
「簡潔に言わせてもらえば、我は死神の王なり。そなたは召喚士ジゼラによって魂を現世と冥界の狭間にある契の神殿に召喚されたのだ。ここに召喚された者は死神となる。そなたは今から死神として我に仕え、死神として第二の人生を歩むのだ。さて、これで理解はできたかね?」
「……死神とは架空の存在ではなかったのか?」
「そんなはずなかろうに。魂の管理者がいなければ行き場に迷う魂が辺りをうろつき、良からぬ事が起きてしまう。それを防ぐために死神は存在するのだ。仕事はただ魂を刈るだけではない。迷える魂を行くべき場所へと連れて行く事もあれば、死期が近い魂を迎えに行く事だってある。時には天国へ先導したり、地獄へ蹴り落とす事もある。もちろん、それは審判が下った魂だけだが」
なるほど、そういう事だったのか。
後に聞いた話によると、肉体から分離した魂はその場で審判にかけられる。吉と出れば白くなり、凶と出れば黒くなる。死神はそれを判断して定められた場所へと魂を運ぶのだ。
色のなかった私は審判にかかる前にジゼラに召喚され、この神殿に導かれた、というわけだ。
どうやら審判にかかる前の無の魂だけが死神になれるという事で、死神の数はとても少ないらしい。地獄へ落ちると考えていた私には思ってもいない好機。私は死神になる事をその場で承諾したのだった。
「では、まずは死神の鉄の掟を話そう。これは死神の法律であり、絶対的なものである。一つ、言い渡された任務に背く事はできない。二つ、失敗すれば己が朽ちる。三つ、任務以外で人間の手助けは不要。四つ、違法者は裏切りとみなし、処罰の対象となる。質問はあるかね?」
「二つ目の、失敗すれば己が朽ちる……どういう事だ?」
「そのままだ。任務に失敗すれば己の魂が朽ちる。失敗とは任務を承諾した後に拒否する事、標的を別の人物に殺された事を指す。病による死は例外だが、失敗と見なされた場合はこれまでの全ての記憶、形、魂の色が消去され、生命の輪廻に戻る事なく完全に消滅する」
「ならば、私のこれまでは全て水の泡となって無駄になるというのか?」
「そういう事になる」
「そんなの残酷過ぎる。私はこれまで必死に生きて来た。それが全て白紙になるなんて……」
「掟は掟。我も守らねばならん。我慢するしかあるまい」
納得がいかなかった。
全てが消える? 私を侮辱しているようにしか聞えない。
私の父はドミンゴの将軍だ。私はその背中を追いかけ、ただひたすら父に追いつくために死に物狂いで竜騎士の称号を我が物にしたというのに……それまでの努力が無駄になるなんて、これほど屈辱的な事ない。
竜騎士の座に上り詰めるまで、どれだけ私が苦労したのか、どれだけ私が非難を浴びたのか、どれだけ私が必死だったのか、この人物には到底理解できまい。いや、理解してもらおうとも思わない。この苦しみは私自身しか分からないのだから。
しかし、私の人生が無駄にならないで済むには、ただ単に任務を失敗しなければいい事。本物の戦場を体験してきた私にすれば、赤子の手を捻る事よりも簡単だろう。
「仕方ない、掟は絶対だ。死神であるからには必ず守ろう。早速、任務を私にくれないか」
「飲み込みが早い者は成長も早い。期待しているぞ。今回、そなたにやってもらう任務は――ドミンゴ国の新人部隊長、ヨエルの魂を刈り取ってくる事だ。簡単だろう?」
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