第10話 大犯罪人

 エドワルドはしばらく怒りを露わにしていたが、やがて無言で背を向けて玄関に向かい出した。


「酒上さん、あなた、お父様に愛着があられるんですね」


 福の言葉に、エドワルドが不機嫌そうに振り向く。福はいつものように微笑んでいた。


「アランが連絡を入れると、急いでここに向かわれ、誰よりも早く犯行に気づかれた。私があなたの仕業ではないと思っていたのは、WCWRについての反応が具体的な関わりがあるようではないからですが、あなたなら向かってくださると思っていましたよ」

「母の生活費はじいさんが出してる。死なれたら困るってだけだ」

「でも、血相を変えて来られた。何が起こっても、あなたと彼は父と息子だ。あなたは小野寺吟さんを愛しておられる」

「何が言いたい」


 エドワルドは一瞬鋭く怒りを露わにしそうな表情を浮かべた。しかし、福は奇妙なことを言い出した。


「私は、小野寺吟さんに愛情を持っている人たち、つまりあなたたちにお伝えしたいことがあります」


 エドワルドが不思議そうな顔をする。僕もだ。福は何をしようとしている? しきりにジャケットの内ポケットの中を気にし、神経質に微笑んだり、唇を舐めたりしている。


「WCWRと、小野寺吟さんの関係について、お話ししたいんです。そうすればどうして小野寺さんが――あなたがたの父であり祖父である人物が――WCWRに狙われていたのかがわかるでしょう」


 福の言葉を聞き、僕とエドワルドは真顔になった。これは、覚悟のいることのようだ。


 エドワルドの後ろを見ると、祖母が青ざめた顔で立ち尽くしていた。


「座りませんか。さあ、。リビングに案内していただけますか」


 祖母が弾かれたように福を見た。福は微笑み、僕のところに来ると僕を支えて立たせた。


「悪いが、これからあんたには決断をする場面が起こる」


 福はそうささやいた。祖父は変わらず仕事部屋で眠っている。


 リビングに移動した僕たちは、祖母が出すアールグレイティーを飲んでいた。薫り高い柑橘の香りが鼻をくすぐる。これが一番上等の、大事な客に飲ませるものだということは僕も知っている。ノリタケのカップでそれを飲んだ福は、かすかに顔をしかめた。


「十五年前の戦争のことは覚えていますか? ある日、突然鹿児島に、四国に、紀伊半島に、関東に自律型の兵器が押し寄せてきた。巨大ドローンが爆弾を落とし、焼夷弾で街を破壊し、人々は家と命を失った。

 もちろん日本自衛軍も応戦しました。しかし突然の開戦により混乱したまま戦いは続いた。こちらは生身の人間で、あちらはほとんど無人の兵器だ。

 残酷な戦いが続きました。WCWRが突然退却したときには、焼け跡と、遺された孤児と家を失った大人たちがそこにあるだけでした。


 私も孤児の一人でした。焼け跡で、物乞いでも盗みでもヤクザのパシリでも何でもして生きてきました。

 周りにはそんな子供たちと、娼婦となった少女たちと、貧しい大人ばかりがいました。日本の景気は一気に悪化し、その後、貧富の差が絶望的なまでになったので、私たちは一日一日をやり過ごすだけで精一杯でした。


 WCWRは、各国の金持ちと要人から資金と武器を提供され、肥え太った犯罪集団でした。金をもらえるなら何でもする。そんなモラルのないただの集団でした。

 日本と戦争が起こったということは、誰かが金を出して攻撃するよう依頼したということです。もちろんWCWRにとっても危険な賭けではあります。でも、WCWRが行動を起こすだけの資金が投入されました。


 誰が戦争を起こしたか? 簡単です。あそこで眠っている、あなたがたの父であり祖父である小野寺吟さんです」


 ああ、とため息が漏れた。とうとうはっきりと示されてしまった。そうであってほしくなかった。そうだと考えるのが自然なのだが。


 エドワルドは目を見張り、呆然としている。彼としてもショックなことに違いない。祖母は、ただうなだれて僕の隣に座っている。


「彼がどうしてこんなことをしたのか。それは、彼の激しい怒りに由来します。


 酒上さん、あなたおっしゃいましたよね。あなたのお母様は小野寺吟さんに蹴られて骨を折り、体が曲がってしまったと。

 小野寺吟さんは、非常に怒りっぽく残酷な人物でした。家族や仲間だと認めた人物以外には、構わず暴言や暴力を振るった。部下を殴り、机を叩いて激しく叱責する彼を、会社のメンバーはよく思っていませんでした。

 ことに、小野寺吟さんとの共同経営者である星木ほしきほおさんは、このままでは会社が潰れてしまう、研究の成果や企業としての実績が台無しになってしまうと危惧しました。


 そのころ小野寺さんは一族そろってフランスの田園地帯に住んでいました。星木さんはそっと彼に告げます。『君を共同経営者から外したい。すまないが日本に戻ってきてくれないか。話がしたい』と。

 しかし、代わりに日本にやってきたのはWCWRの兵器たちでした。彼の怒りは度し難いほどで、全てを破壊し尽くすほどに彼は燃え上がっていました。


 WCWRの軍隊は、まずは星木朴さんとその一家の住む神奈川の家を攻撃し、彼らを殺害しました。

 それだけでは怒りの収まらなかった小野寺さんは、日本を全て焼き尽くそうとします。自分の親族はフランスにいて無事なんですからね。日本を破壊することなど平気でしょう。


 でも、はたと思いとどまります。本社のある新宿と、主要な実験場のある鳥取は守らなければいけない……。


 こうしてWCWRは突如として退却し、日本は半分以上戦禍せんかに巻き込まれずに助かることができました」


 僕らは黙っていた。何も言うことができなかった。祖母がはらはらと泣いていて、全てを知っていたのだとわかった。福は微笑んでいるがやはり少し緊張しているようで、胸の内ポケットを何度も確認している。


「その戦争から半年経つと、国際社会からWCWRが日本での戦争を行ったこと、WCWRが危険な組織であることが明らかになりました。各国から軍隊が出動し、掃討作戦が行われました。


 あのときは少し気分がよかったな」


 僕は福を盗み見る。彼は微笑み、寂しそうな顔をしていた。


「その後、小野寺吟さんの一族は日本に戻ります。しかしそれからすぐに小野寺吟さんの長男一家はアランさんを除きテロにより殺害されました。金を積んだとはいえ、過剰な任務を課した小野寺吟さんを恨んでのことです」


 やはり。僕はまたため息をつく。福は頬を紅潮こうちょうさせて続ける。


「小野寺さんは今ではすっかり温厚な経営者のようです。人を下に見る癖はありますが、穏やかに、適切に人と接することができます。

 それは全てWCWRに代わりに怒りを表出してもらったからでしょう。彼は日本を破壊することで全ての怒りを絞り出してしまえたのです」

「証拠は?」


 祖母がぽつりと言った。


「今までのは、全て推測よね。証拠なんてないじゃない」


 僕は祖母を見る。頬を赤くし、こわばった顔で福をにらみつけている。


「ツタおばさん、あなたは僕らによくしてくれた」


 福は優しい、穏やかな声で答えた。


「食べ物や洋服をくれました。病気を診てくれ、メンタルケアもしてくれました。僕らはツタおばさんが大好きでした。


 でも、それはあなたの罪の意識がさせることでした。全てを知った上で、あなたは小野寺吟をかばい続けた。


 それにあなたは孤児の世話をするという罪滅ぼしをしているだけではなかった。あなたは――星木柘榴ざくろを探していた」


 びくっと祖母が肩を揺らした。福は、遠い目をして笑った。


「星木柘榴は、その名の通り星木朴の親族だ。それも遅くにできた息子。彼は、殺されなかった。遺体は確認されなかった。彼は孤児の群れの中にいた」


 僕は成り行きを見守っていた。彼は何を言おうとしているのだろう。祖母は、じっと福を見つめる。福は息を吸い込み、ため息と共にこう言った。


「私です。私が星木柘榴です。父と共にあなたに会ったこともある。生まれたときには友人夫婦であるあなたと吟さんから出産祝いをいただきました。もう燃えてしまいましたが、小さな天使のブロンズ像でした」


 祖母が息を呑んだ。僕もそうだ。祖父が殺した一家の生き残り。それが福だった。天地がひっくり返ったようだ。もう滅茶苦茶だ。


「私は鎌倉の自宅が攻撃されたとき、父と庭に逃げていました。

 父は私にあるものを託し、ラブラドール犬のクリスタルと一緒に川辺に逃がしてくれました。そこからは生き延びるために必死でした。クリスタルは戦争中も私を守ってくれましたが、身を隠すために父が勧めてくれた通りに東京に向かう途中で、野犬狩りに遭って死んでしまいました。

 独りぼっちになった私がたどり着いた渋谷駅は新宿に近く、孤児で一杯でした。見つかって殺される危険に怯えながら、私は顔を真っ黒に汚し、エリックという工場労働者の息子だった孤児仲間に守られて生きていました。


 あなたはそんなときにやって来ました。孤児に慕われ、優しく接し、孤児たちはあなたのことが大好きでしたよ。私ももちろんそうです。あなたは元々私に優しくしてくれたし、私はあなたのことが好きでした。


 あなたは私にキャンディーをくれた。真っ赤で透明な柘榴のようなキャンディー。もしかして正体がバレたかと焦りましたが、あなたは痩せこけて汚れて一言も言葉を発しない私を、星木柘榴だと気づいてはいないようでした」


「柘榴君なら、名乗り出てくれてよかったのよ。私はあなたを殺したりしない。あなたを助けてあげられた」


 祖母は言う。目に涙を浮かべている。福は寂しそうに微笑み、こう続けた。


「もちろんあなたの気持ちはわかっていました。あなたは私たちを本当に愛しく思ってくれていました。

 でも、私は小野寺吟を知っている。残酷で人を殺すことさえ厭わない彼を。そしてあなたが小野寺吟を愛していることも知っている。あなたの私たち一家の前での振る舞いは、小野寺吟への愛と服従ふくじゅうに満ちていました。

 彼に言われたら私は直ちに彼の前に引き出されていたでしょうね」


 祖母はさめざめと泣いた。僕は絶望で視線を床に落とし、隣のエドワルドを見る。爛々とした目で福を見つめている。福は、そんな僕たちをじっくりと見渡すと、こう言った。


「アラン、わかるかい? 君は君のお祖母さんにずっと守られていたんだよ。彼女がクリニックを早く辞め、家にずっといたのは君たち家族をWCWRや星木柘榴から守るためなんだ」


 福は僕を見た。何だか優しい目だった。僕は祖母の振る舞いを思い出した。さいわい横町のような治安の悪い場所に行かせたがらなかったこと。ことあるごとに僕の冒険の邪魔をしたこと。それが全て祖父の犯罪に起因するなんて。


「エドワルドさん、あなたはあなたのお父さんの歴史を知りました。今はどんな気分です?」


 福はエドワルドに悲しげに微笑みかけた。エドワルドは血走った目でこう言った。


「父親は、父親だ。生物学上の父親。それだけじゃない。あのじいさんに愛着を持っていることは、認めるさ。でも、じいさんの罪を知ったとして、それでお前がどうにかされるなんてことを考えてないのか?」


 福は微笑んだ。エドワルドは詰め寄る。


「全てを知ってるお前がこの場で殺されて、処理されたらなかったことになるよな」

「あなたはそんなことはしません。私はどん底の孤児生活で、人を見る目を養っています。あなたは正しいことをします」

「証拠はあるのかよ。じいさんの犯罪の証拠は」


 ついに、福は内ポケットから何かを取り出した。小さくて細い、ガラスのような板だった。


「強化ガラス製の記憶媒体です」


 それは、燃やしても傷をつけようとしても残り続け、何千年も残りうると言われる記憶媒体だった。キラキラと光を反射し、この場に不釣り合いに美しく感じた。祖母もエドワルドもじっと注目している。


「再生しましょうか。再生装置は?」


 祖母が動いて、リビングのスクリーンの横に小さな箱を持ってきた。水晶製記憶媒体に用いる再生装置だ。それに福が記憶媒体を設置すると、真っ白なスクリーンから声だけが流れてきた。


 ――柘榴、今からお前に大切な話をするよ。

 ――うん。

 ――私たちのことを殺そうとする人物がいる。

 ――うん。

 ――これから私たちは殺される。私は確実に殺されるだろう。でも、お前は逃げなきゃいけないよ。

 ――……うん。

 ――殺人者の名前は小野寺吟。この記憶媒体に遺すけれど、お前も覚えていなさい。お前も知っている、吟さんだ。

 ――うん。

 ――吟はすごく怒りっぽい。お父さんはやり方を間違えて、彼をかなり怒らせてしまった。だから、お前も逃げたあと吟に気をつけるんだ。……ああ、もうここも危ない。川沿いに逃げなさい。川沿いに……。

 ――うん。お父さん、バイバイ。

 ――バイバイ。


 壮年の男性と、声変わり前の少年の会話はそこで終わった。日付が画面にずっと表示されていた。二一三〇年四月二十一日。戦争開始の日だ。


 フェイクだとは誰も言わなかった。この記憶媒体は特殊なもので、一般人が扱えるものではない。公文書や企業の重要書類に用いられることが多い。


 誰も彼もが黙っていた。証拠が提示され、僕らは何も言えなかった。


「それが何なんだ」


 誰かが震える声で言った。振り向くと、祖父が真っ赤な顔で立っていた。


「星木が裏切ったんだ。私は被害者だ。この国は私の事業に助けられてきたんじゃないか。破壊されただの命を失っただの、そんな小さなことは知ったことじゃない!」

「あなた」


 祖母が近寄るが、祖父はゴルフクラブを握っていた。思い切り振りかぶり、福に走り寄る。福は素早く避け、大きな音を立てて絵画が壁ごと割れる。

 祖父はそのまま訳がわからないほどに叫びながら暴れた。窓を割り、テーブルを叩き、スクリーンを傷つけ、花瓶を砕き……。

 呆然としていると、突然祖母は僕を抱きしめた。目を堅く閉じて僕を守ろうとするその姿は、僕の家庭のかつての姿を思い出させた。祖父は嫌な目に遭うと、全てを壊したそうだ。家族のことは傷つけないが、怒りを抑えない祖父。彼は暴れ続けた。

 エドワルドが素早く何かを拾い、走り去った。福はそれに気づきつつ、何もしなかった。

 僕は見つめ続けた。全てを。

 祖母は震え続けた。

 そうやって、全ては終わった。

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