第5話 ローズとソフィーに会う
ローズは最近若い親族との仮想空間の集まりでよく会うので、僕と福を拒むことなくすんなりと迎え入れてくれた。この間の謎めいた態度はかけらほどもなく、にこにこと笑っている。
「私のワールドに来る?」
この間のワールドのことだ。僕はうなずく。福はぱたぱたと飛びながら、
「あなたのワールドは美術品をテーマにしたものだと聞いています。よかったら解説などしていただけたら嬉しいのですが」
と微笑んでいるらしい声で言う。ローズはにっこりと笑い、「わかった」と気の抜けた声で答えた。
あの入り口から三人で中に入るが、中は様変わりしていた。
「今回はお家の中の美術館をテーマにしてる」
ローズは説明する。これが子供、と広い空間の真ん中にある天使のような小さな白い像を手のひらで示す。
「『クピド』って作品。作者はエティエンヌ=モーリス。肌がつるつるしてていかにもちょっと大きくなった赤ちゃんって感じだよね。クピドは天使に見えるけどそうじゃなくて、ローマ神話の愛の神のことだよ。大人になったバージョンもある。ほら」
クピドの周りには、美青年の像がいくつか並べてある。ぐったりとした女性を抱き上げているもの、青年自身が女性に抱き抱えられているものがある。
「これは恋人のプシュケとエロース。エロースはギリシャ神話でのクピドのことね。まあ人生色々だよね。こんなにかわいかった子がね……」
壁の一面には巨大な絵がある。有名な「ヴィーナスの誕生」だ。
「ヴィーナスはクピドのお母さんね。ちなみにヴィーナスというのは英語読み。ローマ神話ではウェヌスっていう」
裸のヴィーナスが僕らを見下ろし、微笑んでいる。美術館なんて滅多に行かないが、こうやって見ると何とも美しい。油絵の具の、筆の跡が隆起したところも近くで見ることができ、いくらでも楽しめる。
「父親が思いつかなくって。ヴィーナスは恋多き女だし、クピドの父親は諸説あるしね。というわけで、『我が子を食らうサトゥルヌス』。ゴヤの作品。自分の子に殺されるという予言のために、我が子を次々に食べちゃう神様だよ」
不気味な異形の神が人の姿をした小さな男を食べている。迫力のある筆致。暗いのに鮮やかな色彩。絵が巨大な分気持ち悪くなってきた。
「終わり。私は父親が嫌いなんだ。アランには悪いけど。色々、あったからね」
ローズの言葉に、ドキッとする。父は、ローズの母を捨てて僕の母と一緒になった。
「だからこうやってこのサトゥルヌスを見ていると、落ち着く。パパも人間なんだなあって」
異形にしか見えない神を、ローズは無表情に見つめた。意味はわからないなりに、腑に落ちる感じがあった。福が割って入る。
「あなたのお父様についてお聞きしたいのですが、あの事件の日、あなたは何歳でしたか?」
ローズの右まぶたがひくっと痙攣した。僕は何だか、ぞっとした。あの事件の日、というだけでわかった。両親と妹が殺された日だ。
「十三歳」
ローズは短く答えた。福はなおも聞く。
「失礼なことをお聞きしますが、あの日、あなたは――悲しかった?」
ローズはしばらく無表情だった。しかし、徐々に、花開くように――満面の笑みを浮かべた。
それが答えだった。
「何の用?」
「君と話をしたいんだよ、友達と一緒に」
「蝙蝠じゃん。何でアランは変な友達しかいないの?」
「これは僕があげたアバターでさ。よくできてるだろ?」
「ああもう、めんどくさいなあ」
僕と福はソフィーと共に公共のワールドにいた。僕が呼び出した格好だ。ソフィーは実に面倒くさそうにやって来た。僕のことがよほど嫌いらしい。
「アランが仮想空間で活動を始めたって聞いて、こうなる予感がしたんだ。アランは私のところに変な友達を連れてきて、荒らし回るんだよ」
「荒らし回るって、そんな」
「いいよ。私のワールドに来たいんなら来たら?」
諦めの目を向けながらソフィーは言った。僕はしつこいことをしたわけではないが、何となく彼女にそういうイメージを持たれているらしい。
「ありがとう、恩に着るよ。あ、若い親戚と話したいだけなんだよ。気にしないで」
福と一緒にワープ用のディスクに乗って僕が言うと、ソフィーは胡散臭げに僕をにらみつけ、ワープボタンを押した。
次の瞬間、僕らは淡くて彩度の低い、ピンク色と青と白の部屋にいた。ソフィーがピンク色を好きなのは知っているが、ワールドの基本カラーとするほどだとは思わなかった。
四角い部屋は縦に伸び、回廊がいくつもある。その壁を埋め尽くすのは、本だ。このワールドの色調に合った本の背表紙がおびただしいほど並び、頭がくらくらする。
「相変わらず本が好きなんだね」
「うん。休みの日はよくここで新作の小説とか科学雑誌とか読んでる」
勉強熱心なことだ。まあ彼女は子供のころから本が好きで、趣味の一環でもあるから、どんな本も彼女にとっては快楽なのだろう。
彼女は本棚に向かい、一冊選んで隅の肘掛け椅子に座ると黙々とページをめくり出した。
「ソフィー、話さない?」
僕が言うと、ソフィーはうるさそうに、「やだ。これ読みかけなの」と答える。
「一つ質問してもいいですか?」
黙っていた福が口を挟む。ソフィーがじろりと彼の動き回る姿を見る。福は本棚の前でしげしげと何かを眺めていた。
「これは、あなたと酒上エドワルドさん?」
ぎょっとして見ると、本棚の本と本の間にある空間に小さな写真立てがあった。ソフィーとエドワルドがくっついて海辺に座っている。こちらを見て笑い、ソフィーは幸せそうに見える。
ソフィーが慌てたようにまばたきを三回する。すると写真立ては消えてしまい、その場所は本で埋まった。
「ソフィー、エドワルドと仲がいいの?」
彼女は焦ったようにそわそわとしだした。誰にも言わないで、と前置きしたあと、こう言った。
「仮想空間上で撮った写真なの。エドワルドから連絡があって、仲良くなって……。かっこいいよね。落ち着いてて大人だし」
「あいつとつき合ってるの?」
僕はびっくりしすぎて叫ぶように声を出してしまった。ソフィーは僕をにらみつけ、
「そこまでは行ってないよ」
とふてくされた。でも、あいつは祖父の子だ。つまり、僕らと関わるのが遅かったとはいっても僕らの叔父ということになる。
「あいつ何企んでるんだ……?」
男性経験の少ないソフィーにいきなり関わり出すなんておかしすぎる。でも、僕が心配しているのに、ソフィーは却って怒り出した。
「エドワルドは何も企んでない! 胡散臭いのはあんたとあんたの友達でしょ? さっさと出てって! じゃあね!」
ソフィーが僕らを見てまばたきを三回した。僕らゲストに向けてするこれは、「追い出す」のジェスチャーだ。
気づけば僕と福は、僕のホームのワールドである夜景の見える部屋に戻っていた。
「ソフィーは騙されてるだろ、明らかに」
僕が福に問うと、福はしばらく黙ったあと、ぱたぱたと羽ばたきだした。
「じゃあエドワルドも仮想空間で活動してるってことだな」
福はぽつりと言った。
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