第3話 福に調査を依頼する・四人の容疑者

 祖父は深刻な顔をして黙ったまま、カードを眺めていた。僕と祖母は何度も警察を呼ぶことを提案したが、首を振るばかりだ。広いソファーの真ん中に座った祖父は、ひどく心許こころもとなげに見えた。


 こんなに言葉を発しない祖父を、初めて見る。


「やっぱり親族の誰かが撮った写真だろうし、それで警察を呼びたくないんだろうね」


 僕が言うと、祖母はシッと鋭く言って指を立てた。でも、事実なのにな、と思う。あの角度、あの構図、親族の誰かが撮ったとしか思えない。


 だって僕らがつけているコンタクトレンズは、簡単に映像や写真が撮れるのだ。まばたきを二回すればそれで充分だ。おまけに中年以上の親族はあまり使っていないが、ぼくら若年層は必ずつけている。仮想空間用のコンタクトレンズをつければこれくらい高精細の写真を撮るのも簡単だ。


 そう考えると、ローズやソフィーの顔が浮かんで何となく辛い気分になる。


 祖父が顔を上げた。僕を見ている。僕は耳障りなモーター音を鳴らしながら駆け寄る。広いソファーの真ん中に座る祖父は、小さく見えた。


 祖父の第一声は弱々しかった。


「警察は呼ばない」

「そう」

「こんなことをするやつは、卑怯者だ」

「そうだね」

「アラン、探偵を呼ぼうと思う」


 どきっと胸が鳴った。もちろんロボットではなく僕本体の心臓の音だ。


「誰か優秀な探偵を知らないか? お前は色々と詳しいだろう」


 笑みが広がる。これで福を救える、と思った。福と祖父を繋げられる。そしたら祖父は満足行く結果を得られるし、最終的に、福は――。


「知ってるよ」


 僕の声には笑い声すら混ざった。




 祖父の仕事部屋は真っ白で広い。祖父はARグラスをかけて仕事のやりとりをするので、仕事にノイズとなる情報を入れないようにするためだろう。

 祖父はがっしりとした樫の書斎机に座り、目の前にある机より少し小さい程度のスクリーンに向かって座っている。僕もロボットの姿だが隣にいる。スクリーンは、福を呼び出し中だ。


「お前が気に入っているからには有能なんだろうな。お前は昔から勇敢で有能な人間が好きだ」


 祖父がそう言うので、そうかもしれないと思う。僕は逆境ぎゃっきょうに立ち向かう物語の主人公のような人物が好きだ。それを祖父流に言い換えるとそうなるのかもしれない。


 画面が変わった。そこは福の事務所で、背景は黄ばんだ白い壁紙とカーテンのかかった窓。福は椅子に座っている。


「こんにちは」


 福はアルカイックスマイルを浮かべ、そう言った。仕事モードの福だ。僕はこの福を見るのが好きだ。何だか無敵な感じがする。


「こんにちは。君がアランの紹介した遊部福君だね? 私は小野寺吟という。アランの祖父だ」


 祖父は柔和に微笑んで福と話した。


「直に会えなくてすまないね。君と直に話したかったが、部下に軽く君の経歴を調べさせて、それはやめるようにと言われてしまった」


 祖父の言葉に、福は笑みを浮かべる。


「きっと私の逮捕歴や、今ある容疑のことを忠告されたのでしょうね」

「そうだね。まあ戦争孤児ならよくある経歴だ。アランの信頼する人物なら、呼んでもいいと思ったのだが」

「誰かに強く反対された?」

「そうだね。妻に」


 祖母め、余計なことをしてくれる。


「私のことは構いません。ただ、今回の調査の件で、お願いしたいことがあります」


 僕は福の目を覗き込む。不思議に澄んだ目だ。祖父のような財界の大物と対峙たいじしているとは思えない。


「何だね」

「調査料のことです」

「もちろん前払いで払うよ。でも君はもっとしてほしいことがあるんじゃないか? 警察に圧力をかけてほしいとか、捕まったあとの対処とか。何でもやってあげようと思っているが」


 祖父の表情に生々しい侮蔑が浮かんだ。祖父はいつもこうだ。身内以外の、部下だとか一般人に必ず冷たく、あからさまなさげすみをあらわにする。

 福は確かに孤児から探偵になり、今も羨ましがられるような暮らしぶりではないが、この扱いはあんまりだと思う。

 でも、祖父の言うことは僕が祖父にしてほしいことなので、黙っている。


「いいえ。私は充分な調査料をいただければいいのです」

「ふん。それでいいんならいいが。もちろん報酬は払う。そんなことをケチるような無意味な吝嗇家りんしょくかではないからね」


 福は微笑んだ。それからこう続ける。


「それで相談というのは」


 祖父は長いため息をついた。


「あの写真つきカードのデータは送ったか?」


 僕に聞いているらしい。僕はうなずき、


「事件の概要も説明してあるよ」


 と言った。祖父が悲しげに首を振る。


「事件ではないよ。ささいな出来事じゃないか」


 ささいな出来事? ささいな出来事のために探偵を呼んで調査をさせるのか? と思うが、僕は黙って痛ましげな空気を作った。


「うちの若い親族がいたずらをしたようだ。その人物を突き止めてほしい。それだけのことだよ」


 祖父はそれだけ言うと、疲れたようにため息をついた。福はその様子をしげしげと見たあと、こう告げた。


「写真を見て、若い親族の方が何人かあなたを囲んでいるなと思いました。右に女性が二人、左に男性と女性が三人……」

「え?」


 写真には祖父と後ろ姿の祖母、あとは若い親族が二人いるだけだ。僕の若い親族は、あのとき九人いた。そのほとんどが祖父母を囲んでいたはずだ。


「置き時計の文字盤を拡大してください。そして後ろの大きな花瓶、よく磨かれていますね、そこも」


 言われたとおりにすると、置き時計のガラスと鏡面磨きのゴールドカラーの花瓶に、人物が写っている。彼らは祖父の両側にいた人物たちだ。


「じゃあ彼らは容疑者じゃないってことだね」


 祖父がちらりと僕を見る。「容疑者」という言葉がいけなかったらしい。


「ここにいない人物で、カメラ機能つきコンタクトレンズを使っている人物は?」


 福の言葉に、僕と祖父は目を合わせる。僕は祖父の代わりに答える。


「まあ、小野寺ソフィーと、野見山ローズっていう僕の親族はそうだな。コンタクトレンズを使ってる」


 この二人はあのとき祖父母を囲む輪にいたはずだ。何かの反射面に映っていないだけで、いることは確かだろう。


「あと、この両脇の人物の瞳を見てください」


 福は祖父の両脇にいる僕のいとこと若い叔母の目を拡大して見せた。この二人は写真の正面を向いていて、目に誰か映っているとしたら、その人物は写真を撮れる位置にいたということだ。その瞳の中にいたのは。


「僕のはとこの、伊藤透也と、酒上エドワルド、だ……」


 二人は祖父母を囲む輪にいなかった。少し離れた場所にいたと思う。そして、エドワルドは微笑んでいた。それが余計に不気味だった。


 エドワルドが関わってくるのか。何だか嫌な気分だ。背筋を見知らぬ人物の生温かい手でゆっくりと撫でられているような、不愉快な感じ。


 ソフィーに、ローズ、透也に、エドワルド。彼らのうち誰かが今回の出来事を引き起こしたのだった。

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