第11話 福の過去・僕は正しいことをしたはずだ
「どうやって窓まで来たんだい?」
僕が聞くと、福は何でもないような顔で、
「非常階段の手すりをひたすら登ってきた」
と答える。あの段のない階段を。それは絶対に僕には無理だったな、と思う。
八幡が去ったあとのエレベータを呼び、ゆっくりと降りる。子供たちは確かに逃げ出したようだ。
「君は子供たちに信用されていたね。安心して泣いてる子もいた」
廊下を早足で歩きながら言うと、福は、ああ、とうなずいた。
「あいつらは子供のころの俺みたいなもんだ。可愛がるのは当然だよ」
「ハチも、そうやって来たのかい?」
「……ハチは、日本自衛軍の兵士だった父親が戦争のショックで精神病になっていたんだが、数年前にとうとう自殺したらしい。母親も身を持ち崩して今は娼婦だ。
家では母親の恋人といつも二人でいて、そいつが殴るやつで……。見ていられないから世話してる」
僕は言葉を失った。ハチは、福の腕の中で子供らしい無垢な表情で眠っている。
「福はすごいよな。人を受け止める用意がある。僕は駄目だったんだよ。ハチに重要なことを聞いても、何もまともなことが言えなかった。僕は子供のまま大人になっちゃったんだよ。君は違うけどね。あのときもそうだったろ?」
「何だ?」
福が不思議そうな顔をする。
「僕は君が十三歳のときに会ってるんだぜ。ヤミ市に迷い込んじゃったんだ。それで悪い大人にカツアゲされそうになって、殺されると思ってたときに福が来てくれた。多分山田エリックもいたんじゃないかな。細い体の君と、でかいやつがいたのを覚えてる」
福は動揺したように僕を見つめる。
「それから、あと一人……」
「それ以上は言うな」
福が厳しい顔で言った。
「それ以上は、誰にも、何も……」
よくわからないままにうなずいた。あのときのボロボロのシャツを着たすこぶる臭い浮浪児の福は、僕をヤミ市の外まで連れて行ってくれた。
すさんでいつつも親切である少年は、僕をさいわい横町に近づける大きなきっかけとなったのだ。そして僕たちは今、一緒にいる。
「僕は今回かなり大人になった気がするよ。きっとこれからも僕は福の役に……」
明るいドアの外に着いたとき、何だか違和感があった。
腰に何か熱いものが触れていた。
振り返った福が僕の後ろにいる何者かに叫んで、ハチを地面に置いて向かっていった。
福に倒されたその人物は包丁を手にしていた。
僕の腰からは、血が勢いよくあふれ出した。
水の入ったビニール袋みたいだ、なんて思う。僕はへなへなとしゃがみ込む。
「アラン! 待ってろ、今救急車を呼ぶから」
福が叫ぶ。救急車を呼んだら警察が来ないか? そしたら君が捕まったりするのでは? 僕は手を振って断ろうとした。
座っていることもできなくなって倒れた僕は、僕を刺した角谷メロウを眺める。目が血走り、同時に酷い顔で泣いている。
彼は孤独だったのだ。僕と同じだ。
そうだ、僕も、彼も、誰も彼もが幸せではなかったのだ。
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