第10話 親切な誘拐・事件解決

 それから二階に上がるまでの時間は、永遠のように思えた。ここから飛び出して、相手が武器を持っていたら? すでにハチが殺されていたら? 僕はうまく立ち回れるだろうか……。


 ブザー音が鳴り、ドアが開いた。見上げると、そこには角谷メロウがいた。驚いた顔をしている。


「ホントだ! 来たよこいつ。馬鹿だなあ」


 うずくまっていた僕は、角谷メロウに引きずり出される。


「どっちが来た?」


 八幡が奥から聞く。角谷はにやにや笑いながら、


「髪が赤いほう」


 と言った。角谷メロウ。映像の彼は感じのよい色白の男だったが、実際はいい加減な印象を与える感じの悪い男だ。ここにずっと引きこもっていることが信じられないくらい、彼は享楽的なタイプに見えた。角谷は僕の頭を思い切り掴むと、


「ここに這いつくばっててよ」


 と床に押しつけた。腕と足を拘束される。芋虫のように激しく動いて抵抗していると、角谷に思い切り殴られた。


「ほら、這いつくばれよ」


 角谷はケラケラ笑った。奥に何かが見える。小さな骨ばった足。椅子に座ったハチの足だ。


「ハチ! 大丈夫か? 僕が来たから安心して……」


 叫んでいる途中でまた殴られた。顔を殴られたので声を出す余裕もないほど痛んだ。


 絨毯じゅうたんの敷かれた広い部屋で、ハチは麻酔でもかがされているのかぼんやりと床を見つめている。裸で背もたれつきの椅子に座り、八幡に髪を切られている。淡い色の髪が絨毯に落ちる。


「上手いっすね」

「まあ、得意だね」


 八幡は陰気な骸骨の顔を、目だけ爛々らんらんと光らせてこちらに向けていた。


「医者の手だてはついてるんですか?」


 角谷は僕をチラチラと見張りながら八幡に聞く。八幡はうなずき、


「どうにかするよ。その後のことも決めてある。安心してね」


 と言った。


「どうにかするなんて無理だろ」


 僕が言うと、八幡の目がぎょろっとこちらに向いた。僕は確信をもってこう言った。


「あんたは病気の体を新しい体にしようとしてる。貧しい子供たちを誘拐して、その中から選りすぐった子供を自分の体にしようとしてるんだ」

「そうですが、何か?」


 八幡は慇懃いんぎんに聞いた。敬語がひどく気持ち悪い。


「闇医者が扱う人体の闇市では、貧乏な人々が体を売ることができる。家族を食わせるためとか、借金を返すためとか、色んな理由があるそうだ。

 金持ちはそれを利用して体を新しくする。そのためには闇市のボディーバンクに申請する必要があるんだってね。あんた、それに登録してたんだろう?」

「そうですよ」


 八幡の顔色は変わらない。平然としているように見える。


「病気の進行が早かったのか知らないが、間に合わなかった。だから貧しい、誘拐しても誰も騒がないような子供をさらって自分の体にしようとした」

「そうです。それが何か?」


 八幡は唇をとがらせてかすかに笑う。


「こっちは金を持ってるんです。不幸な生い立ちの子供たちから体をもらうんですよ。私は彼らの体に金持ちの人生を味わわせることができます。彼らの哀れな体は私の金持ちとしての人生を楽しむことができる……。

 例えば旨い上質の肉を食べる。例えば着飾って褒めたたえられる。美しい女を金で買って楽しめる……。幸せな人生を送れるんですよ。何が問題なんです? いわば私がやっているのは親切な誘拐なんですよ」


 僕は絶句する。


「あんた正気か? 金持ちはそれだけで幸せなのか?」

「ええ。貧しい者にならずに済んだ。幸せじゃないですか」


 自分勝手な金持ちの所行を、僕自身を見ているような気がした。金持ちは幸せ? 貧しくないから? そんなことは全くイコールしない。


「僕は、金持ちは幸せだと思わない。貧しいから不幸だとも思わない。そういうのじゃない。幸せっていうのは……人間関係だよ。誰かと繋がっているということだ。友達が、恋人が、家族がいるってことだよ」

「よくしゃべる芋虫ですねえ」


 八幡が目で合図し、角谷が僕のみぞおちを蹴った。吐瀉物としゃぶつが出て、口の中に嫌な臭いがする。


「あなたはどうせ私の体と共に焼却処分になるでしょうね。はあ、気の毒だ。冥土の土産に教えてあげると、私は病気だからハチ君を選んだんじゃありません」


 八幡はハチの頬を撫でてうっとりと笑った。


「美しい、このハチ君のような少年を選んだのは、美容の一環ですよ。若くて美しい体になる。それって最高の美容じゃありませんか? 癌が全身に転移してしまって、期限が決まっているのは残念ですけどね……」


 狂っている。背筋がぞわぞわと粟立っていくのを感じる。


「こいつ、どうします?」


 角谷がへらへらと聞く。


「ん、殺しておいて」


 八幡がはさみを鳴らして命令した。角谷が新しい紐に手を伸ばす。ピンと張り、僕に近づいてくる。ややおののいたような表情で、角谷は笑う。


「何だかんだ、人を殺すのは初めてなんだよねえ」


 八幡のほうも、ハチの体を持ち上げようとしている。


「ハチ君を殺しておくとして、保存容器はどれにしましょうかね」


 ハチは僕ほど粗末な殺され方はしないらしい。丁寧に、裸の体が移動式のベッドに運ばれる。体細胞が死なないようにするなら、などとつぶやき、注射器を手にうなっている。


 そのとき、突然ガラスの割れる大きな音が響いた。角谷の背景の大きな窓が割れたのだ。角谷と八幡が驚きのあまり固まってそちらを見る。福だった。彼は金槌で窓を何度か叩き、自分がくぐれる程度の穴を開けてゆっくりと入ってきた。


「アラン、時間稼ぎしてくれてよかったよ。あいつらは確実に逃げたようだ」


 時間稼ぎ。どうやら僕はおとりにされたらしい。


「ハチも無事でよかった。麻酔をかがされているようだが……」

「はあ、あなたはハチ君の家族ですか? 違いますよね。なら放っていただきたいですねえ」


 八幡はまた落ち着き払ってハチの前に立ちはだかった。福がうっすらと笑う。


「自分がもう終わってるってことを認めろよ。お前はもういくばくも生きていられない。

 そして、子供にお前の脳を移植してくれる闇医者なんていない。闇医者も捕まったときの刑罰の重さに気を使ってやってるんだよ。さすがに子供に脳を移植できるやつは、俺の知る限りいない」


 八幡は黙ってハチの顔を見つめている。角谷が驚いて叫ぶ。


「え、角谷さん、嘘ですよね。角谷さん、策があるって言ってましたし」


 僕は少し混乱する。この色白の不愉快な男は、八幡に角谷と言った。僕はこいつが角谷だと思っていた。こいつは誰だ?


「八幡沈香。借金が返せてよかったな。でも角谷メロウに頼ったのが運の尽きだ。こいつには策なんてない。やったのはただのバレバレの犯罪だ」


 福が言うと、八幡沈香と呼ばれた男は、おろおろとうろたえ始めた。


「え、俺どうしよう。え?」

「アランと八幡に説明してやろうぜ、角谷」


 福は僕に近づくと、手持ちのナイフで拘束を解いてくれた。僕は痛む手首を振り回し、この状況にひたすら混乱している。福が説明を始めた。


「まず、八幡沈香といういい加減な男がいた。男は仕事で関わったことのある角谷メロウに相談した。借金で首が回らない。助けてくれと。

 角谷メロウは化粧品会社で働いていた美容に詳しい男で、策があると言った。八幡の美貌を活かして大衆に受ける美容動画を撮り、スポンサーを集めて一儲けするというものだ。

 しかし八幡の顔と名前をそのまま使うと借金取りに居場所がバレてしまう。そこで角谷は色黒から色白になって雰囲気を変えた八幡に自分として振る舞わせた。自分は病気で痩せたことを利用して、八幡沈香として振る舞い始めた。

 仕事はうまく行った。映像のクレジット料で、八幡は借金を返せた。これで全ては一件落着。何もかもが落ち着くはずだった……」


 福はナイフをひらひらと揺らしながら説明する。角谷は――骸骨のように痩せこけた八幡と名乗っていた男は――床を見つめて何もせずに座っている。


「角谷は病気だった。でも、死ぬ前にボディーバンクから好ましい体を得るはずだった。けれどふさわしいものがない。血液型、HLAという白血球の型、脳のサイズ、容姿、全てが適合する者がいない。

 もう角谷に時間はなかった。やけになった角谷は、美しい子供をまず集めて、体を奪おうと思っていた。医者はそれから探せばいい。金はある。そして八幡を使って子供たちを誘拐して回った。でも、子供に自分の脳を移植してくれる医者なんていない……」


 何かが割れる音がした。角谷が落としたティーポットだ。粉々に割れたポットからは、紅茶が湯気を立てながら広がっていく。


「可能だ! 金さえ積めば何でもする! それが人じゃないですか。何でやってくれないなんて言うんですか。変なことを言わないでください。探せばいるんです」


 角谷は唇をとがらせながらヒステリックに叫んだ。八幡は、不安そうに後ずさりする。


「角谷さん、絶対に大丈夫って……。俺信用してたんですけど……」


 角谷はキッと八幡をにらみつける。


「大丈夫って、言ったでしょう! 私は、成功するんだ。子供時代からやり直すんだ。そして、人気者になって、愛されて、褒めたたえられて……。素敵な大人になるんだ!

 美しい私には誰も文句なんて言わない。醜いとも言わない。無視もされない。もちろん会社でいじめられることだってない……。幼児期からうとまれて大人になるまで嫌われるなんてこともないんだ!」


 角谷は笑い始めた。涙を流しているのに恍惚こうこつと笑っている。八幡は急いでこの場を去ろうとしていた。操作したエレベータが動きだし、彼はそそくさとそれに乗る。

 福が角谷に近づくが、彼は意味不明な言葉を叫んで暴れた。福は角谷を取り押さえるのを諦め、僕に言った。


「さ、俺たちも帰ろう。ダリルが心配してる」

「ああ……」


 福はシーツを掴むと、剥がしてハチを包んだ。ぐったりとしたハチを抱き、福が歩き出す。

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