第9話 犯人の家に突入する

 角谷の家の塀に近所のバラックから盗んできた梯子をかけ、勢いよく踏みしめて登る。福が身軽に飛び降り、僕も真似をするが案の定着地してすぐ転んだ。痛みに耐えながら走る。目の前にある家は、一人で住むには大きすぎる。


 手入れされた芝生の広がる庭にたたずむ白いコンクリートの建物の裏口は、半分空いていた。急いで閉めたのだろう。泥の跡もあり、もしかしたらハチが運び込まれたのはこのドアなのかもしれない。僕と福はそっと中に入った。


 子供の声がかしましいほどに聞こえる。怒った声と、泣いている声、意外なことに楽しげな声も聞こえる。

 一階の廊下を進んでいくと、奥のエレベータの手前の壁に、鍵のかかったドアがあった。福が拾ってきた金槌かなづちで迷いなくドアノブを破壊する。子供たちの声が止んだ。


 やがて福がドアを引っ張ると、あっけなく開いた。甲高い音を立てて開いたドアの向こうには、また柵があり、その向こうに子供たちがいた。


「福!」


 身ぎれいにしているが、仕草や福への反応を見ると、確かにさいわい横町の子供たちらしい。幼い子たちは福を見るなり号泣した。よほど安心したのだろう。


 彼らは五人いた。福が思った通りだ。何というか、どの子を見ても顔立ちが整っている。犯人の目的を考えると、確かに納得が行くのだが。


 福が柵の鍵を破壊する。子供たちはどよめきながら彼の行動を見守る。やがて壊れた柵は、根負けしたように自分から開いた。子供たちが沸いた。


「俺たち、帰れるんだよね」

「母ちゃん心配してるよね。俺がいなかったら困るって言ってた?」


 少年たちは福に群がってホッとしたように笑顔を見せていた。でも、ハチがいない。それだけじゃない、角谷も、八幡もいない。


 奥に一人だけ、椅子に座ってうつむいている年かさの子がいた。黒髪を刈り上げた美少年は、福を見るなりこう言った。


「俺、帰らないから」


 僕は驚く。福もそうらしい。少年に近づくと、しゃがんでこう問う。


藍銅らんどう、母ちゃんが待ってるのに、どうしてそんなことを言う?」


 どうやらこの子が依頼人の息子の藍銅らしい。大きな目の少年は、すさんだ目つきでこう答える。


「帰っても殴られるだけだろ。俺もう自分の人生なんていらない」

「何言ってんだ。母ちゃん心配してたぞ」

「……いらないんだ……」


 少年の目からは大粒の涙が盛り上がり、ぽろぽろと落ち始めた。福は彼の肩を抱くと、「わかってる」とつぶやいた。藍銅はしばらくこらえていたが、床を見つめて震え、やがてしゃくりあげるように泣き始めた。


「でも、でも、ハチが選ばれちゃった。ハチにするって。ハチが一番きれいだからって。俺はこんなときも一番になれないんだ」


 ぞっとする。貧しい人間から体を奪う、人間ができる最悪の所行を可能にしたテクノロジーは、ハチの命を奪おうとしている。


「ハチはどこに連れて行かれた?」

「三階の、あいつの居室に。まずきれいにしたいんだってさ、ハチを」


 福は藍銅を抱きしめた。ぎゅっと、まるで兄弟みたいに。


「よく教えてくれた。お前は正しいことをしたよ。さあ、藍銅。ここの鍵は壊したし、通用口の鍵は開いてる。そこからこいつらを全員外に出してやってくれ。皆、ここから出たがってる」


 藍銅は涙をこぼしながらうなずいた。僕と福は二階へと急ぐため、走り出す。もうへろへろだ。体中が痛い。でも、僕は時々それを忘れた。正しいことをするために、僕は走っている。


 エレベータを上がろうとすると、停止されていた。近くに階段も見つからない。外に非常階段があるが、段が抜かれているのは確認済みだ。福が思い切りエレベータの扉を蹴った。


「ふざっけんじゃねえぞ!」


 僕はきょろきょろとそこらを探し、気づいた。


「あれ、使えないかな……」


 キッチンにある配膳用の小さなエレベータだ。僕の住むビルのように調理された食事を配膳はいぜんマシンで上階に運ぶようになっているらしい。ランプが光っているのでこちらは停止されてはいないようだ。耐荷重たいかじゅうにもよるが、一人だけならいけるかもしれない。


「あんたが乗れ」

「え?」


 僕は驚く。先に乗るとしたら福だと思ったのだが。福は少しだけ微笑み、


「配膳用なら中に操作ボタンはない。エレベータを手動でいじるなら、二人目は乗れないだろう。俺は違う経路で行く。ハチを任せた」


 と言った。僕はうなずき、走る。配膳用エレベータを開いて中に入ると、福は「よろしく」と言いながらボタンを押した。

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