第8話 規則正しい生活の男・健康に気を遣う男
橘立志を追う。彼の一日はシンプルだ。新宿にある高級マンションのベランダでコーヒーを一杯飲んで一日を始め、あとは日がな一日原稿を書いて過ごしている。
翌日は講演会に行き、さらに翌日は児童養護施設をいくつか訪れ、話を聞いたりしている。それから角谷の家に行き、しばらく滞在してからそこから去る。そのときの機嫌は悪そうだ。
「うーん、本当に喧嘩をしてるのか、周りに対するパフォーマンスなのかわからないな」
僕がつぶやくと、福はこうコメントする。
「橘は単純に活動家をやっているという感じもするな。でも、角谷と接触しているのは確かだ」
次に八幡沈香の後をつける。彼は角谷の家に週の半分ほど住んでいるらしい。角谷の家を出ると、漢方薬局に寄った。中年の薬剤師から説明を受けつつぼんやりとうなずいたり質問をしていたりする様子だ。
そこで大量に薬を買い込んで出てくると、次にバラックの横にある妙に
「何だか不健康なやつだな」
離れた席で彼を見張りつつ僕がつぶやくと、福は、
「妙に健康に気を使ってる」
と言う。そのあと水煙草の店を出た八幡を追うと、彼はそば屋でサプリメントをがりがりとかじって店員から
「健康……。健康か」
それから八幡はふらふらと街をさまよい、あるときは高級ホテルに泊まり、あるときはバーで寝て追い出され、最終的には道路上で寝ていた。
「呆れたやつだなあ。橘の規則正しさを見習えばいいのに」
僕はつぶやく。生ゴミと共に寝ていた八幡は、やがて起き出した。僕と福が彼から見えないところに隠れていると、驚いたことが起きた。
八幡はすごい勢いで嘔吐した。その
「病気か……?」
八幡は口元を袖口で拭くと、よろよろと歩き出した。もう朝の五時だ。雀が鳴き、不釣り合いにさわやかな日の出の空の下、八幡は左右に揺れながら歩いていた。
「結局何にもわからないよ。角谷は家から全く出てこないし」
BLANCに帰る途中、僕が車の中で言うと、福が眉を上げた。つまり福は何かがわかったのに、僕が同じものを見てわからないから驚いた、という表情なのだろう。
「え、何がわかったんだい?」
僕がわくわくしながら聞くと、福は煙草を吸いながら黙って、しばらくして煙を吐きながらこう言った。
「橘立志は違うな。やつには動機がない。あいつは角谷の家にほとんど入っていない。あいつは体型が似ていて子供に興味を持っているというだけで、犯人じゃない。
おそらく子供の声がするという近所の住民のタレコミで、俺たちに近い考え方で動いてるんじゃないか」
「じゃあ犯人は八幡と角谷だな。角谷が主犯だろうな。あの家にはずっといるし、子供たちだってあの家にいるんだから。角谷は家から出ないし、八幡がマスクをつけて子供をさらってたんだ」
「……残念だが、違う。合っているが、合っていない」
どういうことだろう。謎に対する疑問で頭がいっぱいになる。僕の考えはかなり正解に近いと思ったのだが。
「じゃあ、犯人は?」
「この事件は誰が起こしたのか明確だ。手段も明らか。ただ、理由がはっきりしない。でも、八幡の行動を見ていてわかった。やつは重大な病気にかかっている。そして、最近のニュースで気になることがなかったか?」
祖母の言葉がよみがえる。貧しい人間の体に富裕な人間の脳を……違法な手術……まだまだはびこっている……。
体中が総毛立つ。
「まさか……。福、まさか」
「ボディーバンクというものがある。闇医者が手術するための素体……人間の肉体を売り買いするためのリストだ。見てみろ」
福が差し出すポータブルスクリーンのリストには、大勢の名前と年齢、身長、血液型などの情報が載っている。どうやら闇サイトのページらしい。
これで僕はあることに気づいた。子供なんていない。このリストには二十歳以上の大人しかいないのだ。
「犯人がやろうとしていること、それは……」
福が何かを言いかけたときだった。福の小指のリングが鳴った。ダリルだ。ダリルの声は取り乱している。
「福、福、大変だよ」
「落ち着けよ。何があったんだ」
「ハチがいなくなった!」
「何だと?」
「マスクの男に車に乗せられて、どこかに連れて行かれた!」
僕の背筋は凍った。福が僕に低い声で命じる。
「角谷メロウの家に向かえ。早く!」
僕は車の少ない道路で黄色いスポーツカーを急転換して走らせる。遠心力で体が車外に飛び出しそうになるのを踏ん張る。隣の福のつぶやきが、僕の焦りを加速させる。
「ちくしょう……。殺しの臭いがする」
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