第6話 橘立志が現れる・角谷メロウの調査

 翌日は小雨が降っていた。ハチはレインコートの残骸ざんがいをかぶり、よどんだ表情でポータブルスクリーンを眺めている。


「ハチ、風邪引いてるんじゃないかなあ」


 僕が言うと、


「まだ酷い風邪にはなってないだろ。でも今日は早めに切り上げよう」


 と福が双眼鏡を覗いた。


 そこに、また男が現れた。それは驚くべき人物で、現れた瞬間が動画の一部分のように思えたくらいだった。


「橘立志だ……」


 僕はつぶやく。橘立志は、ハチをちらりと見ると周りをうろうろして、やっと咳払いをした。ハチがちらりと彼を見ると、彼は話し出した。


「君、こんなところで物乞いなんかしてないで、暖かい店に入ったらどうだ。寒いだろう」


 ハチは半分無視した。おそらく単純に体調が悪いのもあるが、橘立志のことが嫌いだとこの間言っていたので、話したくないのだろう。


「君は児童養護施設に入った方がいい。孤児院は雨風が防げるし、ご飯が出るぞ。優しい大人たちが世話してくれるし、きっと君も気に入る」


 橘はハチを見つめ、突然手を握った。


「さあ、おじさんと一緒に来ないか」


 ハチは助けを求めるように周りを見た。僕は身構える。でも、福はどこ吹く風だ。ハチを遠くから見張るのをやめて彼を助けるには、もっとギリギリになるまで待たなければならない。そう決めている。


「俺、行かない!」


 ハチがはっきりと言うと、橘は渋々と手を離した。


「そうか、残念だ。気が変わったらここに連絡してくれ。私の連絡先と、児童養護施設の連絡先だ」


 橘はハチに自分のポータブルスクリーンをかざすと、名残惜しげに去っていった。


「八幡沈香と橘立志は怪しいな」


 僕が言うと福は、そうだな、と答えつつハチの元に向かった。彼はハチを背負うと、慣れた様子で歩き出した。


「風邪だな」

「ごめん、明日は休ませてよ」

「わかってる。報酬として食べたいものを食べさせてやるよ。何がいい?」

「プリン」

「わかった。アランが持ってくるから」


 後ろを歩いていた僕は、自分の名前が出たことに少し驚き、まあそれくらいなら、とうなずいた。


「新宿で一番うまいプリンの店で買ってくるよ」


 それを聞いたハチは、真っ赤な顔で笑ってうなずいた。


 BLANCに着き、福がハチを部屋に置いてくると、僕らは動き出した。角谷メロウの調査だ。角谷は渋谷区の中でも宇田川町の中心付近に大きな家を建てて住んでいるらしい。僕の車に福と二人で乗ると、派手なネオンが光るさいわい横町や再開発のビル群を置いて、僕らは飛び出した。


 WCWRは日本の沿岸部を中心に攻撃したが、関東は内陸部までかなり攻撃を受けた地域だ。この宇田川町も例に漏れず爆撃で壊されて再開発中で、ビルが建っていたりバラックがひしめきあっていたりとアンバランスなのが今の渋谷らしい。


 角谷の家はバラックひしめく治安の悪そうな場所の中心に、要塞ようさいのような姿でそびえ立っていた。三階建ての大きな家と、広い庭。しっかりとした塀で囲まれ、中に入るのは難しそうだ。


「しばらく見張ってみよう」


 福が言う。僕と福は防犯カメラの位置を確認し、死角になる位置を探すと、そこで通用口を見張ることにした。


 真っ暗な中、小雨が降る。なかなかに堪える寒さだ。ぶるっと震え、コンクリートの塀を眺める。腕時計を見ると、深夜零時。もう二時間は何も起きていないことになる。


 福がぴくっと身じろぎをした。


「子供の泣き声だ」


 耳を澄ませる。確かに、甲高い子供の声が、細く不安げに聞こえる。塀の中から。


「複数になった」


 父ちゃんに会いたい、母ちゃんに会いたい……とその声は重なりながら言っていた。


「帰ろう」


 唐突に福が言った。


「え、でも……」

「情報を集めてからまた来よう。おそらくここに子供たちは集められてる。藍銅もきっといるだろう」

「殺されるかも……」

「大丈夫だ。まだ殺されない」


 福は確信を持った様子でそう言った。僕は渋々うなずき、また戻ることにした。

 角谷メロウか。美容専門家が一体どうして少年たちを? 何だか掴めなくて気持ち悪い事件だ。

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